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突撃!バセドウ眼症減圧手術レポート!
. Dr.Tajiri's comment . .
. このレポートを書いてくれたのは、愛知県在住のニックネーム「ゆかちん」さんです。
手術を受けたのは甲状腺眼症の専門眼科病院です。
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. . .
こんにちは、ゆかちんです。
提出すると言い切った手前、こりゃ〜〜大変だと、思ってももう遅い!!!
さあ、始めます。

ええ〜〜っと、まず、私が入院した病院の減圧手術のスケジュールを書きます。
第1週の木曜日夜6時頃に片方の手術、3日後の日曜日に鼻のガーゼをぬきます。第2週の木曜日にもう片方の手術でその3日後の日曜日にガーゼを抜きます。

それでは、これからは、私ゆかちんの私的な自分勝手な突撃レポートですので、なんの役にもたたないかもしれません。でも、私の気持ちが楽になったのは、ここで調べた手術の内容や、看護婦さんに根ほり葉ほりきいた手術のことももちろんですが、3週間前に手術を終えていた人の言葉のおかげだったのです。
だから、もしかしたら同じように私のこのレポートで気持ちが楽になるひとがいるかもしれないので、ここに提出します(って、選手宣誓じゃないって)。
4月10日月曜日  
  10時に来て下さいと言われたが、長男が始業式しか学校に行っていないので、初2年生の登校を送り出したいと電話で病院に言ったら、「遅れてもいいですよ」と言ってくれた。ありがたかった。病院について、病室に案内されたらいきなり昼ご飯だった。午後は片目の散瞳(瞳を開く)をして、眼底の写真を撮った。この写真も、最初は「あと何枚撮るの…」とウンザリしたが、もう慣れっこになってしまって、しかもカメラのおねえさんとも顔見知りになってしまったて「あれ、もう終わり?」だ(笑)。いつもの視力検査、金魚の検査、などなど結構忙しかった。看護婦さんが病室に来て、問診と持ってきた薬の種類をきかれたり、麻酔のアレルギー検査などがあった。夜は眠れた。
4月11日火曜日  
  この日もぼちぼち検査があって時間がつぶれた(笑)。3階に診察に行ったとき、前回の入院の時に同じ部屋だった緑内障の患者さんがいて、「部屋に遊びにおいで」と言われた。遊びに行ったらその人と同じ部屋に、これから私がやる減圧手術をもう終えた人がいて、初対面だというのに質問責めにしてしまった。なんといっても一番気になるのは“痛み”だが、「そんなにたいしたことないよ」と言われた。残念なのは、その人が経産婦じゃなかったのでお産との痛みの比較を聞けなかったことだ。彼女は「先生に(目が)5ミリ引っ込んだっていわれた」と。そして、左目の下がおおきく青いあざになっていて、それは「これは不測の事態で普通はこんなあざができるような手術じゃないんだよ」と言っていた。手術後の痛みやその後の痛み、手術後の様子、絶飲食対策(?)など諸々のことを彼女(Sさん)に聞けて、話せてかなり安心した。
4月12日水曜日  
  血を止める注射を一本打ちます。この日が手術前の最後のシャワーになるので、髪をゴッシゴシに3回洗った。月曜日の問診してくれた看護婦さんから聞いていたが、夜9時から絶飲食が始まる。今までの人生の中で、宗教の戒律で絶食の日があったわけはもちろんなく、食べることを忘れて音楽に夢中になっていたことはあっても、その後にしっかり食べていたし、とにかく主婦になってからというもの「食べたいときが食べるとき」の生活を送っていた私にとって、手術もおおごとだがそれに伴う「絶飲食」もかなりのおおごとであった、、、、。ほんと。夜9時になる前、がぶがぶに水を飲んだ。しかし、夜は眠ってしまえば食欲との戦いは休戦だ。
4月13日木曜日  
  とうとう今日かあ、と目が覚めた。明け方、お調子者の次女が「あ〜〜ん」と何かを食べさせてくれて「はっっ!!!ママは食べちゃダメなの!!!」と次女を怒る夢をみた。毎日、いろいろな先生の診察があるが火曜日と金曜日は院長先生の診察で、火曜日に先生に「明日奇跡が起こって(手術を)回避できるよう祈っているんですけど」と言った(先生は笑っていた)が、奇跡は起こらなかった。ちくしょ。朝に手術着に着替えて、点滴が始まる。私は左目からなので、右手に点滴。めちゃくちゃゆっくりの速度で点滴を落としている。点滴のおかげかのどやくちは乾かない。午前中はテレビを見て過ごす。しかし、なんで?テレビってこんなに食べ物の番組が多かったっけ〜〜〜…と、思ったり。本をみれば食べ物のページが目に付く。昼に付き添いの実母が到着。長くて平和な午後が過ぎていく。3時、4時を過ぎると、とっとと手術が終わって欲しいのか、早くなんか食べたいのか、どっちがどっちかわからなくなってくる。終わったら、アレを買ってきてもらって食べようとか、アレも買ってきてもらって食べようとかそんなことばかり考えているうちに6時になった。

