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臨床ガイドライン<2>甲状腺疾患のスクリーニング:最新情報
Ann Intern Med 1998; 129: 144-158
Mark Felfand, MD and Craig C. Redfern, DO

目 的
他の病気で医療機関を訪れた患者のうち甲状腺疾患の症状がない甲状腺機能異常症に対する高感度TSH測定の有用性についての情報を見直すこと。この論文は潜在性甲状腺機能異常症の発見にスクリーニングが適すかどうかということ、軽度TSH値の異常のみを示す患者にとってスクリーニングで見つかったことで利益があったのかどうかの2点に絞って述べている。

情報源
甲状腺機能異常症に対するスクリーニングの研究と潜在性甲状腺機能異常症に対する治療に関する論文をMEDLINEから検索した。

研究の選択
一般住民に対するものと一般外来での甲状腺機能検査のスクリーニングに関する論文は33見つかった。潜在性甲状腺機能低下症と潜在性甲状腺機能亢進症の治療に関する論文もこの中に23ある。

データ抽出
顕性および潜在性甲状腺機能異常症の頻度、治療の効果、合併症の頻度を年令、性を考慮に入れてそれぞれのの研究から抽出した。

データ解析
スクリーニングは症状はあるが診断されていない顕性甲状腺機能異常症の発見には有用である。50歳以上の女性がスクリーニングの恩恵を一番受ける。このグループでは、スクリーニングを受けた71人に1人の割合で、治療により症状が改善する。潜在性甲状腺機能異常症に対する治療の有効性はまだ確立されていない。

結 論
スクリーニングは症状はあるが診断されていない顕性甲状腺機能異常症の発見には有用である。50歳以上の女性がスクリーニングの恩恵を一番受ける。このグループでは、スクリーニングを受けた71人に1人の割合で、治療により症状が改善する。潜在性甲状腺機能異常症に対する治療の有効性はまだ確立されていない。

1.0 はじめに
1990年に米国内科学会は甲状腺疾患のスクリーニングのガイドラインを発表しました(1,2)。このときのガイドラインでは50歳以上の女性で症状はあるのに臨床的に診断されていない顕性甲状腺機能亢進症や顕性甲状腺機能低下症の患者を見つけ出すのにスクリーニングとして甲状腺機能検査を行うことを推奨した。このガイドラインでは一般住民での潜在性甲状腺機能異常に対してはスクリーニングとして甲状腺機能検査を行うことは必要ないという姿勢を示した。何故かというと、潜在性甲状腺機能異常をもつ患者にとって早期発見、治療によりあまり利益を受けると考えなかったからである。
1.1
1990年以降、未治療の潜在性甲状腺機能異常症の長期間に亘るリスクについての新しい情報が分かるにつれて一般住民でもスクリーニングとして甲状腺機能検査をすることを支持する専門家が出てきた。高感度TSHは症状や他の甲状腺機能検査に異常が出る前に潜在性甲状腺機能異常症の患者を見つけ出すことができるので、高感度TSHが一番スクリーニングに適していると考えられている。スクリーニングはまず、高感度TSHを測定し、その値に異常があれば次にフリーT4を調べる。もし、高感度TSHが抑制されておりフリーT4が正常なら、次にフリーT3を調べる。
1.2
【表1】に示しているように、このスクリーニングのやり方をすると4つの甲状腺機能異常のカテゴリーに分類できる。顕性甲状腺機能亢進症患者では高感度TSHが抑制されておりフリーT4またはフリーT3が高値です。顕性甲状腺機能低下症の患者では高感度TSHが高値でありフリーT4が低値です。潜在性甲状腺機能亢進症患者では高感度TSHが抑制されておりフリーT4やフリーT3が正常です。最後に、潜在性甲状腺機能低下症の患者では高感度TSHが高値でありフリーT4が正常です。
1.3
甲状腺機能検査の異常だけで一見健康にみえる患者に対して早期治療や頻回の診察が果たして正当化できるかどうかが争点である。甲状腺機能検査スクリーニングが正当化される条件は次の3つの場合である。
  1. 甲状腺機能異常が健康状態や生活の質を損なうような合併症を将来引き起こすとき。
  2. 早期治療や頻回の診察が合併症のリスクを減少させることができるとき。
  3. この2つの利点が長期治療のリスクを上回るとき。
1.4
この論文で我々は、一般外来を訪れる患者、一見甲状腺機能検査の必要のない患者、ほかの病気で病院を訪れた患者に対してプライマリーケア医が甲状腺機能検査スクリーニングをすべきかどうかについて考えてみたい。【表1】に示している各々の状態について、早期治療を支持する証拠を検討し、甲状腺機能検査スクリーニングをすることで利益のある人数を見積もりたい。我々はスクリーニングが潜在性甲状腺機能異常症を発見することを目的とすべきかどうか、また軽度のTSH値の異常のある患者にとって利益があるかどうかに焦点を当てたい。

2.0 方 法
2.1
