1997年のミュンヘンでのTFI(国際甲状腺連盟)大会で、ベルリン大学の小児甲状腺病専門医であるDr. Annette Gruters-
Kieslichは、先天性甲状腺機能低下症のための新生児スクリーニングに関する素晴らしい発表をされました。ここに先生の発表の要約を載せております。先生の見事な統計と説得力のある論拠により、TFIはすべての乳幼児のスクリーニングを長期プロジェクトとして採用することになりました。
発表の中で、Dr. Annette Gruters- Kieslichは、比較した限りでは世界中を通じて先天性甲状腺機能低下症の発生率がかなり一定していることを力説されていました。先生の母国であるドイツでは、1985年に乳児3,336人に1人の割合で先天性甲状腺機能低下症が発生しており、1988年では3,342人に1人、1990年では3,644人に1人の割合でした。これはすべての新生児スクリーニングプログラムの中で、もっとも陽性の頻度の高いものです。
以下に他の国の統計も挙げます。
アメリカ合衆国での発生率は4,200人に1人、日本では3,856人に1人となっています。先天性甲状腺機能低下症の発生率の高い国は、エクアドルとチリで、検査した新生児の2,500人に1人の割合で見つかっています。
これらの発生率の高さは、ヨード欠乏に関連があることを反映しているもので、ヨード欠乏はそれ自体で甲状腺機能低下症を起こします。
ヨード欠乏の問題がないブラジルでは、発生率は低く、4,000人に1人です。いちばん多いのは、甲状腺が正常に発達しないこと(無甲状腺症)により起こる先天性甲状腺機能低下症で、それより少なくなりますが、甲状腺が異常なところに位置する(異所性甲状腺腫)ことがあります。ヨード欠乏のような環境的ファクター、あるいは何百万キュリーもの放射性ヨードが大気中に放出されたチェルノブイリの原子炉事故のような大惨事も役割を果たしています。もっとも重大な影響を受けたのは、チェルノブイリの風下にある近隣諸国でしたが、放射性降下物はフランスやイギリスにまで広がりました。生合成の欠陥やTSHレセプターの異常でも起こりますが、これらはまれなものです。
どのような形の先天性甲状腺機能低下症であれ、できるだけ早く治療することが絶対に必要です。研究では、妊娠第3半期(妊娠7ヶ月以降)に母親のヨード欠乏症を治療することが、赤ちゃんができるだけ健康に生まれてくるかどうかに重要であることが証明されました。母親の甲状腺機能と食餌中のヨードが正常であるのに、赤ちゃんが先天性甲状腺機能低下症をもって生まれてきた場合、それでもできるだけ早く治療をしなければなりません。できれば生まれてから最初の4週間以内に治療を始めるのが好ましいのです。普通、治療は1日あたり25マイクログラム(6〜8マイクログラム/kg)で始めます。専門家は倍量を勧める専門家もいます。甲状腺ホルモンの投与量が多すぎると、頭蓋骨の縫合部が早く閉じ、脳に損傷を与えることになるので十分な注意を払う必要があります。
医師にも両親にも生まれた時点で甲状腺機能低下症を目で見て診断できる人はおりません。赤ちゃんは全く健康なように見えますが、普通はおとなしく、ぐずることがほとんどありません。甲状腺刺激ホルモン(TSH)の血液検査によってしか正確な診断を下すことはできません。この検査はこれ以上ないほど正確なもので、食餌から十分なヨードを摂取しなかった母親から生まれた正常な赤ちゃんに起こることのある、軽度の甲状腺不全の診断もできるという利点があります。検査も簡単なもので、生後2〜3日以内に赤ちゃんのかかとを針でちょっとついて、2〜3滴の血液を採るだけです。
すべての新生児でTSH測定が実施されれば、長期的に見て先天性甲状腺機能低下症をもって生まれてきた子供の診断にかかる費用を節約でき、それは国家的なスクリーニングプログラムの費用を補ってあまりあるものとなります。 |
したがって、新生児のスクリーニングプログラムの推進をはかろうとしているどの国や組織にとっても、新生児スクリーニングが経済的に引き合うということを指摘することがもっとも重要な務めの一つであります。 |
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例を挙げますと、アメリカ合衆国では1人の先天性甲状腺機能低下症の赤ちゃんを見つけるのに4,000人の新生児のスクリーニングが必要ですが、その費用は8,000ドルほどかかります。一方、たった1人の先天性甲状腺機能低下症児の診断を生まれて最初の2ヶ月間であっても逃してしまえば、その子はクレチン病患者となり、生涯にわたって施設でのケアが必要となります。アメリカ合衆国では、そのような子供のケアは年に20,000〜30,000ドルほどかかり、生涯続くのです。したがって、新生児のスクリーニングプログラムの推進をはかろうとしているどの国や組織にとっても、新生児スクリーニングが経済的に引き合うということを指摘することがもっとも重要な務めの一つであります。