とりあえず、トイレは行けるうちに何回もいっておいたほうが良いでしょう。看護婦さんが注射を一本打ちに来て、その注射はなにか聞くのを忘れた(←動揺していたのが今になって自分でわかる、笑)。トイレは呼びに来られてからももう一回行っておきました。ストレッチャーに乗せられて、まず、手を固定されます。その後髪を布で覆われます。そして、エレベーターに乗って手術室のある地下へ。しかし、この後に及んでまだ私は「やっぱりやめになったらいいのにな〜」と思っていた。あほか。目の前は天井で、周りの景色が入らない。看護婦さんが代わる代わる「大丈夫?」とか「寒くない?」とか「気分はどう?」とか顔の前までかがんでくれて聞いてきてくれる。「お産とどっちが大変でしょうか?」と聞いたら、婦長さんは笑ってパンッと肩を叩いて「そんなんお産に決まってますよ。」と言った。聞こえている言葉の意味はわかっても実感として感じられるだけの余裕が私にない(笑)。手術室の中に入ると、胸に心電図をとる吸盤、腕に血圧をとる布がつけられる。看護婦さんが壁のところの写真挟みに「バンッ!バンッ!」と、私のMRIを挟む。なにがなにやら、自分では「よく観察して、落ち着いて、落ち着いて」と念仏のように唱えてはいるものの、正直ものの心臓は爆発しそうにハードロックだぁ〜〜。だいたいテンポ130〜140(/1分間)で。そして、「モニターしますね」といわれて指を板のようなもので挟まれたらば!その心拍が「ぴっぴっぴっぴ!」と機械から聞こえてくるじゃありませんか〜〜〜〜(脱力)これじゃあ「私は天下一の小心者でぇ〜〜す!」と看護婦さんにいばっているみたいだよう〜〜と恥ずかしかったです。それから、何分たったのか、10分ぐらいだったのか、麻酔の先生が来て鼻と口を覆うマスクをされました。「麻酔が入りますから(点滴から)痛く感じるかも知れません、痛かったら言って下さいね」「はい、、、痛いというより、冷たい」と言ったのは覚えていますが、つぎの記憶は男の先生の「血の混じった唾がね、口に入ってくるから、それをティッシュに吐くか、それか、飲んじゃってもいいから!!!」という大きな声でした。私は、はい、はいと、答えたかったのですが、麻酔がまだ効いていて身体がうまく動かなくて、口もしびれていて、発した言葉はカエルのような「あ”あ”、あ”あ”」でした。それから、自分の部屋ではなく3階のナースセンターの前の部屋に戻りました(9時前ぐらいだったらしい)。