我々は、甲状腺機能異常に対するスクリーニングの研究や潜在性甲状腺機能亢進症患者と潜在性甲状腺機能低下症の合併症、経過、治療に関する研究を見直した。我々はスクリーニングを、『検査を受けた時点ではその病気の症状が全くみられない時に病気を見つけだすための検査』と定義した(3)。スクリーニングの研究はスクリーニングすることを決定する状況に従って、分類することができる(3)。外来の場合は、医師のクリニックを訪れる理由は甲状腺とは関係のない症状を持つ患者に対して甲状腺機能検査スクリーニングが行われる。患者を対象とした研究では、クリニックや外来での甲状腺機能検査スクリーニングの有効性、費用の最も現実的な見積もりを提供できる(2)。住民を対象とした研究では、疫学的な研究努力を要する。患者を集め、連絡を取り、経過を見ていく必要があるそのような研究では特定の地域における甲状腺疾患の頻度を示すのみで、実際臨床における甲状腺機能検査スクリーニングには反映されない。我々は、より実際的な外来患者を対象とした研究が為されたときの利点に対する基準として住民を対象とした研究を使うこととした。
2.2 データ情報源
1991年に米国内科学会が発表した論文(2)には含まれていない1989年から1996年までに発表された論文の中から選び出した。MEDLINEにて検索をおこなった。我々は同じくMEDLINEにて、1970年から1996年の論文から潜在性甲状腺機能異常症の合併症(症状、高脂血症、虚血性心疾患、心房細動、骨粗鬆症、骨折)に対する甲状腺疾患の治療の効果に関するcontrolled studyを選び出した。内分泌学や主要な医学雑誌の定期的チェック、検索した論文の文献リストの見直し、1991年に出版した我々の論文に引用された論文(2)の見直しをすることで、MEDLINEによる検索を補った。
2.3 研究の選択
我々は、一般住民や一般外来の患者を対象として血清TSHかT4の測定が行われている研究を選出した。この中には、潜在性甲状腺機能亢進症患者か潜在性甲状腺機能低下症患者に対する治療に関するcontrolled studyも含まれている。これらの治療を受けた患者はスクリーニングで発見されたかどうかは問題としなかった。先天的および家族性甲状腺疾患のスクリーニングや入院患者、糖尿病、うつ病、肥満などを持った患者の甲状腺機能スクリーニングに関する論文は除外した。
2.4
甲状腺疾患のスクリーニングに関する33の論文が見つかった。1989年以降に56の論文がMEDLINEで検索されたが、そのうち18だけを総説に含めた。除外された38の論文中、9つは入院患者を対象としたもので、23は患者の年令や性、甲状腺機能の記載がなかった。後者では、ほとんどは甲状腺癌か家族性甲状腺疾患のスクリーニングに関するものであった。23の潜在性甲状腺機能異常症の治療に関するcontrolled studyもこの総説に含まれている。
2.5 データ抽出
【表1】にリストされている各々の状態について、3つの疑問に対する答えを探した。
  1. 頻度。どれくらいの人がその状態にあるのか?
  2. 合併症。何が、それぞれの合併症のリスクになり、合併症の重症度は?
  3. 治療効果。早期治療が病気の合併症を減少できるか?
2.6
我々は、甲状腺機能異常症のそれぞれのタイプの頻度を推定するために、住民や外来患者を対象とした甲状腺疾患のスクリーニングに関する論文から情報を収集している【表1】。合併症の評価をするために、我々は潜在性甲状腺機能亢進症または潜在性甲状腺機能低下症患者の経時的な研究も収集している。この経時的な研究により、以下にしめす合併症がどれくらいの頻度で起こってくるかがわかる。
  1. 症状
  2. 潜在性から顕性甲状腺異常への進展
  3. 甲状腺機能低下症の血清コレステロールの増加
  4. 甲状腺機能亢進症の心房細動
  5. 甲状腺機能亢進症の骨粗鬆症
我々の解析した統計学的処理は文献(4,5)に記している。
2.7
治療効果を評価するために、各々の合併症に対する治療の効果を知ることのできるrandomized trialsや他の比較研究を見直した。それぞれのcontrolled trials で、治療群とコントロール群の治療に対する反応の差を記録した。この差の逆数は患者を治療する価値がある指数(NNT)として使われる(6)。それぞれの合併症について、NNTを算出するために頻度や治療の有効性の予測をする。NNTは患者を治療するときに有用な指標である。

3.0 データ解析
3.1 顕性甲状腺機能亢進症と顕性甲状腺機能低下症を見つける利点
スクリーニングは典型的だが臨床的にはまだ発見されていない甲状腺疾患を見出すことができる(7-11)。特に、高齢者では症状が軽度で分かり難いことが多い。甲状腺機能亢進症になると、体重減少、無表情、振戦、暑さに弱い、筋力の低下などがみられる。甲状腺機能低下症では、筋肉のツリ、乾燥肌、寒さに弱い、便秘、活力不足、疲労感、頭の回転が鈍くなるなどの症状が出てくる。
3.2
スクリーニングの異常結果みて医師が気づくまでこれらの症状の原因は見逃されるかもしれない。例えば、下肢の静脈瘤を持つ70歳の女性が定期的に主治医の診察に行っていると仮定しましょう。足の浮腫のために利尿剤を服用しているので、主治医は血清カリウムを検査する、検査室ではこの検査オーダーに高感度TSH検査を追加する。TSH値が高いので、主治医は患者に来院するよう連絡し、彼女が軽い疲労感と肌の乾燥に気づいていたことを知る。それから血清F4値が低いことを知り、サイロキシン(T4)での治療を始める。たとえこの患者が症状のある顕性甲状腺機能低下症としても、彼女の病気はスクリーニングで見つかったと言ってもそれは正しい。
3.3 顕性甲状腺機能低下症をスクリーニングで見つけ出すことでどれくらいの人が利益を受けるか?
