先日父が、甲状腺未分化がんで亡くなりました。55歳でした。
何かの参考にでもなればと思い、メールいたします。
1年半ほど前から、のどの当たりが腫れているので、A病院に行ったところ“甲状腺炎”と診断されました。それ以来、病院に行っては薬をもらうという生活が続きました。微熱が続き、せき込むことが多くなりました。それでも、熱が下がれば、調子が良かったので、病院を変えることなく、通院していました。
異変に気づいたのは、今年の4月10日。
父の右胸に触って分かるほどのしこりができたのです。
A病院に行ったところ、「うちでは解らないから」と、総合病院であるB病院を紹介されました。
B病院に行き、MRIとCTの予約をしました。その日の触診(のど)で、「甲状腺がんらしい」といわれてきました。検査結果は“甲状腺乳頭がん”。かなり腫れがひどいので、甲状腺に詳しい先生方がいるC病院で手術を受けるようにいわれました。
C病院でもMRI、CTを取りました。検査結果で胸のシコリは、「甲状腺のがんが肋骨に転移した為の腫瘍」といわれました。また、「レントゲンで肺全体への小さな転移がたくさん見られました」ともいわれました。この時は肺の形が黒くはっきり映っており、そこに小さな白い点がいくつもありました。
5月10日に入院し、5月19日に甲状腺全摘出、胸のシコリを取る為、肋骨を切り取りました。8時間かかる手術でした。
手術は成功だったようです。4日目に集中治療室を出て、一般病棟に戻りました。
それまで腫れていた甲状腺に圧迫され、気管支がほとんどつぶれていたのですが、広がり、呼吸も楽になったようでした。
ただ、胸を開いてみたところ、両肺で約2リットルの胸水が見られた為、両肺からチューブで胸水を出していました。この時の先生の話では、「徐々にアイソトープを飲んで行けば胸水も減っていくでしょう」とのことでした。
しかし、なかなか胸水は減らず、赤く染まった胸水が毎日1リットル以上出ていました。胸水に混ざって体の組織のようなものがチューブに出て来て、詰まることもありました。
また「肺への転移の進み具合が早いので、もしかしたら未分化がんかもしれない」といわれました。病理の先生に「組織を詳しく調べてみないと、乳頭がんと未分化がんの区別は付かない」といわれ、「結果が出るまで、およそ3〜4週間かかります」とのことでした。
5月28日突然、呼吸が苦しくなって、胸のレントゲンを取りました。
すると、手術前にはあんなにはっきりしていた肺の形が、下のほうから白くぼやけて、全体的に黒というより、淡い灰色のように映っていました。
「胸水が思うように外に出せていないようで、胸水が肺の陰になっている」と先生に言われました。
看護婦さんの勧めで、ナースセンターに近い個室に移ったのは29日のことでした。
あまり食欲がないようなので、高カロリーの点滴に切り替え、食事を止めました。
「肺の転移がとても速いスピードで進んでいる。末期状態です」
30日はいつもより元気があって、ドーナツ1個を食べ、いちごも10個、牛乳なども飲み始めました。「食事を取るようになって、体力さえ付けば…」と私たちもすこし安心し始めました。
呼吸するときの苦しさを和らげる為に、薬を増やしたは31日からです。
そのせいか、一日中ボーッとしており、話もなかなかできなくなっていました。
寝ていても起きていても苦しいようでした。
そしてその夜、呼吸困難になり、5分ほど呼吸が止まってしまったのです。
集中治療室に移り、胸のレントゲンを見ると、肺の形は既に確認できなくなっていました。
「肺全体が水を吸って、まるでスポンジのようになっている。白く映っている部分は肺として機能していないので、呼吸が苦しくなったのでしょう。このまま体中の酸素が足らなくなり、血圧が低下していくでしょう。…覚悟をしておいて下さい」
そして、6月3日、意識が戻らないまま、集中治療室で息を引き取りました。
「…進行の進み具合から見て、おそらく未分化がんであったと思います。私たちも一年で数百という甲状腺の患者さんを見ていますが、ここまで進行する例はほとんどありません。未分化がんもこれまでの数千件のなかで、10件にも満たないくらい、非常に希なケースです。…できるなら、今後の医療の為に解剖させていただきたいのですが…」
解剖の結果、肺全体が厚くがんで覆われ、心臓に5センチ程度の転移が見られたとのこと。「私の考えですが、ここまで進行するのですから、おそらく20代のころには既にがんがあったと思われます。未分化がんの場合、進行が早いので、甲状腺でどんどん、がんが大きくなって、気管が圧迫され、呼吸困難でなくなるケースが多いのですが…」
入院からわずか25日のことでした。
結局、病理のほうからの正式な結果は聞けませんでしたが、おそらく未分化がんであったようです。田尻先生のホームページを見て、未分化がんの確率は極めて低いと思っていたので、正直大変なショックでした。
一年以上も“甲状腺炎”として通院していたにもかかわらず、どうしてもっと早く発見できなかったのか、悔しい思いをしています。…でも、発見が早かったら、もっと早くこの結果が来ていたのかもしれないのでしょうか。
また、甲状腺と肋骨の手術をいっぺんにではなく、まず甲状腺の方だけを手術していたら、もう少し長らえることができたのか、いろいろ考えてしまいます。
もうすぐ四十九日を迎えます。
田尻先生のホームページの内容は、とても分かりやすく、父もいろいろ病状を知ることができて、安心していたように思います。
ありがとうございました。 |
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