コミュニケーション > 患者さんの手記
[017]
[017]
甲状腺良性腫瘍の手術レポート
. Dr.Tajiri's comment . .
. このレポートを書いてくれたのは、ニックネーム「ななみっちさん」です。 .
. . .
2001年春。偶然にも、甲状腺に腫瘍が見つかりました。
病気に対しては、一言では言い表せない複雑な思いがありますが、きっと、こうなるように、病気がうまく見つかるようになっていたんだと思っています。
まさか、この私が入院するなんて…、手術するなんて…!
10年以上前に兄が盲腸の手術をして以来、病気とは殆ど縁のなかった家族にとって、ちょっとした嵐のような出来事でした。
他の方のレポートように、細かい数値とかはありませんが、シコリの発見から、今現在までまとめてみました。
シコリの発見・検査編 4月5日水曜日
人生初めての入院・手術編 毎年悩まされている花粉症の症状がいつもより重く、治まる兆しもない。職場のすぐ近くの病院は、ちょうどその日の診察がなかったので隣町の町立病院の耳鼻咽喉科を受診。耳鼻咽喉科にいくのは約10年ぶりだ。
症状を話して処置してくれた後、初診ということで耳やら喉やらを見てくれたが、首に手をやると、

先生 鏡を見て何か気が付きませんか?
別に何も気になりません
先生 右の甲状腺が腫れていますね。ほら、グリグリあるでしょ?触ってみると、確かにグリグリが!!
あっ、ほんとや
先生 検査をしたほうがいいですね。採血をして(花粉症の)アレルギー検査をするので、一緒に甲状腺の検査もしましょうか?少し費用かかりますが…

どうせ血を採るんならと検査してもらうことにした。

家で鏡を見ながら、ゴックンとしてみると、確かに上下に動くものがある。あぁ、そういえば、前からあったなぁ、これ…、と思う。でも、腫れを指摘されるまで、それがそうだとは、全く気付いていなくて、普通にあるものだと当たり前のように思ってきていた。
#
4月11日火曜日
エコー(超音波検査)。
エコーをとるのは初めてだったので少し緊張。つばを飲み込まないよう注意されていたこともあったと思う。
その後、診察室に戻り、この前の血液検査の結果からは何も悪い数値が出ていないことを告げられる(ちなみに花粉症は杉・桧にアレルギーがあることがわかった)。エコーでとった写真を見せてもらい、やはり何かあると指摘。大きさは1.5センチ×2センチ。見たところ悪い種類のものではないと思われるけれども、念のため今後CT検査と細胞診(穿刺吸引細胞診)をするといわれる。
#
4月13日木曜日
CT検査。
実はこの週の初めから微熱が続いていたので仕事を休み、どうせCT検査で病院行くからと内科を受診した。待っている間、こんな状態で造影剤を打っても大丈夫か気になったので耳鼻科に相談すると、「どうしても心配なら日延べしてもいい」というので、そんなら大丈夫だろうと思って、検査してもらった。同意書の文面に『造影剤を投与すると熱感がある』とあって、密かに「どんな感じだ?」と疑問をもっていた。で、実際に造影剤を打つと上半身が少し熱くなって、おぉ、こんな風に血が流れてるんだなぁと感じた(微熱の方は結局、何か分からず、尿とかレントゲンも異常なし。家に帰ると熱もひいて体もスッキリしていて、精神的なもの(ストレス)と勝手に思うことにした)。
#
4月20日木曜日
CTの結果を、写真を見ながら説明された。
「この黒く写っている部分がデキモノです。考えられる病名は良性の甲状腺腺腫。腫瘍ですね。ただ、これは写真を見ての判断だから、更に細胞を取り出して検査します。点滴する時みたいな針をチクッと刺して細胞を取り出しますよ」フムフムと聞いていると「何か、分からないこととかありますか?」
分からないことといわれても、何をきいていいのか、それが分からない。知識がないから。
『腫瘍』という言葉を聞いて、別にショックとかそんな感じではなかったけれど、なんとなく、不安。母方の伯父2人が癌で亡くなったことをふと、思い出す。
#
4月25日火曜日
細胞診(穿刺吸引細胞診)。
最初にエコーを撮った。大きさは変わっていないよう。
つづいて、いよいよ細胞診。
「緊張していますか?少しチクッとしますよ。それから、つばとか飲み込まないで下さいね。どうしても動いてしまいますから」思ったよりも痛かった。チクッというのがずっと続いているような感じ。「終わりましたよ」と言われても、まだ何か刺さっているような感触が残っていた。針のあとには、小さなリバテープ。スカーフを巻いて見えないようにカバーしたつもりが、見えてしまう。スカーフで覆いにくい所ということもあるのだろうけど、多分、意識してしまうから余計に目につくのだろうと思う。
細胞がきれいに採れたこと、今日のお風呂は入らない方がいいことを言われる。飲みきりの抗生物質を出してもらった。
結果が出るまで10日ぐらいかかるらしい。GWに入るし、仕事も忙しいので、いつ来ようか迷いながら帰った。
#
5月11日金曜日
いよいよ細胞診の検査結果。母が「ついていかなくていいの?」と聞いてきたが、いらない、と断った。なんとなく、あまりいい結果じゃないような気がしていた。
先生は、結果が書かれた紙を私にしっかりと見せてくれた。そこには3aとある。なんだろう3aって?と思っていたら、
「5段階のうちの3番目、真ん中ですね。悪性とは出ていませんが、判断のつきにくいところです。癌ではありませんよ」と先生。必死で検査結果の紙を見ていたら、『3a…良性に近い』という文字が見えた。悪性じゃなかったと少しホッとするも、もしかすると悪性かも知れないんじゃないの?と思うとどうしていいか、どう返事(相槌)したらいいか分からなくなった。