顕性甲状腺機能低下症の頻度は年令と性に依存する。最も最近の研究では高齢者と関連が深い(11-22)【表2】。70〜80歳の女性の2%で顕性甲状腺機能低下症がみられる。この頻度はほかのどの年代と比べても有意に高い(8,10-12,14,16-19,23-31)【図1】。60歳以上のすべての女性では、外来で行われる甲状腺機能スクリーニングで1000人に14人の割で、すなわち71人に1人の割で顕性甲状腺機能亢進症または顕性甲状腺機能低下症が見つかる【図1】【図2】【図3】
3.4
顕性甲状腺機能異常症の頻度は若い女性や男性ではずっと低い。40〜60歳の女性の顕性甲状腺機能低下症の頻度は1,000人に5人で、顕性甲状腺機能亢進症の頻度は1,000人に4.5人です。60歳以上の男性の診断されていない甲状腺機能低下症の頻度は1,000人に8人ですが、甲状腺機能亢進症の頻度は1,000人にたった1.3人です。診断されていない甲状腺機能異常症は40歳以下の女性や60歳以下の男性では希です。
3.5
TSHが軽度増加しているのみの患者(6〜9mU/L)では顕性甲状腺機能低下症は滅多にありません。同様に、顕性甲状腺機能亢進症の患者ではTSHは軽度低下しているのではなく、感度以下に低下しています(2,9,16,32)。故に、顕性甲状腺機能異常症はTSHが感度以下か10mU/L以上に増加しているときのみFT4を調べて診断が可能となる。
3.6 合併症は何かそして有効な治療は何か?
症状はあるが診断されていない顕性甲状腺機能異常症を持つ患者にとって、治療による症状の改善はスクリーニングの最も認められた利益である。外来で定期的に別の病気で診察を受けている患者に対してもスクリーニングをすることで、普通の診察のみでは診断できない顕性甲状腺機能低下症や顕性甲状腺機能亢進症を見つけ出すことが可能である(8-11)。そのような患者は大抵治療で改善するような症状を持っている。
3.7 注意深い病歴聴取と診察を行って甲状腺疾患を疑い、甲状腺機能検査を行うことは顕性甲状腺機能異常症のスクリーニングと同等の有効性があるか?
この疑問に答えるために行われた2つの研究において、臨床判断より、広く行われている特に対象を決めないスクリーニングの方が有効であるという事実が判明した。一つ目の研究では(33)、1,152人のスウェーデンの女性を対象にスクリーニングを行い3人の顕性甲状腺機能低下症と2人の顕性甲状腺機能亢進症が見つかった。同じ研究の中で、1,152人に病歴聴取と診察を行って、医師が286人に対して甲状腺機能検査をオーダーしたが、3人の顕性甲状腺機能低下症全員と顕性甲状腺機能亢進症2人中1人を見逃した。2つめの研究では、2,000人の連続して外来を受診した患者を対象にスクリーニングを行い、19人の顕性甲状腺機能異常症を見つけ出した(8)。かれらの臨床的判断で甲状腺機能検査をオーダーした2,000人中35人では、全員はずれであった。
3.8
上記2つの研究より良い結果を持っている医師もいるかもしれないが、これらの研究から症状を基に甲状腺機能検査を行うことは特定の患者に病歴聴取と診察行いスクリーニングを行うのと同じくらい実用的でもないし有効でもないということが判明しました。一般外来を定期的に訪れる患者におけるスクリーニングの高い有用性を考えると、病歴聴取と診察による臨床判断で甲状腺機能検査をオーダーすることは実地臨床では実用性がないと思われる。これらの理由より、我々は顕性ではあるが診断されていない甲状腺機能低下症と甲状腺機能亢進症を見つけるために、50歳以上の女性には高感度TSHテストでスクリーニングを行うことを薦める。スクリーニングをどれくらいの頻度で行ったら良いかについてのデータはほとんどないが、経時的な研究ではTSH値が正常な患者は、スクリーニングを受けて5年以内に顕性甲状腺機能低下症になることは、まずないと言われている。
3.9
顕性甲状腺機能異常症のスクリーニングを行うことで、潜在性甲状腺機能異常症も見出すことができるでしょう。潜在性甲状腺機能異常症患者は治療すべきか、またはちゃんと経過をみるべきなのか?次の章では、スクリーニングで潜在性甲状腺機能異常症が見つかった患者が治療や適切な経過観察で利益を受けるかどうかについて、検討したい。

4.0 潜在性甲状腺機能亢進症を見つけ出すことの利益
4.1
潜在性甲状腺機能亢進症をTSH値感度以下でFT値正常と定義したら、頻度は60歳以上の男性で1%、60歳以上の女性で1.5%である。第2世代のTSH測定を使用したその後の経過をみた研究では、2回目のTSH値が感度以下であったのは、上記の患者のたった59%だけであった(11,16)。さらに新しい第3世代のTSH測定はより特異性が高いが、まだ第3世代のTSH測定を用いたスクリーニングの研究はなされていない。
4.2
例えば機能性単発性甲状腺結節や大きな多発性甲状腺結節のような症状を持つ患者は病気が進行する危険性が高い(34-37)。しかしスクリーニングで見つかった甲状腺疾患を持つ患者の50〜92%は、さらに検査しても甲状腺疾患の症状がない(11,16,21,27)。スクリーニングの研究で、一年後の顕性甲状腺機能亢進症になる率は、男性は0%、女性は1.5%である(11,16,26)
4.3 合併症は何?治療効果は?
