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[005]
患者さんとの橋渡し【Bridge】 Bridge; Volume 8, No2

19:甲状腺機能低下症の最良の治療法は何でしょうか? / David S. Cooper, M.D.

過去を振り返って見ましょう
約100年前、正確に言えば1891年のことですが、イギリスの医師ジョージ・ミューレイがヒツジの甲状腺抽出物を注射して、治療に成功した重症の甲状腺機能低下症の患者についての情報を発表いたしました。これは新しい時代の幕開けであり、甲状腺機能低下症の患者はもはや重篤な、弱って何もできなくなるような症状に悩まされたり、時にはこの病気で死ぬことからも免れるようになったのです。ミューレイ医師の報告の後、他の人も甲状腺の抽出物をそのまま、あるいはパンとバターと一緒に(甲状腺サンドイッチ)、または“軽く油で揚げる”などの形で経口的な投与を試みました。

1898年までに、新しくできたジョンーズホプキンス病院の内科医長であったウィリアム・オスラー卿、おそらくアメリカでもっとも有名な医師だと思われますが、彼は次のようなことを書いております。
“我々が絶望的な粘液水腫の犠牲者の生活を元どおりにすることができようになったことは、実験医学の勝利である。…結果は驚き以外の何ものでもない。あらゆる治療法の中でこれに匹敵する程のものは何もない”

20世紀初頭に、化学者は動物の細かく刻んだ甲状腺の取り出し方と錠剤として服用できる活性抽出物の作り方を見出しました。これは“乾燥甲状腺”と呼ばれる製剤で、今日でも一部の患者にまだ使われています。1920年代に、甲状腺内に存在する主な甲状腺ホルモンであるサイロキシンの構造が解明されました。しかし、今日いちばん多く患者が使っている甲状腺ホルモン補充剤である、合成甲状腺ホルモン剤は1950年代まで商品化できませんでした。

1950年代半ばに、トリヨードサイロニンまたはT3と呼ばれる2番目の甲状腺ホルモンが発見されました。T3は、サイロキシンには4個ヨード原子があるのに(短縮してT4と呼ばれます)、3個しかヨード原子を含まないためにそのように名づけられたのです。T3が体の代謝を整えるのに、T4自身よりも活性が高いことがわかってから、一部の製薬会社は患者が両方のホルモンの効果を得られるように、T4とT3の両方を含む甲状腺ホルモン錠の生産を始めました。

しかし、1960年に体が毎日作り出すT3の80%は甲状腺から生じるものではなく、T4からヨード原子を1個取り除いて作られることが発見されました。このT4からT3が作られる“変換プロセス”は主に肝臓で起こりますが、他の組織内でも同様のことが起こっています。今では、甲状腺では体が1日に必要とするT3の約20%だけが作られるということがわかっています。T3がT4からできることがわかってから、T4とT3をどちらも含んでいる錠剤は好まれなくなりました。患者が純粋なT4を飲めば、患者自身の体がその人に合うようにうまく調節して、T4をT3に変えるであろうということに医師が気付いたのです。

今の治療法は合成T4です
今日では、大多数の甲状腺機能低下症の患者が純粋な合成T4を使っています。今ではほとんどの医師が乾燥甲状腺や合成T4とT3の合剤は時代遅れであるとみなしています。これらの製剤にはT4とT3の両方が含まれ、T3はT4に比べ早く体に吸収され、使われるため、含まれているT3によって一部の患者に薬を飲んだ後、一次的な甲状腺機能亢進症の症状(心悸亢進、神経質)が起きることがあります。また、乾燥甲状腺は屠殺した動物から作られるため、錠剤の製造に使った動物のえさの具合や季節、および動物の種類により、製品のバッチ(製造単位)毎に効力が異なる可能性があります。

合成T4は今やアメリカ合衆国で頻繁に処方される上位3〜4種類の薬の一つになっています。安全で、効果が高く、しかも値段が安いのです。しかし、数多くの甲状腺疾患患者を診る医師は、ほんの一部の患者、おそらく100人に1人くらいは乾燥甲状腺かT4とT3の合剤の一つのどちらかを飲む時ほどには、純粋なサイロキシンを飲んでも気分がよくならないことに何年も前から気がついていました。