先生 3センチを超えた大きさになってくると気道なんかを圧迫してくるので、食べ物を飲み込んだりするのにも、つかえる感じがしたりしてきます。それに首の細いところに大切なものが沢山入っていますから…。○○さん(私の本名)の場合、幸いまだ2センチほどですから、まだそんな感じとかしないでしょう…。それで…今後なんですが、何ヶ月に1回とかでエコーをとって経過を見ていくか…思い切って手術するか…です。どうされますか?
(すぐに返事ができない…)

別の病院で見てもらうのもいいよと言われてるんですが…。
別の病院で、というのは父が強く望んでいて、甲状腺の腫れを指摘された当初から、何度も言われていた。父には「今は検査中だから、今の結果でてからでもいいでしょ」とその度に言ってきた。

先生 もちろん、それはひとつの手段としてよいですね…。先生によって、どうしたらいいということについてのニュアンスも違うと思います。どこか考えている病院があるんですか?
いえ、特には…
先生 そうですか…。別の病院を受診されるなら言ってくださいね。…このまま、放置することはダメですよ

先生もどうすべきかはっきりと言わなかった。あくまで私の意思重視といった感じ。でも、あまりに返事をしない私に先生がはっきり言った言葉、「早い段階で発見できたことは進歩ですよ。そう思ってくださいよ」には、大きく頷けた。
結局、返事をせずに職場へ出勤。家に帰るまで泣きっぱなしだった。そんなにショックを受けた感じではなかったのに、どうしてか、泣けてきてしょうがなかった。

両親は私からの電話では要領を得ないので、病院へ行き、話を聞いてきた。両親は先生の様子から、先生も決断を悩んでいるようだと見てとったらしい。
その夜、手術するという結論を出した。経過を見ていくのもいいけど、今後、「あぁ、ここに腫瘍があるんだなぁ。大丈夫かなぁ」と思いながら生きていくのは嫌だから。それに、気にしすぎて、胃潰瘍とかなっちゃうんじゃないかと思ったから。父が望んでいた、別の病院での診察は、もし、今の先生と違う意見を言われたら迷ってしまう、悩んでしまうと思って、止めにした。望んでいたはずの父が、「別の病院は止めておこう」といったのには少しびっくりした。
#
5月21日月曜日
母と共に病院へ。手術をお願いする。
「この前言わなかったのですが」と前置きをして手術の方法で、「脇の下から内視鏡を入れて切除するというものもあって、それは関東の方で行なっている病院がありますが、(その方法が行なわれるようになって)まだ1年くらいです。当院は首のしわに合わせて切開する方法です」と言って、首を切開するこの病院でいいかと確認された。関東は遠いし…。手術日を6月11日に決め、6月8日入院となった。2週間の入院予定。
看護婦さんにいわれるままに身長・体重を申告し、尿検査・止血・血液検査・心電図・呼吸と思われる検査・胸部レントゲン撮影。
#
5月31日木曜日
両親と共に手術の説明を受ける。
手術の承諾書の裏に印刷された甲状腺手術によってひき起こるかもしれない事(声が枯れるとか、ホルモン剤の服用とか)をあらかじめ読んでおいての説明。絵を見せてもらいながら、分かりやすく説明してくれた。声の神経を傷つけるかもしれない可能性もあると聞いて、ちょっとびっくり。手術は6月11日の午後2時開始。父が、私のこの腫瘍がずっと前からあったものかと尋ねると、「初診から大きさはほとんど変わっていないので以前からあって少しずつ大きくなってきたものと考えられます」との回答。

