[Q]Bowenの理論によれば、我々がストレスや緊張を経験した時に、ともかく不安を捨て去るようにデザインされた行動に至ることが時にありますが、中には残念なことにそのために身体的問題や病気を生じることになる人もいます。もう少し素人に分かる言葉で、身体的問題を生じたり、あるいはすでに存在する問題が悪化するような人はどうすれば実際に不安を“和らげる”ことができるのか説明していただけませんか? |
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私達はそれぞれ生まれつきストレスに対する耐性を備えています。これを「圧力計」と呼びましょう。もし、誰かが突つけばはじけるほどのストレスを受けたとします。その人が風船だと想像するとわかりやすいでしょう。時には、空気を逃す方法を見付けてはじけるのを避けることができます。身体的問題も同じようなものです。ここでも行動の問題を考えてみるとわかりやすくなります。
風船は次のようにしてはじけます。 |
仕事に行くと社長が私を怒鳴りつけます。私は不安で、すっかりまいってしまったので、家に帰る途中、ちょっと1杯やります。実際に気分がよくなり始めたので、もっと飲みます。とうとう最後はタクシーで家に帰ることになりました。主人が私を待っています。彼は頭に来ています。彼は、私がわざと酔っ払ったと言い、私に向かって怒鳴り始めます。ちょうど社長がしたみたいに。私は寝て、目が覚めたら2日酔いで、仕事に行くことができません。主人は私をかわいそうに思って私の介抱を始めます。そして私に何があったのかと聞いて、心配しすぎだと言います。 |
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この話がどのように進んでいくかおわかりでしょう。ストレスに襲われたことで人間関係が変わりました。これは極端な例ですが、明らかにストレスと不安が遺伝的素因の引き金を引くことがあります。ストレスが“生活習慣病”を悪化させる可能性を高める行動につながります。酒を飲むことを、食欲のないこと、運動をしないこと、山程のマイナスの心配をすること、そして素因のような遺伝的なものなどに置き換えてみると、病気とのつながりがわかります。
難しいのは、どのようにして今後出るであろう症状を、人間関係のシステムを変えることによって“和らげれる”かということです。こうなれば、人は病気のことだけに集中できます。人はストレスでまいってしまった時には、考えるのも嫌で、ただ砲火の列から逃れたいだけです。もし私が頭痛やその他の病気で家にいれば、プレッシャーの限界から逃れることができます。誰も私に手伝ってとか、もっとやれとか言えません。たまにはただ自分のことだけ考えるというのも必要です。
多くの人が報告していることですが、病気の診断を受けた後で、病気になると思っていたというのです。彼らは仕事の量について行けなくなったこと、あるいは夫や母親などとけんかばかりしている状態には我慢できないということが分かっていたのです。
私共はかつてこれを2次的ご褒美と呼んでいました。すなわち、ストレスの強い中心や自分に対する要求から逃げ出していたのです。しかし、それはストレスが、まるでワラがラクダの背骨を折るようなもので、ストレスが持つそのような性質の裏返しだと私は考えます。もっとよく理解したいのであれば、人間関係のプロセスの方を理解するのが、いわゆるご褒美の部分より大事です。
ストレスは人が互いにそのつもりでないのに、かけ合う一種の感情的圧力だと思うかもしれません。私達は互いをちょっとばかり必要とし過ぎることもたまにあります。もう一つの問題は私達は内心で、うんとよくなければと思っていることかもしれません。自分自身に対する期待から、休暇を必要としているのかもしれません。でもそのような休暇があるわけはないので、ラクダの背骨が折れるまで、そして遺伝的に弱いところが慢性の病気の形で発現するまで、働き過ぎたり、他の人に対してやり過ぎたりする場合があります。不安とは、何か悪いと感じる状態です。それは私共の認知レベルより下にある場合があります。人間関係がうまく行かない時は、その人がやり過ぎだということを示すものである可能性があります。この人間関係の乱れがどの病気にもあります。
人が人間関係のことを意識していないのであれば、戻って夫や妻、母親、社長、あるいは自分自身の要求と折り合いを付ける必要はありません。いちばんはっきりしているのは病気の治療をすることです。これをすることで、自分自身や他の人の期待を変えるようなことが起こるだけのことです。
私はすべてのことがいちばんうまくいっている時に、どのような人間関係が病気のプロセスから私達を守ってくれるかということについて考えています。私達はたくさんのストレスに満ちたことを通じて、闘い、愛し、話すことができます。時には、あまりにも感受性が強くて、不安に対処する方法として人間関係のシステムを使えず、そのためストレスが精神や体の中に入り込む場合もあります。それならば、ストレスのない生活をせねばなりません。 |