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約100年前、正確に言えば1891年のことですが、イギリスの医師ジョージ・ミューレイがヒツジの甲状腺抽出物を注射して、治療に成功した重症の甲状腺機能低下症の患者についての情報を発表いたしました。これは新しい時代の幕開けであり、甲状腺機能低下症の患者はもはや重篤な、弱って何もできなくなるような症状に悩まされたり、時にはこの病気で死ぬことからも免れるようになったのです。ミューレイ医師の報告の後、他の人も甲状腺の抽出物をそのまま、あるいはパンとバターと一緒に(甲状腺サンドイッチ)、または“軽く油で揚げる”などの形で経口的な投与を試みました。
1898年までに、新しくできたジョンーズホプキンス病院の内科医長であったウィリアム・オスラー卿、おそらくアメリカでもっとも有名な医師だと思われますが、彼は次のようなことを書いております。
“我々が絶望的な粘液水腫の犠牲者の生活を元どおりにすることができようになったことは、実験医学の勝利である。…結果は驚き以外の何ものでもない。あらゆる治療法の中でこれに匹敵する程のものは何もない”
20世紀初頭に、化学者は動物の細かく刻んだ甲状腺の取り出し方と錠剤として服用できる活性抽出物の作り方を見出しました。これは“乾燥甲状腺”と呼ばれる製剤で、今日でも一部の患者にまだ使われています。1920年代に、甲状腺内に存在する主な甲状腺ホルモンであるサイロキシンの構造が解明されました。しかし、今日いちばん多く患者が使っている甲状腺ホルモン補充剤である、合成甲状腺ホルモン剤は1950年代まで商品化できませんでした。
1950年代半ばに、トリヨードサイロニンまたはT3と呼ばれる2番目の甲状腺ホルモンが発見されました。T3は、サイロキシンには4個ヨード原子があるのに(短縮してT4と呼ばれます)、3個しかヨード原子を含まないためにそのように名づけられたのです。T3が体の代謝を整えるのに、T4自身よりも活性が高いことがわかってから、一部の製薬会社は患者が両方のホルモンの効果を得られるように、T4とT3の両方を含む甲状腺ホルモン錠の生産を始めました。
しかし、1960年に体が毎日作り出すT3の80%は甲状腺から生じるものではなく、T4からヨード原子を1個取り除いて作られることが発見されました。このT4からT3が作られる“変換プロセス”は主に肝臓で起こりますが、他の組織内でも同様のことが起こっています。今では、甲状腺では体が1日に必要とするT3の約20%だけが作られるということがわかっています。T3がT4からできることがわかってから、T4とT3をどちらも含んでいる錠剤は好まれなくなりました。患者が純粋なT4を飲めば、患者自身の体がその人に合うようにうまく調節して、T4をT3に変えるであろうということに医師が気付いたのです。 |
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