先生は、私が20代独身女性ということで決断をためらったこと、もし、3aでなければ(良性とはっきり出ていれば)、経過を診ていく方をすすめていた事を明かしてくれた。
手術では、糸は通常より細い糸を使うこと、術後はリザベンという薬を服用することになることも告げられる。リザベンという薬について、本来はアレルギーの薬だけど、傷が分かりにくくなる効果のある薬だと教えてくれた後、服用するかどうか、私の意思を確認。初診から診てくれているこの先生(K先生)が執刀する。説明後、体重を量る。
人生初めての入院・手術編 6月8日金曜日
  朝10時半過ぎに外来に到着。入院手続きを済ませ、病室へ。私以外はおばちゃんやおばあさんばかり。6人部屋の廊下側のベッド。病院傍の交差点に一番近い部屋で、ダンプなんかの騒音が凄い。しばらくして看護婦さんがやってきて、術後に打つ抗生物質の検査をしながら、体温・血圧、朝食はお粥かパンかとか、便通のことなど質問された。朝食はお粥にしてもらう。手術後に着るために、浴衣(寝巻)か、前開きのネグリジェのようなもの、それから尿の管を通すことになると思うので、バスタオルを2枚用意するよう言われる。手術日の付き添いのことを尋ねられ、母が付き添うつもりだと言うと、「よかったです。やはり、家族の方が付き添ってくだされば安心です」夜間の付き添いはいいのかどうか分からなかったので、ホッとした。

外来診察が終わるころ、外来へ呼ばれ、しこりの具合を診てもらった。1週間くらい前から咳が出ていて、むせて夜中に目が覚めたりしていたので、先生に言うと、うがい薬を出してくれることになった。入院計画書には手術日から5日間点滴とある。今まで点滴なんて、風邪の時に1回しただけなのに、5日間も…。『全身麻酔』の文字。分かっていたけど、やはり不安。どうか、目が覚めますように…。
午後からは何もすることがないし、翌日、翌々日は土日だから外泊することにした。
#
6月10日日曜日
うがい薬のおかげで、咳も止まった。
18時頃、外泊から戻った。荷物を整理して、パジャマに着替えた。送ってきてくれた母は「病人みたいになるんじゃないよ」と言って1時間後に帰った。しばらくして、職場の人がお見舞いに来てくれたが、まだ1時間ぐらいしかたっていないのに、いきなり病人扱いされているようで、変な感じ。更に1時間後、同室のおばちゃんからメロンをもらって食べる。「飲み物は寝るまで、食べ物は夕食まで」と言われていたので、もう絶食しているつもりだったが、誘惑にまけ食べてしまった。というより、瞬間的に忘れてしまった感じが強い。 看護婦さんに用意したネグリジェ風のパジャマとバスタオルを渡す。
21時、就寝。暑くて暑くて寝付けず、交差点で停止・発信する車(特にダンプ)の音にも悩まされ、熟睡もできなかった。
#
6月11日月曜日
手術当日。眠気と空腹が襲ってくる。
8時半過ぎ、母がやってくる。
9時頃、主治医の先生(K先生)がやってくる。「緊張していますか?」と問われて、なんとなく「う〜ん、少し…」と答えたけども、本当は眠くてしょうがなかった。しばらくボーッとしているうちに眠ってしまった。
11時頃から点滴開始。
13時頃、看護婦さんにトイレへ言っておくように促され、念をいれて2回赴く。
このHPの患者さんのレポートを読んで、手術室までは歩いて行くものとばかり思っていたのに、ストレッチャーがやって来て、看護婦さんが、「これに乗りますよぉ」と満面笑みで言うのでびっくり。ストレッチャーに乗せられ、肩に注射を打つ(安定剤かなぁ)。この時点で、点滴を刺している方の腕(私の場合、左腕)の袖を抜いた状態でパジャマを着ていたが、いつ手術着に着替えるのか、と疑問のまま、なんとなく眠くなってきた。
看護婦さんに「眠くなってきたかなぁ」と問われて、「はい」と答えると「じゃ、行きましょうか」とガラガラと運ばれていった。多分、13時30分頃だったと思う。手術室の傍には待つ場所が無いので家族は病室で待つように言われていたが、母がついて来ていた。エレベーターに乗るまで、「大丈夫やからな」と2度ばかり声を掛けてくれたが、少し恥ずかしかった、ドラマみたいで。