もしかして終わったんだな、、、と。思ったよりも痛みが少なく、痛みと言うよりは重い物を頭に乗せているような感じだった。ひどい頭痛のような。でも、ガンッガンッという感じではなく、ドカ〜〜〜〜ンと重い。鼻の中に何かある。でも、やはり「痛み止め下さい」と座薬してもらった。術後30分おきに看護婦さんが血圧と体温と脈を計りに来ます、それと明け方まで酸素を吸います。それをSさんに聞いたときは(眠れないな)と思いましたが、実際は計りに来てくれている時は目が覚めますが、その間はしっかり眠れていました。やはりまだ麻酔が効いていて身体が重いからかもしれない。看護婦さんが「トイレはいいですか?」と聞いてくる。行きたいような、大丈夫のような?しかし、とりあえずトライしてみようと、ベッドの上のトイレ(っていうか、皿だね)を持ってきてもらったが、ぜ〜〜〜〜んぜんダメでした。それからもう一度トライしましたが、やはり出ませんでした。看護婦さんがあきらめて「じゃあ、あと少しですがゆっくり寝てください」と言って出ていきました。明け方、術後8時間たったので、看護婦さんがポータブルトイレを持ってきてくれました。ベッドを降りてすぐ横のトイレまで移動するのに少しふらふらしたけれどトイレは出来ました。それが5時くらいで、それからまた8時頃までしっかり寝ました。看護婦さんに起こされて、ふらふらしながら母と看護婦さんにかかえられて、歩いてエレベーターに乗って自分の部屋に戻りました。口をゆすぎました。口がしびれていて、それは、歯医者の抜歯の後のしびれと同じです。口の中が血の味だったのがだいぶん良くなりました。最初はふらふらしましたが、このころには結構しっかり歩いていたと思います。
4月14日金曜日  
  朝御飯だよ〜〜〜〜〜〜〜(そんな大手術の後に朝御飯食べられるんかい??)と思っていた私でしたが、しっかり食べられましたよ。ご飯はお粥になります。噛むのに力がはいらないのと、噛むと「歯がひびく」のでゆっくりでしか食べられません。何日かすると看護婦さんが「普通のご飯に戻す?」と聞いてくれると思います。
とにかく、聞いたときも驚きましたが、実際に私も体験してみて、へんなの〜〜〜って、思ったのは全身麻酔のこの病院ではいちばんたいへんとされる手術なのに、手術室から帰ってきた自分は「見た目、包帯も眼帯もない、鼻の穴に綿花が詰めてあるだけ」な事です。自分は鼻の中(穴の奥ね)にガーゼが入っているのを感じることは出来ますが、他人からはもちろんわかりませんから、鼻に綿花を詰めてひょこひょこ歩いてなんの治療してるんだろう?と思われていたかも知れません(実際に「あんたも花粉症か?鼻にずうっと綿花詰めてるけど」とおじさんに言われた)。