心房細動や骨粗鬆症の予防が潜在性甲状腺機能亢進症の治療の最も重要な利益である。潜在性甲状腺機能亢進症のこれらの合併症を予防するための早期治療に関するrandomized studyはまだ行われていないし、スクリーニングで見つかった潜在性甲状腺機能亢進症患者の生活の質や甲状腺機能の状態についての研究もなされていない。スクリーニングでTSHが感度以下であることが見つかった患者が年令と性を一致させたコントロールと比べて症状があるわけではない。
4.4 心房細動の予防
60歳以上でTSHが感度以下である患者では心房細動の危険率が高い。Sawinらは、Framingham studyで経過を見ている60歳以上で心房細動のない2,007人を経過を見た。61人(3%)でT4値は正常だがTSH低値(0.1mU/L以下)であった。そのうち36人は甲状腺ホルモン剤(T4)を服用していた。残り25人(1.8%)は甲状腺ホルモン剤(T4)を服用していなかった。後者では、10年後の心房細動になる率は32%であり、TSH値が正常な人では10年後の心房細動になる率は8%に比べ有意に高かった。甲状腺の治療で心房細動の率が一般人の率に減少できたと仮定したら、10年間で心房細動の一例を予防するNNTは4.2である。
4.5 骨粗鬆症の予防
顕性甲状腺機能亢進症は骨の吸収を促進する(39)。潜在性甲状腺機能亢進症における骨粗鬆症の危険性についての研究はほとんどない。潜在性甲状腺機能亢進症を持つ多発性甲状腺結節の患者で骨量測定した研究が見られるが、スクリーニングで見つかった患者はその一部のみである。これらの研究の対象となった患者は、統計学的にも臨床的にも年令、性を一致させたコントロールと比べて大腿骨頚部と橈骨の骨塩量の有意な低下がみられる(40,41)
4.6
Osteoporotic Fracture studyでは、4年にわたって経過をみたところTSH値の低い女性では大腿骨頚部や脊椎骨折の危険度が高いことがわかった(42)。これらの女性の多くは甲状腺機能亢進症の既往や甲状腺ホルモン剤を服用中であった。甲状腺疾患の既往のないTSHのみ低値の女性の骨折のリスクについての研究はなされていない。
4.7 まとめ
現時点では、潜在性甲状腺機能亢進症を治療することの利益は理論上のものである。TSH値の抑制を示す患者は長期観察で心房細動の危険性を確かに増すが、TSH値の抑制を示す患者の3分の2では10年間ずっと正常洞調律のままである。無症状の潜在性甲状腺機能亢進症に対する抗甲状腺剤の治療のrandomized studyがないので、将来の心房細動や骨粗鬆症を予防するための早期治療の効果は不明である。信頼におけるデータが少ないために、これらの患者を甲状腺機能検査で経過を見ることで
  1. 顕性甲状腺機能亢進症の進展や心房細動を予防できるのか
  2. 顕性甲状腺機能亢進症の進展や心房細動の状態の期間を減らすことができるのか
ははっきりしない。心房細動や骨粗鬆症になり易い患者を予測できる指標を見つけ出す研究も必要である。

5.0 潜在性甲状腺機能低下症を見つけ出す利益
5.1
血清TSH値が6mU/L以上でT4値が正常なとき、潜在性甲状腺機能低下症、すなわち軽症甲状腺障害と診断される。これらの患者ではその患者の生理的な正常値よりT4が低下しているのだが、検査センターの正常値下限よりは下がらない。
5.2
潜在性甲状腺機能低下症は甲状腺機能検査のスクリーニングで見つかる最も多いものである。5〜10%の成人女性では血清TSH値は増加している。50歳以上の女性に対してスクリーニングを行って潜在性甲状腺機能低下症を見つけ出しT4による治療をすると、最初の1年目で400万人の一生涯治療を要する新しい患者を見つけ出し、5年毎に60万人から100万人の薬物服用患者が増える。
5.3
最近、Deneseら(43)は、スクリーニングに対する理論的根拠を示し、治療によって利益を受ける患者を選び出すための特別な戦略を提案した。彼らはスクリーニングはcost-effectiveであること、潜在性甲状腺機能低下症を持つ女性の82%は甲状腺ホルモン剤の投与を受けるべきであると結論づけた。特に、かれらは35歳以上の女性のスクリーニングを薦めている。そして、潜在性甲状腺機能低下症を持つ患者で症状、抗甲状腺自己抗体、血清コレステロール高値(240mg/dl以上)のいずれかがあれば、その患者は全員治療することを薦めている。
5.4
これらの結論を解釈する際に、これらの研究者は早期治療は健康状態を改善すること、それからスクリーニング計画の費用や結果についての調査にとりかかるということを当然のことと仮定しているということを念頭にいれておくことは大切である。別の研究者たちはその仮定に疑問を抱いており(37,44-47)、彼らが理論的根拠とみなしている文献の欠点を引き合いに出しながら反論している。次の節では、潜在性甲状腺機能低下症の早期発見、経過観察、治療による有効性についての仮定を支えている根拠について検討したい。
5.5 合併症は何?治療効果は?
