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スロバキア人女性に関するPh.D.論文のための研究で、聞き取り調査を行っている間、非公式に(個人的な興味からです)自分自身や、家族の中に甲状腺の病気に罹った者がいるかどうか、あるいはいわゆるペンシルバニア中央部の山岳地帯にある鉱山地区に住んでいる人を見たことを思い出せるかどうかを尋ねました。スノーシューやグラスフラット、モシャノン、およびクラレンスを含むこれらの町には、いまだに私がインタビューできるスロバキア人女性が多数おります。それで私が彼らを研究対象に選んだのです。
これらのスロバキア人女性のコミュニティーの中では、1920年代、1930年代、そして1940年代に入っても大きな甲状腺腫が非常に多かったことがわかりました。私が話した女性は、甲状腺腫が大きくなり過ぎたら取って貰うだろうと言いました。
これらの女性は非常に家族が多いので(子供が10人いることも珍しくなかったのです)、明らかに出産後に甲状腺の病気を起こしていました。私の父方の叔母も子供を産んだ後に甲状腺腫ができたので、非常に興味を覚えました。
この特定の地域になぜ甲状腺腫が非常に多いのか、また1940年代になってもまだそのような状況が続いていた理由について、コメントをいただければありがたいのですが。アメリカではこの地域に食餌上の問題があるのか、あるいはヨーロッパの出身地に問題があるのでしょうか。 |
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