この術後の金曜日は点滴はありませんでした。ずっと横になっていました。天井のカーテンレールが2本にみえるのでショックでした。
4月15日土曜日  
  点滴は黄色で、抗生物質とステロイドが入っていると思います。診察に廊下のイスに座って待っていたら、壁のコンセントが二つに見えてあああ〜〜と思いました。この日はかなりもう元気でした。友達と従姉妹がお見舞いに来てくれて、午後いっぱいいっぱいずうっとおしゃべりしていましたが、疲れなかった。楽しかった。ダブリはだんだん近くのものからなくなってきているような気がする。多分この日ぐらいから首から下ならシャワーをしても良かったと思う。看護婦さんに聞いてみてね。
4月16日日曜日  
  点滴は昨日と同じだと思う。「今日の夜8時に鼻の中のガーゼを抜きますね」と看護婦さんに言われた。あの大きい声で話し掛けてくれた先生、その先生が手術をしてくれた先生でガーゼ抜きもその先生でした。3〜4回に分けて、2〜3回休憩を入れて(その間に出血をみるみたいだ)鼻の穴からガーゼを抜きましたが、想像していたよりも痛くなかった。と、看護婦さんに言ったら「あの先生が上手だからだよ」と教えてくれた。ガーゼが入っている時よりも抜いてもらった後のほうがかなり楽。多分私が思うにはだんだんガーゼが血を吸って重くなってきて、それが顔の傾きによって場所を変えて当たり所が変化して気持ちが悪いのではないかな。そうそう、気になっていた「手術後の生活でやって良いこと、悪いこと」についての「バンド活動を続けても良いかどうか?」を先生に聞いたら「問題ない」と言われて、ほっとした。今後の生活で注意しなければいけないのは「くしゃみは口から空気を抜く」「強く鼻をかまない」「風邪や、蓄膿で、耳鼻科にかかるときはこの手術をしたことを説明する」の3つだけでした。
4月17日月曜日  
  点滴は透明に変わりました。ってことは抗生物質だけになったのか?内科の診察がありました。顔も洗えます(顔がしびれていて、こわくてどきどきだけど)。顔を洗ったら綿花を変えましょう。朝のおしゃれ〜〜綿花のとりかえ〜〜〜ってやってました、私は(笑)。今日から髪も洗えます。
4月18日火曜日  
  点滴がありました。
4月19日水曜日  
  またもや今日の夜から絶飲食か〜〜と思うと、「今日はなんでも食べちゃえ!」と、無制限でおやつもなんでも食べる食べる。
4月20日木曜日  
  朝から点滴。今日は右目なので、左手に点滴する。「すいませんけど、大切な薬指の指輪をはずしておいてもらえますか?」と看護婦さんに言われ「これ?あ大切じゃないです、消費税込み420円っす」と言ったら受けたね(結婚指輪は太ったのではめられないのであ〜〜る)。あとは先週の繰り返しだけど、違うのは「私の余裕」!手術室に入ってもドキドキしてなくって看護婦さんに「あれ?今日は音楽かかっているんですか?」(バッハがかかっていた)なぁんて言って、看護婦さん「ああ〜、、いつも音楽かかっているのよ、院長の趣味(誰か他の看護婦さんが、ええ〜〜○先生でしょう〜〜?と言っている)、、ゆかちんさん(実際は名字で呼ばれていました)前回は聞く余裕無かったから(笑)」と言われ、ちょ〜〜恥ずかしかったわさ。今回は麻酔に抵抗してみようとトライしたが、意識よりも身体のほうが先にこわばって動かない、、、と思ったのを最後に次の記憶はまた、私を起こす先生の大声でした。
前回は右はダメージなしの左の手術でしたが、右の手術は左にすでにマイナスダメージを受けているところへのダメージなので、前回よりも痛みというか重みがひどく、座薬はもちろんアイスノンも貸してもらいました。トイレはもう無駄な努力はやめて、朝にトイレに歩いていきました。
4月21日金曜日  
  さすがに食事以外で起きあがろうとか、歩こうとかいう意欲がない。とにかく横になっていた。院長先生の診察で、先生は瞼をみてやはりもう一度手術をしたほうがいいと言った。ちょっとがっかり。金曜日に退院ですね、と言われた。しかし、この日の最悪だったのは、昼ご飯が「ナスの肉挟みフライ」で全然噛めずに食べられなくて、夜は「ゴボウのかき揚げ」でノックアウト。従姉妹の買ってきてくれたパンとヨーグルトなどをもそもそと食べました。ダブリは前回と同じで朝よりも昼、昼よりも夜と時間がたつにつれて、近くから無くなってきているような気がします。
4月22日土曜日  
  点滴あり。かなり元気になってきた。前回の入院で足が萎えて階段を上れなくなって懲りたので今回は入院してから手術日と次の日を除いては「ご飯の後は8時まで、1時まで、7時まで立っていよう!」を実行しました。その他の時間もおしゃべりする時はたっていたり、足踏みしたりと努力を重ねていました(笑)。
4月23日日曜日  
  点滴あり。今日のイベントはやはり「ガーゼ抜き」!しかし、ガーゼを抜いた後の方が鼻の重みが抜けて楽になるので、痛いのは一瞬さ!と楽しみ(?)に待つ。夜8時のガーゼ抜きは無事済んで、先生が紙にボールペンの赤と青を使って、私の受けた手術の内容を細かく丁寧に教えてくれた。とてもわかりやすかった。同じ部屋で次に手術を受けるOさんの「(手術後に)ジェットコースターに乗っても良いですか?」(彼女はジェットコースターマニアなのだ!)という質問に先生は「乗っても良いけど、ジェットコースターから飛び出しちゃだめだよ!」という謎の回答をした。そこには(それはボケなのか?それともつっこみなのか?ここで突っ込んだ方がいいのか?それとも知らんふり??)とまどう私としょうがなく笑う看護婦さんたちがいました(笑)。
4月24日月曜日  
  「今日で終わりですからね」といわれて点滴が始まった。
4月25日火曜日  
  なにも特にやることがない。もっと検査がたくさんあると思っていたが、編み目の検査と視力検査だけだった。
4月26日水曜日  
  なにも特にやることがない。毎日の診察だけだった。先生のJrの話で盛り上がった(笑)。
4月27日木曜日  
  検査があって時間がつぶれた。MRIもとった。金魚の検査もあった。今日明日と退院の人がたくさんいて病室がどんどん空いていく。退院する人が病室まで来てくれて、あたしゃ〜〜なにもしてないのに「有り難う」を言われて恥ずかしい。なにか私、感謝されるような事したのかな??ただ同じ病気の人としてみんなのお話を聞かせてもらっただけなのにな。でも、それが役にたったとしたらそれはうれしいな。
4月28日金曜日  
  よっしゃ〜〜退院だぁ〜〜「お昼ご飯はいりません」と言って看護婦さんに「ラーメン?」と言われた、何でわかったんだ??(ってきっと自分でしゃべったんだな、笑)。いつも精算が遅くなるので(前回もそうだったし、みんなそう言っている)、従姉妹には昼過ぎに待ち合わそうと言っておいたのに、10時すぎに終わってしまって、もう退院オッケーになってしまった。荷物は宅配便で着払いで事務所に頼めるし、梱包用のガムテープももらえます。なんでもかんでも段ボールに入れて、リュックの中は財布とMDと薬ぐらいで身軽になって、さあ、退院だ!!!今回は立っている努力をしていたので、あるいてもふらふらしないよ!