新生児のスクリーニングプログラムが存在している国でさえ、まだ人為的ミスによってスクリーニングを受け損なう子供がいる可能性があります。病院以外の場所で生まれた赤ちゃんでは、血液が採取されなかったり、国民健康保険にちゃんと登録されないことがあるでしょう。もう一つのミスの原因は、先天性甲状腺機能低下症を示す陽性の検査結果が、医師や赤ちゃんの両親に公衆衛生課から伝えられない場合です。さらに、甲状腺検査用に採取された血液の量が不適当であったり、フォローアップの努力をしても追加サンプルを採取できなかったりする場合のミスが考えられます。
当協会は世界中で新生児全員のスクリーニングの義務づけを推進することにより、大きな影響を与えることができるでしょう。新生児一人一人の血清サイロキシンレベルを測定するスクリーンニングも可能ですが、TSHスクリーニングでは、食餌からの適切なヨード摂取もモニターできますし、集団全体のそれ以外の健康上のリスクも見つけることができます。
西ベルリンでは、1991〜93年に全新生児の1%で、出生時のTSHレベルが高いことが見出されました。この異常に高い甲状腺機能低下症のレベルは、主に食餌中のヨード欠乏のためであることがわかりました。1993〜96年の間に食餌からのヨード摂取量は政府の努力により増加し、1996年までに先天性甲状腺機能低下症の発生率は他の先進国並みに下がりました。
残念ながら、先天性甲状腺機能低下症のための新生児スクリーニングは、北アフリカや中国、ロシア、グリーンランドおよび南米の多くの国を含み、すべての国で広く行われてはおりません。ガイアナでは新生児の66%しか適切なスクリーニングを受けておりません。プログラムは地方分権となっており、一部の場所ではスクリーニングを受ける機会は当地の影響力次第となっています。1地域に1名の医師が年に10人の新生児のスクリーニングを行うことを許されているにすぎません。その医師はどの子が罹患しているかを告げることがないため、多くは見逃されてしまいます。
国際甲状腺連盟はすべての国の厚生大臣と健康保険局の長に、ヨード欠乏だけでなく、先天性甲状腺機能低下症を見つけ出すための血清TSHレベルのスクリーニングを全新生児に対し、確実に実施するよう強く促すべきであります。もし、問題がヨード欠乏症である場合は、すでにある程度の傷害が加わっている可能性があります。これは、もっとも重要な妊娠第3半期に母親のヨードや甲状腺ホルモンレベルが不適切なものであったためです。それでも、ヨードと甲状腺ホルモンで適切な治療を行えば、悪影響を受けたどの新生児にも正常な身体的、精神的機能を取り戻す最良の機会を与えることになります。もし、ヨード欠乏症が見つかった場合、厚生大臣は適切なヨード添加により、集団全体の知的機能を改善する機会を持つことになります。ここでは、私共はICCIDD(ヨード欠乏性疾患コントロールのための国際協議会)と協力して働いています。
罹患した新生児全員のフォローアップは、集中スクリーニングとT4の検査を含む適切な血液検査によるものであるべきです。TSH検査は最低年1回の測定を行うべきです。罹患した子供の親は、普通、直ちに、また効果的に子供の治療に応じてくれるという事実があるにもかかわらず、そのような治療に対する興味と親のコンプライアンス(治療のための指示に確実に従うこと)が時とともに低下してくることが多いことが示されています。したがって、どの甲状腺機能低下症患者にとってそうであるのと同様に、子供にとっても年1回または2回のTSHスクリーニングが重要なものとなります。
TFIは世界中の厚生大臣と協力して、普遍的な甲状腺機能低下症のためのスクリーニングを達成するために働く機会を得ました。当協会の国際ニュースレターやウェブサイトを通じて、またすべての甲状腺に関する組織団体に、刊行物の中に先天性甲状腺機能低下症のスクリーニングの重要性についての情報を載せていただくよう促すことにより、そのような検査の検査の重要性についての情報を広めることができます |
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ローザは1992年にドイツで生まれました。1978年に新生児スクリーニングプログラムがスタートして13年後です。残念なことに、その当時ローザは様々な事情から診断の網から逃れた唯一の子だったのです。母親は出産後わずか6時間で退院し、助産婦による産後検診を望みませんでした。3ヶ月後に一家はカナリー島に移りました。そこでは、生後18ヶ月で、ローザは歩くことも話すこともできませんでした。一家はベルリンに戻り、そこで、子供の発育が正常でないと気付いた近所の人が専門家に見せるように母親を説得しました。治療によって、ローザの発育にいくらか改善は見られたものの、それはあまりにもわずかで、手遅れでした。
1978年に、Gruters-Kieslich医師が医学生であった時に、もう一人のかわいそうな赤ちゃんであるジェシカに出会ったのです。その子の悲劇的な状況を見て、先生は自分の専門のコースと全新生児スクリーニングプログラムに打ち込むことを定められたのです。先生のご決断とご尽力に深く感謝しております。 |
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