潜在性甲状腺機能低下症の合併症は症状、高脂血症、顕性甲状腺機能低下症への進展である。患者が将来、合併症をひきおこすかどうかは患者の年令、血清TSH値、血清脂質、甲状腺自己抗体に依存する。血清TSH値が軽度増加(6〜9mU/L)しているのみの無症状の若い患者が合併症の危険が一番低い。反対に、血清TSH値が10mU/L以上の高値を示し、甲状腺自己抗体高抗体価、高脂血症のある高齢者では合併症の危険が一番高い。そのような高齢者では合併症の危険がより高く、甲状腺ホルモン剤による治療により最も利益を受けると考えられる。
5.6
潜在性甲状腺機能低下症と診断される患者のほとんどが血清TSH値が経度増加(6〜9mU/L)しているのみなので、合併症の危険が低い。Whickham survey(イギリスの小さな町で2,738人を対象とした研究)により、スクリーニングで潜在性甲状腺機能低下症が見つかる患者におけるTSH値の分布の実際の見積もりが分かる(23)。この研究では、35歳以上の女性の8%で潜在性甲状腺機能低下症(血清TSH値が6mU/L以上でFT4正常と定義)がみられる。これらの女性の80%は血清TSH値が軽度増加しており、20%が血清TSH値が10mU/L以上の高値を示していた。血清TSH値が軽度増加(6〜9mU/L)している54歳以下の女性が一番合併症の危険が低い。このグループは潜在性甲状腺機能低下症と診断される全患者の31%を占める。一般外来のスクリーニングの頻度と同じである(9)
5.7
合併症に関する研究のほとんどは、一番のハイリスクグループである血清TSHのかなり高値を示す高齢女性に関するものである。しかし、スクリーニングで見つかる潜在性甲状腺機能低下症の多くは若い人であり、血清TSH も軽度増加しているのみで合併症のリスクも低い。これらのリスクの低いグループの潜在性甲状腺機能低下症を治療する有効性についてはほとんど分かっていない。発表された論文を調べることで、我々は早期発見が軽度血清TSH が増加している人や他のリスクの低い人にとって、なんらかの利益を及ぼしているという事実を探しました。
5.8 症状の改善
スクリーニングで見つかる潜在性甲状腺機能低下症の多くはこの病気に関連した症状を少なくとも一つは持っている(11,13)。筋肉の痙攣、乾燥肌、寒さに弱い、便秘、 元気がない、疲れやすい、頭の回転が鈍いなどの症状のどれかを持っていることが多い。
5.9
潜在性甲状腺機能低下症に対するL-サイロキシン(チラージンS)治療の有効性に関するrandomized trialsからのデータは【表3】に示している。たった3つの少数を対象とした研究があるだけである。しかも、その結果は相反する結論を出している。Cooperらによる最初の研究(48)では、20年以上前にアイソトープ治療を受けた患者を対象としている。これらの患者の血清TSH値は10.9mU/Lと彼らの決めた正常上限の約3倍である。Cooperらはアンケートにより6つの甲状腺機能低下症の症状が期間中にどれだけ変化したかを24点を満点として点数で算出した。L-サイロキシン(チラージンS)の投与群では、1年後に2.1点改善された。反対にplacebo投与群では、1.2点症状が悪化した(p=0.037)。2群の違い(3.3点)は大体、症状1つ分の改善である。L-サイロキシン(チラージンS)の投与群17人中8人(47%)では、症状の改善があった、4人では悪化した、そして5人では変わらなかった。一方、placebo投与群の16人中3人(19%)では症状が改善した、6人では悪化、7人では変わらなかった。2群間での症状の改善があった割合は0.28(CI: -0.09〜0.65);患者に利益を与えるNNTは3.5である。しかしながら、この結果はどれくらいの利益を受けたのかはっきりしない。
5.10
Cooperらの研究はバセドウ病治療歴のある特に血清TSHが10mU/L以上の症状のある患者に対しては治療することを支持している(48)。しかしながら、バセドウ病治療歴のある患者の自然経過は一般住民の中の甲状腺機能低下症の自然経過とは異なっているので、バセドウ病治療歴のある患者に対しては甲状腺機能検査のスクリーニングをすることが適切とは思えない。潜在性甲状腺機能低下症を持つ患者の多くは甲状腺機能亢進症の既往はないし、80%は血清TSHは10mU/L以下である。
5.11
Nystromら(49)によるL-サイロキシン(チラージンS)治療に関する2番目の研究では、一般住民女性を対象としたスクリーニングである【表3】。最初血清TSH値が4〜15mU/Lの50歳以上の女性20人を対象者としている。この研究の強みは、対象となった患者は、典型的なスクリーニング計画によって見つけられた潜在性甲状腺機能低下症患者の見本であることである。残念なことに、研究の計画と分析が不十分なために治療の有効性を評価するには信頼性に少し欠ける。6ヶ月間の治療後、平均症状スコアーは1.81単位改善された。これはひとつの症状が改善されたことを意味する。主観的な改善と認識された点数で判断した場合、L-サイロキシン(チラージンS)治療群のうち19人中4人(24%)は症状の改善がみられ、2人(12%)は治療にて悪くなったと感じた。
5.12
Jaeschkeらの3番目の研究(50)は、37人の潜在性甲状腺機能低下症患者が外来患者から選ばれ、L-サイロキシン(チラージンS)治療群とplacebo群にアトランダムに分けられた【表3】。Placebo群はL-サイロキシン(チラージンS)治療群と比べて同等かそれ以上の有効性を示した。治療開始6ヶ月後、Cooperらのアンケートの基準によれば、L-サイロキシン(チラージンS)治療群のうち8人は改善、3人は悪化、3人は不変であった。Placebo群のうち11人は改善、1人が悪化、4人が不変であった。11ヶ月後には、L-サイロキシン(チラージンS)を服用していた人数は少なかったが、統計学的に有意に記銘力の改善がみられた。しかし、治療は症状スコアーや生活の質にはなんの効果もなかった(50)
5.13