手術室の中と思われるところで、あれよあれよという間に手術着を着せられる。麻酔の先生が「麻酔師です。緊張していますか?嫌ですよね、手術って」と声を掛けてくれた。でも不思議と緊張はなかった。両手両足を固定する。心電図のようなものや、左手の指に洗濯バサミのような計器をつけたり、たしか、右腕に血圧計のようなものをつけていたように思うが、はっきり覚えていない。

麻酔の先生 主治医の先生は?
看護婦さん 先生は着替え中です
麻酔の先生 じゃぁ、麻酔かけましょう

私としてはドラマなんかでよく見る手術着姿の先生を生で見れると期待していたので、先生が来るまで待ちたかった。残念だ。
多分、注射のようなもので麻酔をかけられたと思うが、しばらくして、「眠くなりますよぉ」と言う声が聞こえて、自然に目が閉じていった。

気が付くと本当に病室だった。17時半ぐらいだったらしい。
兄の話によると、病室の前でもう、うっすら目を開けていて、「寒い、寒い」と言っていたようだ。顔も足も真っ白で、電気毛布を入れてもらって、ようやく血色が戻ってきたらしい。私の記憶としては、「手術終わりましたよぉ」とか「○○さぁん(私の本名)」「○○ちゃぁん」という声がいっぱい聞こえて、目がさめたというより、無理やり目を開けた、という感じ。瞼が重たかった。私の足元で、両親と兄が、私から取り出したものを見せてもらいながら説明を受けている気配があった。私も見たい〜!!

すごくトイレに行きたくなって、「トイレに行きたい」と叫ぶように行っていたと思うけど、声は出ていたのだろうか。母は「管ついてるから、そのまましていいよ」と言うが、意識が朦朧としながらもその言葉にショックを受けた。

先生に「目を開けてください」と言われて、目を開けて、先生の質問にも答えたけれど、声が出ていなかったように思う。それから、視界がはっきりせず、先生の顔も、両親の顔も、兄の顔もぼんやりとしか見えなかった。この時の視覚が覚えているのは、兄が紫色の服を着ていたということだけ。他はぼんやり。両親の顔がはっきり見えたのは、夜中だったと思う。

気分が悪くなってきた。吐き気がすごい。吐き気は翌朝まで続いたが、何も出るものがないので、自分で指を突っ込んで無理やり吐いた。両親が交代で起きていたらしく、吐く度に背中をさすってくれていた。何度も体を動かすので点滴の管がよじれて、点滴が止まったりしていた。レポを読んでいた限りでは、動けなくてつらくて長い夜を想定していたが、私は吐き気でつらくて長い夜だった。何度か吐き桶を抱えながら眠っていたようだ。熱も出ていたので、看護婦さんに水枕を作ってもらい、吐き気止めの薬も点滴に入れてもらった。水枕はうまく首の下に入らないと首が痛くてしょうがなく、何度も「もっと、この辺に置いて!!」と母に訴えていた(ボディランゲージで)。
#
6月12日火曜日
朦朧としたまま朝がきた。吐き気も漸く落ち着いてきた。父は明け方帰ったらしかった。廃液の管に気がつき、驚いた。なんじゃ、この赤いのはぁぁぁ!!