次回の診察の予定を入れました。手術後なので院長先生か、副院長先生の診察を受けなければならないみたいです。耳鼻科の診察は池袋からバスにのって板橋にある病院まで行くか、もう一つの病院はここの病院から近いところにあるそうです。でも、私の手術をしてくださった先生はその遠いほうにいるので、今度の診察もそこまで行く予定です。瞼の手術の予定はまだ何の連絡もありません。

手術後はステロイドのおかげもあって今よりももっと目が引っ込んでいました。今は少しその時よりも出てきているな〜〜(これが本当の目が出てふくらんで〜〜だな〜〜って笑った私)と思います。でも、手術前に較べたら考えられないぐらい目が楽です。見た目はやはり「ちょっと出目金」かな?でも、私はもともとが出目金っていわれていたような目が大きい顔だったので、大手目金からちょっと出目金に変化できたのでとてもうれしく思っています。去年の春の写真をみると(特に横顔)目のたま全体が顔の輪郭から外に飛び出た感じでした。それに較べたら今はまた、別人のようです。

同じ病室に緑内障の検査で入院していたおばあさん(と呼ぶには若かったがもう孫がいるそうだ)は、バセドウ病歴ン十年だが、「若いころはもっと目が出ていたのよ〜〜、でも、年とともにだんだん引っ込んできたのよ」と言っていた。その言葉は私のちょっとした希望になった。私の目もこれ以上ひどくならないように、年と共におさまってくれますように、、と、毎日祈っています。

あ!そうだ、手術と入院の費用ですが、最初(手術宣告を受けて申し込んだ時)は片目40万円(患者負担3割)と言われました(両目で80万円)。で、先日請求書が来たら2枚あって一枚目は約40万、二枚目は約30万になっていました。その2枚の違いは一枚目は「患者負担3割」の40万、二枚目は「患者負担10割」つまり「実費」の30万だってことです。これについて病院に問い合わせたところ「眼科に耳鼻科と麻酔科の先生が来るから」と「最初に実費がかかると説明したつもりでいたこちらのミスです」と言われました。「これ(二枚目の請求書)で高額療養費の払い戻しは受けられるんですか?」と聞いたところ「自治体や組合によって違うので問い合わせて下さい」と言われました。今度は役所に問い合わせましたらやはり3割のほうしか払い戻しは出ないとの回答でした。これはちょっとショック。この二枚目の請求書は確定申告の医療費控除にしか使えません。このままでは瞼の手術は貯金不足で延期になるかな〜〜(笑)と思う毎日です。
それでは、これで終わりにします。これからもどんな小さなことでも伝えたいと思っています。何でも答えます。これを書けて良かったと思っています。去年の夏にココにカキコしていなかったら、手術を受けてこうして突撃レポートを書いている自分はいなかったのだと思うと感慨深いです。大家さん、皆さん、いつもどうもありがとう。どんなにたくさん有り難うを書いても足りないと思っています。

それでは、おわります。ふぅ〜〜お疲れさま。
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