これらの少数を対象とした短期間の研究からは重要な疑問に対する答えは見つからない。今までに、たった90人の患者に対して研究がなされたのみであり、1年以上観察された患者は一人もいない。16人の男性と16人の50歳以下の女性がこの90人の中に含まれている。患者総数があまりにも少ないために潜在性甲状腺機能低下症患者に対するL-サイロキシン(チラージンS)治療が症状を改善するかどうかは決めるのは難しい。
5.14
TSHが軽度増加している患者に対する治療効果が血清TSH10mU/L以上の潜在性甲状腺機能低下症患者に対する治療効果とほとんど同様かどうかということもほとんど研究されていない。TSHが軽度増加している患者について将来解決すべき2つの疑問に対して、異なる結果が出ている。まず第1に、甲状腺疾患と関連した症状はどれくらいなのか?一般住民において、TSHが軽度増加している患者が甲状腺機能正常の人と比べて症状が多いとか神経精神的症状が多いという事実はない。例えば、2つのスクリーニングの研究で、潜在性甲状腺機能低下症をもつ高齢者の女性では乾燥肌、疲労感、うつ状態、筋肉痙攣、記憶力低下、精神活動鈍痲などの非特異的症状がみられる。しかしながら、これらの非特異的症状は年令をマッチさせたコントロールと比べて潜在性甲状腺機能低下症患者で多くみられるわけではない(27,49)
5.15
物事を複雑にしているのは、TSHが軽度増加している患者の一部では、TSHの増加が一過性のことがあることである。3番目の研究で、Placebo群19人のうち8人では11ヶ月間のうちに少なくとも1回はTSH値が正常になっている。この研究の前に2回ともTSHが軽度増加していた患者においても、11ヶ月間のうちに少なくとも1回はTSH値が正常になっている。2番目の研究でも17人中4人でTSH値が正常になっている。一番目の研究では、TSH値が正常になった6人は研究から除外されている。たとえ早期治療がうまくいっているとしても、一過性の異常のみの患者は持続的に異常がある病気の進行する患者と鑑別しなければいけない。
5.16
潜在性甲状腺機能低下症患者とL-サイロキシン(チラージンS)治療が健康と生活の質にどのように影響を与えるのか(51)?3番目のrandomized trial(50)は、定型的なアンケート調査(Sickness Impact Profile)で、治療によって健康に関した生活の質を改善しなかった。その研究では、潜在性甲状腺機能低下症患者の平均Sickness Impact Profile スコアーは最初は10点満点の3.1であった。この採点では、スコアー3.0は病気なしと軽度の病気ありとの中間と解釈される。他の研究(52)では、ランダムに選び出した健康老人はSickness Impact Profileスコアー3.4とほぼ同じであった。
5.17
3つのrandomized trialsに基づいて、我々は甲状腺機能低下症を思わせる症状を1つ以上持っている潜在性甲状腺機能低下症患者のうち、治療した患者の100人に0〜28人で効果があるかもしれないと考える。それぞれの研究の結果の不一致は潜在性甲状腺機能低下症患者に対する治療の有効性を信頼性の低いものにし、それぞれの研究の結果だけを全体に当てはめるべきではないことを示唆している。治療の有用性の信頼性を高めるために、将来の研究は、スクリーニングで見つかった症状が軽度甲状腺機能低下症と関連している可能性のある患者や甲状腺自己抗体の陽性患者を対象とすべきである。
5.18 顕性甲状腺機能低下症の予防
時間が経つと、潜在性甲状腺機能低下症で症状のない患者でも将来、顕性甲状腺機能低下症へ進展するかもしれない。潜在性甲状腺機能低下症患者がFT4値が低値になったら、顕性甲状腺機能低下症の進展が診断される【表1】。血清の甲状腺自己抗体陽性は、顕性甲状腺機能低下症の進展への強いリスク因子である。高齢とTSH高値は潜在性甲状腺機能低下症が顕性甲状腺機能低下症の進展する可能性が増す。
5.19
症状のない潜在性甲状腺機能低下症患者に対するL-サイロキシン(チラージンS)治療は顕性甲状腺機能低下症への進展に伴う症状を予防する意図をもってなされる。この利益はrandomized trialsによる研究がされていないので、観察による研究に基づいてそ利益を評価する必要がある。早期治療の利点は病気が進展する可能性とその進展に随伴する合併症のリスクに依存する。
5.20 潜在性甲状腺機能低下症はどれくらいの頻度で顕性甲状腺機能低下症に進展するのか?
スクリーニングで発見された潜在性甲状腺機能低下症患者がどれくらいの頻度で顕性甲状腺機能低下症に進展するのかについての最も信頼おけるデータはWhickham surveyから得られる(23,53)。Whickham surveyでは研究者たちは、血清TSH6mU/L以上を潜在性甲状腺機能低下症と定義した。血清TSH6mU/L以上を示す女性の2/3が抗甲状腺抗体を持っていた。20年間の観察中に、血清TSH6mU/L以上で抗甲状腺抗体陽性の女性の55%が顕性甲状腺機能低下症に進展した(54)。これらの女性の25%は最初から血清TSH10mU/L以上であった。血清TSH10mU/L以上で抗甲状腺抗体陽性の女性が顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は90%である。
5.21
血清TSHが6mU/Lから9mU/Lまでの軽度増加している女性は顕性甲状腺機能低下症に進展する危険性は低い。Whickham surveyの研究者(54)が算出した理論的回帰式からこれらのグループの顕性甲状腺機能低下症に進展する危険を推定した。抗甲状腺抗体陽性の50歳女性では、血清TSHが6mU/Lならば20年後の顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は0.57であり、血清TSHが9mU/Lならば20年後の顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は0.72である。抗甲状腺抗体陽性の35歳女性では、血清TSH が6mU/Lならば20年後の顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は0.47であり、血清TSHが9mU/Lならば20年後の顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は0.67である。