しばらくして、朝食。お腹は空いていたが、吐き気がするのであまり食べなかった。この時、手術後初めて起き上がったことになる。横向きになって、ベッドの柵を両手でつかんでゆっくりと起きた(この起き上がり方は、1週間くらい続いた)。でも、頭が重く、首や肩、背中に力が入って起きているのがつらい。
この日から飲み薬(3種類)とうがい薬が出た。看護婦さんは「しっかり、“うがい”してね」と言うが…。うがい薬って…上、向かれへんやん…。でも、一応、口をクチュクチュ程度でもしておこう…。
主治医のK先生が休診の日だったので、別のM先生(手術に立ち会っていた先生)が回診にやってきて、吐き気のことを少し話した。まだ、ボーッとしていた。

看護婦さんに尿管をはずしてもらった。でも、点滴が続いていたのと、廃液の管をつけていたのとで、その姿のままトイレに自力で行く自信がなく、点滴の針が外れるまで(その日の午前中で外れた)トイレに行くのを我慢していた。熱は続いていたので、引き続き水枕を作ってもらった。

昼食からしばらくして外来に呼ばれる。その時にはじめて、自分の姿を鏡で見たと思う。大きなガーゼがしっかりと首から胸元にかけて張られていて、廃液の管と入れ物を持ち、髪もしっとりボサボサで、よたよたと歩く自分。頭を真っ直ぐすることができず、やや前のめり。見るからに異様。階段を上り下りする自信がなくエレベーターで診察室へ。
「“えー”と言ってみてください」といわれて、「えー」と言ってみたが、かすれてほとんど声は出なかった。ガーゼを交換してもらい病室へ戻る。
眠いのと体に力が入るのとで、寝てばかりいた。
午後、点滴。

夕方近く、水枕の氷が解けて、ぐにゃぐにゃと安定が悪く、かえって首が痛いので、枕無し寝ていた。元々あった枕は、退院するまで使わなかった(バスタオルを適当な高さになるように折って、枕代わりにしていた)。この日一日ヒソヒソ話のような声しかでなかった。
母にお粥を食べさせてもらったり、体を拭いてもらったり、まるで甥(1歳6ヶ月)のような一日だった。
#
6月13日水曜日
朝食が進まない。お粥がまずくて、匂いを嗅いだだけで吐き気がする。まるで、つわりのひどい妊婦さんのようだ。父に味塩を買ってきてもらったり、おかずをお粥に混ぜてみたり、なんとか食べるように努めたが、無理。さらに首、背中が筋肉痛。

8時ごろから点滴。9時頃、K先生が回診。
12時頃、外来でガーゼの交換。先生は「傷見てみますか?」と、ややためらいがち(?)に尋ねてくるも、「見たいです」と即答した。廃液の管がどうついているのか興味津々。
傷は少々グロテスクに思えたけども、目が悪いので、ボヤーとした感じにしか見えなかった。期待した廃液の管は、傷の端っこに普通に差し込まれているという感じ。引っ張ったら、シュルシュルと抜けるんじゃないかと思った。
先生は切開部分が普通より小さめであること、縫合の糸は細いものを使ったことを説明してくれた。切開部分のことについては、私がまだ若いので、皮膚が伸びやすいから切開が小さくても十分だったと教えてくれた。また、私が不安がらないように、傍にいた看護婦さんにも「普通より小さめですよね」と同意を求めてくれたりしてくれた。気休めかもしれないけど、その心遣いがうれしかった。

15時ごろから本日2回目の点滴。
17時ごろ、K先生回診。母が、私がお粥をマズがって食べないことを先生に申告すると、「もう、何を食べてもいいので、好きなものを食べてください」といわれる。先生に、「傷をみてどうでした?」と問われて、思わず、「ショックといえばショックだった」と答えてしまった。グロテスクで…と付け加えればよかったかなと少し後悔。なんとなく先生の表情がくもったように見えた。

看護婦さんに「ご飯に変えてほしい」というと、「まずいから?」と直球で聞かれて、びっくり。「はぁ、ええ」と答えるのがやっと。ただ、翌日の夕食からしか変えられないと知り、ちょっとショック。