新しいT4+T3の研究
このバックグラウンド情報があったために、我々は現在にいたり、2月にニューイングランド医学雑誌に発表されたリトアニアの内分泌病診療所からの最近の考察にまでたどり着きました。これらの研究者はこう尋ねています。甲状腺機能低下症の患者は、何も知らされずにT4+T3の合剤に切り替えられた場合、純粋なT4を飲んでいる場合と同じように気分がよいのだろうか。彼らはT4をいつも通りの量か、T4を少し減らしてT3を少量加えたもののどちらかをランダムに振り分け、5週間飲むようにした33名の甲状腺機能低下症患者を調べました。どちらの場合も、ホルモンの総量は同じでした。5週間後、患者はもう片方の甲状腺ホルモン剤に切り替えられました。どちらのホルモン剤を飲むかはランダムに割り当てられたので、ある患者は最初にT4を飲み、また別の患者はT4+T3を最初に飲むことになりました。この研究は“盲検法”で行われたので、患者も医師も患者がT4を飲んでいるのか、T4+T3を飲んでいるのかを知りませんでした。

この“盲検法”は次のような方法で行われました。例えば、患者がいつも200マイクログラムのT4を飲んでいる場合、150マイクログラムのT4の錠剤とは別に50マイクログラムのT4を含むカプセル(これでT4の総量が200マイクログラムになります)か、まったく外見が同じカプセルに12.5マイクログラムのT3が入っているもののどちらかを与えます。こうすることで、150マイクログラムのT4+50マイクログラムのT4を飲んでいるのか、それとも150マイクログラムのT4+12.5マイクログラムのT3を飲んでいるのか誰にもわかりません。T3は活性の高いホルモンであるため、12.5マイクログラムのT3は50マイクログラムのT4の生物学的効果に匹敵します。

患者は気分を確かめるためのアンケートだけでなく、一連の心理学的検査も受けました。検査はT4の通常量を5週間飲んだ後とT4+T3の組み合わせを5週間飲んだ後に行われました。

T4を使った療法と比較して、T4+T3の療法ではわずかに脈拍が上がりましたが、血圧や血清コレステロールには差がありませんでした。一連の数字を思い出したり、記憶からある種の形を思い出して描くというような認知テストでは、T4+T3の組み合わせの方がややよい結果が出ました。おそらくもっと重要なのは、気分、特に抑鬱やエネルギーの低下、怒りなどの測定値がT4+T3の組み合わせで改善されたことでしょう。患者に“最初”の治療と“2番目”の治療のどちらがよかったかを尋ねた時(患者はどちらがT4でどちらがT4+T3か知りません)、20名はT4+T3の組み合わせを好み、11名はどちらが好ましいということはなく、2名はT4単独の方がよいと答えました。

結 論
これらの結果から何がわかるのでしょうか。まず、大事なことは大多数の患者が現在のサイロキシン治療で気分がよいと感じているということを覚えておくことです。今、気分がよいと感じている人が、別の製剤へ切り替える理由はまったくありません。すくなくとも、このニューイングランド医学雑誌に発表された研究が他の研究者によって確認されるまではそうです。

また、ニューイングランド医学雑誌の編集後記で指摘されていたとおり、現在使えるT3の形は理想的なものではありません。心悸亢進のような副作用を避けるために、徐放性のT3の方がよいのですが、これは販売されておりません。実際に、T4+T3を組み合わせた治療を受けた患者の一人が不安を生じたために治療を中止しなくてはなりませんでした。

甲状腺ホルモン治療は、前世紀から現在まで、すなわちヒツジの甲状腺のソテーから純粋な合成ホルモンまで進化を遂げてきました。乾燥甲状腺やT4+T3を含有する錠剤に戻るのは、あたかも物事が堂々巡りをしているかのようですが、50年以上にわたって使われてきた実績のある真の治療法をいつでも捨てられるようになる前に、もっとたくさんのことを学ぶ必要があります。

あなたが例外である場合
しかし、もしあなたがT4を飲んでも気分がよくならないまれな甲状腺機能低下症患者の一人である場合、T4(量を少なくして)に少量のT3を加えた治験について医師に話してみるべきです。理想的には、“偽薬効果”を避けるために“盲検法”でT4+T3を飲むことができるならその方がよいのです。偽薬効果とは、すなわち“新しい”薬を飲んでいるという理由だけで気分がよくなることです。もちろん、これは研究が行われていないところではできません。いちばん大切なのは、主治医にどのような具合かを伝え、自分の病気についてできるだけたくさんのことを学び続けることです。そうすれば、自分の健康管理に積極的に参加できます。

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