5.22
顕性甲状腺機能低下症に進展する危険率は観察期間中平均して分布しているわけではない。最初の5年までに、血清TSHの増加している患者の8%のみが顕性甲状腺機能低下症に進展するだけであり、残りの92%は健康である(53)。5年以内に顕性甲状腺機能低下症に進展する患者のほとんどは、血清TSH10mU/L以上で抗甲状腺抗体陽性の患者である。血清TSHが6mU/Lから9mU/Lまでの軽度増加している女性57人のうち、2年以内には一人も顕性甲状腺機能低下症にならなかった、そして5年経って3人(5.2%)が顕性甲状腺機能低下症に進展した。軽度TSH(6〜9mU/L)が増加している患者では、5年後の顕性甲状腺機能低下症への進展に差はなかった。
5.23
我々は軽度TSH(6〜9mU/L)が増加している患者に対する早期治療の効果を評価するためにこのWhickham surveyの結果を使った。もし35歳以上の女性1,000人がスクリーニングを受けたとしたら、80人が潜在性甲状腺機能低下症と診断される。その80人のうち43人は軽度TSH増加(6〜9mU/L)と抗甲状腺抗体陽性である。
5.24
もしこの43人がチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の治療を受けるならば、何人に効果があり、そしてどれくらい経ったら効いてくるのか?Daneseらは(43)、計算上では顕性甲状腺機能低下症への進展係数は年0.054である。この場合だと、5年までに早期の治療により10人では顕性甲状腺機能低下症への進展を予防できたが、残り33人の患者は5年間、無駄なチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の治療を受けたことになる(NNT=4.3)。TSH値が軽度増加しているときには、診断がついてからの数年は顕性甲状腺機能低下症への進展の危険性は低いために、このやり方だと早期の治療の利益を過大評価してしまう。暫定的なWhickham surveyの結果を参考にするなら、5年間で顕性甲状腺機能低下症への進展を予防できたのはたった3人の女性のみであるが、残り40人ははっきりした有効性も確認できないのに5年間治療を受けたことになる(NNT=14.3)。
5.25
20年間で、43人中29人(67%)が顕性甲状腺機能低下症への進展を防げたが、残り14人は健康なのに治療を受けていたことになる。全体的にみると、1,000人の女性がスクリーニングを受ける度に、人数と年数を掛けた数すなわち800枚の処方箋が発行される。この800枚のうち505枚の処方箋は顕性甲状腺機能低下症へ進展する以前の治療による利益がはっきりしない時に、無駄に発行されていることになる。
5.26
顕性甲状腺機能低下症への進展する無症状の患者では、早期治療がどれくらい病気を予防できるのか?前に述べた如く、一人の無症状患者が顕性甲状腺機能低下症への進展を防げたNNTは4.3-14.3である。このことは、77〜93%の患者がはっきりした根拠なしに5年間もチラージンS(甲状腺ホルモン剤)による治療を受けていたことを意味する。この程度のNNT値が望ましい値かどうかは、自然に潜在性甲状腺機能低下症から顕性甲状腺機能低下症への進展が有意で可逆性な病的状態と関連しているかどうかとか治療それ事態の副作用に依る。
5.27
軽度甲状腺機能障害から顕性甲状腺機能低下症への進展を防ぐ治療についての有用性は顕性甲状腺機能低下症への進展が早期治療によって予防可能な重大な病気の負担と関連があるということを示すデータによって裏付けられる。残念ながら、新しく診断された甲状腺機能低下症の病気の程度や症状の重症度、甲状腺機能低下状態の期間、または一見健康そうな人に対してチラージンS(甲状腺ホルモン剤)を広く使用したときの副作用などについての研究はない。
5.28 スクリーニングで血清TSH高値を発見された患者は慎重な経過観察にて利益を得るのか?
もし、普通の定期診察より早く診断、治療が可能なら、潜在性甲状腺機能低下症患者の経過観察は有益なものとなり得るであろう。病歴聴取、診察、甲状腺機能検査などによる慎重な経過観察をすれば、血清TSH10mU/L以上の患者にとっては有益なものとなる。血清TSH10mU/L以上の患者のほとんどは、最初の数年で顕性甲状腺機能低下症に進展する危険性が高い。この期間中の甲状腺機能のチェックは顕性甲状腺機能低下症への進展を早めに発見でき、病気がさらに進展する前に治療を開始できる。
5.29
血清TSHが軽度高値のみの患者では慎重な経過観察をしてもあまり有用性はないように思われる。このグループの患者では、血清TSHがこれ以上増加するとか顕性甲状腺機能低下症へ進展する可能性は低い、特に最初の2年間は。潜在性甲状腺機能低下症患者における慎重な経過観察の有効性についての研究はない。
5.30 高脂血症と血管性疾患の危険性の軽減
潜在性甲状腺機能低下症と血清コレステロール高値を持つ患者では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)で治療することで、血清コレステロールを下げ、虚血性心臓病、脳卒中、末梢血管障害の頻度を低下させる。チラージンS(甲状腺ホルモン剤)は血清コレステロール高値(240mg/dl以上)と血清TSH10mU/L以上(58-61)を持つ患者で血清コレステロールを下げる作用を持つ(55-57)。潜在性甲状腺機能低下症患者の4人に1人で血清コレステロール高値(240mg/dl以上)があり、5人に1人で血清TSHが著明(TSH10mU/L以上)に増加している。ゆえに、潜在性甲状腺機能低下症患者の20人に1人(5%)で、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)による治療によって血清コレステロールを下げることができる。
5.31 これらの患者でどれくらい血清コレステロールを下げることができるか?