傷を見てから廃液の管がとても気になって、本当に取れないか軽く引っ張ってみたりしていた。前日に比べ、声はだいぶ回復してきて、ホッとする。
まだ、体が重いような感じがしていたが、母の付き添いが無くてもいいように、何でも自分でするようにした。食事の片付けとか、母がしようとするが、そこで甘えてしまうとズルズルとなってしまいそう。
#
6月14日木曜日
やはり朝食は進まない。
8時ごろから点滴。9時頃、K先生、回診。
12時ごろ外来へ。いよいよ廃液の管をはずす。「抜いたらだいぶ楽になりますよ。入れ物を持たなくていいし…。少し痛いですよ」というが、…痛いことに変わりはなかった。抜けていく感覚を味わう余裕がなく残念だった。ガーゼを交換して、おわり。テープの位置を少しずつ、ずらしてくれてはいるが、ややかぶれ気味で痒い。声は回復。
職場に提出する診断書を書いてくれるよう、お願いした。初診の時に職種は事務と申告してあるが、もう一度確認された上、「重いモノを運んだりする仕事はしますか?」と先生。
たまに書類整理で運ぶことはあるけれど、ごく稀なので「いえ、特には…」と返答。この時は、重いモノは持っちゃいけないのかな…と思っていたけど、実際、首に力が入って持てないことが、数日後に分かる。

15時ごろ、点滴。
診察時にお願いした診断書が手元に来た。『退院後、しばらくの間、療養』とある。いつまで仕事を休もうか、悩み始めた。
18時ごろ、待望のご飯の夕食。
19時ごろ、K先生の回診。「翌日の診察で、抜糸する予定です。少し早いと思うかもしれませんが、遅くなればそれだけ糸のあとが残ってしまいますから」
廃液の管も外れたので、母の夜間付き添いも終わった。外来まで行くだけで、足が筋肉痛になりそうで、動くのが億劫になりがちなので、このまま付き添いが続くと本当にズルズルと甘えてしまいそうだった。
#
6月15日金曜日
入院時に朝食はお粥と言っておいたけど、「まずい」と言ったからか、パンになっていた。
7時50分頃から点滴。9時頃、主治医のK先生、回診。
10時ごろ、子宮検診に来ていた職場の先輩が病室にやって来て、1時間ぐらい話し込んだ。
12時過ぎ外来へ。いよいよ抜糸。「廃液の管を抜く時ほど痛くはない」という…ホントだった。抜きながら、「さすがに糸細いですね〜。手術室の照明とは違いますから…」と、抜きにくそうだ。消毒して、細かいテープを傷に張る。貼る前にスプレーをしていたけど、それが沁みた。細かいテープの上に更にガーゼでガード。
15時ごろから、最後の点滴。

外泊から戻って、初めての洗髪。看護婦さんの詰め所の流し台へ連れて行かれ、「え?ここで?」と思っていたら、ちゃんとシャワーもついていて、懐かしい散髪屋さんを思い出した。

19時ごろK先生の回診。 看護婦さんが「ガーゼ小さくなって楽そうになったね。抜糸したんだよね」と言うので、「パカッと開いたらどうしよう」と返したら、笑われた。でも、ホント不安。ガーゼは小さくなってうれしいけれど、ただ、お風呂に入っていないので、特大ガーゼのテープのあとが残っている。毎日、体を拭く時になんとか取ろうとしているけれど、思うように取れてくれない。特大ガーゼは毎日少しずつ小さくなってきていたので、テープ部分の位置も変わってきていて、あちこちにあとが…。手強いぞ。
#
6月16日土曜日
外来は土曜日の交代制で、K先生は休み。
12時過ぎ頃、M先生に消毒・ガーゼ交換してもらう。午後から、立て続けにお見舞いがあり、退屈しのぎになった。兄夫婦と甥(1歳6ヶ月)がやって来た。甥を抱っこしたかったので、試みてみたけどできなかった。首に力が入って…。普段こんなに首の力を使っていたとは知らなかった(首ってスゴイ)。兄と、この病気について少し話をした。入院する2週間前に両親から私の病気のことを聞かされて、インターネットで情報を収集していたらしく、よく知っていた。最近は『家庭の医学』ではなくて、インターネットなんだねぇ。
#
6月17日日曜日
日曜日ということで、回診も外来もない1日。同室の方たちへのお見舞いがひっきりなし。ご飯を食べる以外は何の楽しみもなく、資格取得の勉強に励んでいたつもりが昼寝。夕方、近くに住む伯母さんがやってきて、私の入院・手術を2〜3日前に聞いたばかりで、「もう、びっくりしたわぁ…」とのたまって帰っていった。
#
6月18日月曜日
9時頃回診。
廊下で看護婦さんに急に呼び止められ、「髪の毛洗わない?」というので、お願いすると「学生さんに洗ってもらってもいいかな?」。今さら嫌とも言えず、承諾した。なんか物足りない感じがしながらも、看護婦さんの卵だからと、普段しないリンスまでしてもらった。

12時ごろ外来。消毒してもらった後、退院について、尋ねられ、大安で夏至の6月21日を希望した。
午後から義姉と甥(1歳6ヶ月)と義姉のご両親がお見舞いにきてくれた。ご両親はたまたま仕事が休みだったからといっていたが…申し訳ない気持ちだった。入院患者とはいえ、こんなに元気で、ちっとも病人の顔じゃないのに…。

この日、同室に交通事故に遭ったというお姉チャンと、今日外来にきて即手術という人が入ってきた。即手術の人がストレッチャーに乗って横になっているのを見ると1週間前の自分を思い出してしまう。交通事故のお姉チャンは頭にネット、顔は擦り傷だらけだったけど陽気な人で、そのお父さんがさらに輪をかけて陽気な人で、皆、爆笑させられていた。
夕方、看護婦さんに明日からの薬をいただいた。3種類が2種類になっていた。抗生物質とリザベン。

19時ごろ回診。退院後の初診察は6月29日に決まった。
人間の回復力とは凄いものだ。手術から数日は歩くのも少しふらふらしていたのに、今ではすぐ疲れることを除けば、全く普通。近くの病室にいる患者さんの付き添いの人にも、「初めはだいぶ、しんどそうやったのに、元気になったなぁ」といわれるほど。自分でも、びっくりだ。
#
6月19日火曜日
主治医のK先生がお休みなので回診なし。
12時ごろ、M先生に消毒してもらった。その際、ガーゼをするかどうか尋ねるので、お願いすると、「この(細かい)テープだけやったら、なんか、他の人びっくりしそうやもんな」といわれ、私が他人でも、じっと見るよなぁと妙に納得していた。
消灯後から雨風がひどくなり、雷で何度も目がさめ、あまりの恐怖からか、地震に遭う夢を見た。怖かった。
#
6月20日水曜日
どうも、寝ている間にガーゼ付近を掻いているようだ。そんな手応え(?)があった。

9時ごろ回診。
12時ごろ外来で消毒。傷跡に貼っている細かいテープは、今後傷が目立たないようにするためのもの。はずれてもいいけども、病院にしかないテープだから、取れてしまって張るときは病院へ来るよう言われる。

それから、病理の結果。退院するまでに伝えられるかどうか分からないと言われていたのに、「早く知らせたかったので」と教えてくれた。
取り出した甲状腺の輪切り写真を見せてもらい、書面も見せてもらった。特にあちこちに広がっていく種類のものではなく、判別のはっきりしにくいところでもあるが、良性。いい結果だ。今後は血液検査と傷の様子を見ていく。

午後、すっきりしたところで、洗髪してもらった。髪を乾かしているところへ職場の先輩方が大きなお花をもってお見舞いにきてくれた。あまりの大きなお花に看護婦さんも、「きれいなお花ねぇ。明日退院やのになぁ」。でも、うれしかった。

19時過ぎ頃、回診。入浴について聞いてみると、別に入ってもいいし、傷のところがぬれてもいいという。ただ、傷のところは水気をタオルで抑えるようにして拭くらしい。
今夜が最後のお泊り。病室ではじめて過ごした夜には、ダンプの騒音にかなり悩まされたが、不思議なことに少しも気にならない。いつのまに慣れてしまったんだろう?
#
6月21日木曜日
ついに退院日。8時過ぎに両親が来て、ゆうべのうちにまとめた荷物を車に運んでもらった。
9時ごろ回診後、すぐに外来へ呼ばれる。前日におしえてもらった病理の結果を両親ともでもう一度聞く。良性ときいて両親も安心。「手術した右側の経過と、反対の左側についても、私が今後気をつけてみていきます」と先生の言葉を聞いて更に安心した。

テープの交換と消毒。ガーゼでガードもしてもらった。細かいテープは、「退院する時にもう、しない人もいますが、誰しも傷はきれいに治ってほしいものだと思いますので」と先生。私もそう思う。
病室で着替えてお化粧をすると、同室の患者さんや付き添いの人たちに、「あぁ、やっぱり服着たらチャンとするねぇ」と言われ、恥ずかしい。じゃぁ、ここにいる間はチャンとしてなかったのか?私…。

10時ごろ会計を済ませて、病室を出た。退院できるとはいえ、病室を出て行くのは少し寂しかった。脳外科で入院しているおばあさんは便器に座りながらも、自由の利く左手を振ってくれた。
退院後から現在まで編 6月27日水曜日
平成13年6月22日〜
平成13年8月29日

人生初めての入院・手術編
職場復帰(体力に大いに不安が残っていたが)。
#
6月29日金曜日
退院後、初の診察。首を触り状態を見ている様子。細かいテープを外し消毒して、傷を見せてもらった。ずっとテープの上から黒い筋が見えていて、こんなにはっきり残るものなのかと少々心配になっていたけれど、それがカサブタだったことを知った。テープを外すとほとんどが取れて、一部にカサブタが残っていた。「このテープは別にしなくてもいいものだけど、どうしますか?」と先生。まだグロテスクな感じなので貼ってもらった。手術の時の呼吸器の影響で、喉がまだ少し荒れているらしい。自分では、もう普通だと思っていたのに…。私ってホントに鈍感というか、自分に関心が無いというか…。次回、血液検査。
#
7月13日金曜日
診察前に血液検査。
傷の具合を見せてもらった上で、再度テープをお願いした。傷はきれいになってきている。先生も笑顔。
#
7月27日金曜日
血液検査の結果。どれも正常値に入っていて、安心。
テープについて。実はもう、外してもらおうと思っていたが、鏡で見せてもらうと、やっぱりもう少し…と思う。

先生 もう少し貼っていてほしいと思っているのですが…。どうしますか?
僕ら(男の人)が思う傷と、女の人が思う傷とでは、感じ方が違うと思うし…
じゃあ、お願いします
先生 いや、別に無理にじゃなくていいんですよ
あー、いや、実際に傷を見てしまうと、もう少しって思うんです

と、いう訳で貼ってもらった。首を触って、硬くなっている部分も少なく、良好らしい。
#
8月17日金曜日
かぶれていた。どうも、最近、痒いと思っていたんた。寝ている間に掻いてしまってテープが外れないように、首にタオルを巻いて寝ていたけれど、どうも、掻いてるなぁという痕跡があったから、やっぱりか…て感じ。

先生も「本当は、もう少し貼っておきたいんですが、かぶれてますしね、もう止めましょう。かぶれて赤くなっていますが、注目してもらいたいのは、ここ、切開したところですよ。3週間前に見せてもらった時よりきれいになってきています。塗り薬を出しておきますね」
鏡でみせてもらって、びっくりした。全体的に赤くなって、赤いポッチもでている。ぐっ…グロテスク…。
今日現在、かぶれも治まってきています。ただ、テープを貼っている時よりも、傷の辺りが目立ってしまうので、職場では、制服のブラウスを着ずに、自前のブラウスで首をガード。擦れてしまうのか、痒い。

生まれてはじめての入院・手術。入院前は不安だらけで、人にやさしくされるだけで泣いていました。でも、手術をして本当によかった。もし、今年の花粉症が軽かったら…、もし、病院へ行くのを我慢してしまっていたら…。病院嫌い、薬嫌いもほどほどにしないといけませんね。でも、この病気になって、あの自分の異様な姿を見てからは、病気の人に対する見方が変わったように思います。それを思うと病気もマイナスではなかったと思うのです。

私が手術をした病院は、大きくもなく有名でもない病院で、主治医も若い先生で正直言って不安でした。別の病院を受診せずに手術に踏み切ったことも不安でした。でも、主治医の先生には親切に対応してもらって、今では、主治医が同じで同室に入院していた人が「あの先生はなかなか大した先生だよ」と言っていたのがなんとなく分かったような気がします。

すごく不安だった時、なんで私だけ…と苦しかったですが、このホームページに出会って、色んな症状を抱えた人がたくさんいて、そして、とても前向きなことを知って、気持ちを立て直すことができたと思います。つたない文章ですが、同じ病気で悩んでいる方の参考になれば幸いです。
もどる