Daneseらは彼らの研究で、血清コレステロール高値(240mg/dl以上)のある患者ではチラージンS(甲状腺ホルモン剤)で治療することで、血清コレステロール値が17%減少すると仮定している(43)。この仮定はチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の治療を過大評価している。最近の潜在性甲状腺機能低下症患者に関する13の研究の分析から、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療により血清コレステロールは平均15.5mg/dl減少した。これは、治療前の平均血清コレステロール値259.4mg/dlの6%に相当する(57)。治療前の血清コレステロール値251.6mg/dlを対象とした研究では23.2mg/dl(8%)減少した。この13の研究のうち、6つの研究では血清コレステロールの減少は5%以内である。他の6つの研究では血清コレステロールの減少は6〜12%である。残り1つの研究では、TSH値を正常以下に抑制した7人の患者を対象としており、血清コレステロールの減少は17%である(58)
5.32
上で述べた13の研究のうちの12は、血清脂質増加、甲状腺疾患の既往、血清TSH値増加のために内分泌医に紹介されてきた患者を対象にしている。スクリーニングで見つかった患者の方がセレクトされた患者に比べて治療で血清コレステロールを減らす効果が弱いかもしれない。スクリーニングで見つかった患者を対象をした1つの研究では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療により血清コレステロールはたった2.5%減少したのみである(49)。一方、他の研究では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療により血清コレステロール値は6〜8%減少した。
5.33
50歳以上の女性をスクリーニングすることで血管障害がどの程度、予防できるのかは不明である。以下にのべることを考えるとスクリーニングの有効性は少ないと思われる。まず最初に、多くの医師は既に血清コレステロールをスクリーニングしており、もし血清コレステロールが高ければ甲状腺機能を調べている。このやり方はチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の治療を必要とする患者をスクリーニングで見つけるのと同じくらい有効なものである。
5.34
2番目に1990年の女性の人口に基づいて考えると(62)、もし、50歳以上の女性が甲状腺機能のスクリーニングを受けると、血清コレステロールの減少する候補者の35%は75歳以上の老人である。今までに、75歳以上の老人で高コレステロール血症の治療が心血管障害を予防するという事実はない。多分、老人の場合、慢性疾患があるために血清コレステロールと心血管障害の関連を分かり難くしている可能性があるために(64)、血清コレステロールは老人ではリスクファクターとしてはあまり有用ではない(63)。別の表現をすれば、平均余命の限られた老人にとって、血清コレステロールを低下させることはあまり意義のあることとは思えない。老人ではHDLコレステロールの方が血清コレステロールよりも重要な心血管障害の予知因子であるが、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療をすることで、潜在性甲状腺機能低下症患者において常にHDLコレステロールを増加させるとは限らない(50,58,59,64-66)
5.35
これらの問題をちょっと脇において、血清コレステロールを15.5〜23.2mg/dl(6〜8%)低下させた場合、心血管障害をどれくらい減らすことができるのか?治療前の血清コレステロールが251.6mg/dlのみで他のリスクファクターのない60歳女性の場合、血清コレステロールを23.2mg/dl(8%)減らすと虚血性心疾患になる危険性が10%から9%に減少し、血清コレステロールを42.6mg/dl(17%)減らすと虚血性心疾患になる危険性が10年間で8%に減少する(67)。毎年、治療により、血清コレステロールを23.2mg/dl(8%)減らした時、1人の虚血性心疾患患者を予防するNNTは1,000であり、血清コレステロールを42.6mg/dl(17%)減らした時、1人の虚血性心疾患患者を予防するNNTは476である。
5.36
まとめると、血清TSH10mU/L以上と血清コレステロール240mg/dl以上を持つ患者では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療をすることで、血清コレステロールを8%減少させることができる。しかしながら、スクリーニングで見つかった患者においてチラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療をすることで、血清コレステロールを8%減少させることができるという事実は証明されていない。
5.37 潜在性甲状腺機能低下症の治療中の副作用について
スクリーニングを薦める研究者はスクリーニングで見つかった患者の治療で副作用が出るのかどうかをはっきりさせる義務がある。チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療の副作用には神経質、動悸、心房細動、狭心症の悪化などがある。チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療の副作用については【表3】に示している研究の2つで言及している。1つの研究では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療を受けた20人のうち2人(10%)で神経質と動悸のために投薬を中止した(49)。最も新しい研究では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療を受けた18人のうち2人(11%)で投薬を中止した。1人は狭心症の悪化、もう1人は心房細動の出現のためである(50)。副作用のでた患者では注意深い観察と治療の中止を必要とする。このことは、スクリーニングの有効性を低下させ、スクリーニングの費用を増加させる。
5.38
TSH感度以下によって診断されるチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の過剰投与はもう1つの危険性である。チラージンS(甲状腺ホルモン剤)投与を受けている甲状腺機能低下症患者の15〜50%では、気付かないうちに血清TSH値が正常以下に抑制されている(38,68,69)。Framingham研究からのデータによると、血清TSH値が正常以下に抑制される量のチラージンS(甲状腺ホルモン剤)投与を受けている114人に1人の割合で心房細動が出現する(38)。十分に計画された研究の分析では、TSH抑制療法は軽度(5〜9%)だが、統計学的に有意の骨量の減少(脊椎、大腿骨頚部、橈骨遠位、大腿骨転子)が認められる(70)。この研究の著者は、閉経後の女性ではチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の過剰投与は骨粗鬆症になり易いと結論づけている。長期間のチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の過剰投与は左室肥大(71)や他の未治療甲状腺機能亢進症と関連した症状を引き起こす可能性があるが、これらの症状は臨床的に問題になったとの報告はない。
5.39 まとめ
潜在性甲状腺機能低下症に対するスクリーニングの有効性についての我々の考え方を【表4】に示している。スクリーニングの価値に対する反論の基礎となる情報との相違を強調している。ほとんどの評価はスクリーニングで見つかった患者での研究よりセレクトされた患者の観察から得られた結果に基づいている。
5.40
血清TSH10mU/L以上の患者については早期治療は最も有効であろう。Randomized trialsの結果に基づいて、血清TSH10mU/L以上の女性(スクリーニングで819人に1人見つかる)は8.3人に1人ではチラージンS(甲状腺ホルモン剤)の投与にて症状が緩和され利益を享受できる。5年間までに、血清TSH10mU/L以上の女性では治療によって2人に1人(スクリーニングを受けた112人に1人)が顕性甲状腺機能低下症に進展するのを予防できる。血清TSH10mU/L以上と血清コレステロール240mg/dl以上を持つ患者では、チラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療をすることで、血清コレステロールを8%減少させることができる。スクリーニングを受けた250人に1人がその利益を受けるかもしれない。もし、すべての患者で治療が有効であったなら(NNT=1)、5年間治療を受けた患者95〜200人の割で、1人の虚血性心疾患の患者の発生を予防できたことになる。
5.41
血清TSHが軽度増加している患者(6〜9mU/L)では、Randomized trialsでは治療により症状が緩和するということは証明されていないし、治療で血清コレステロールを減少できるとは思えない。顕性甲状腺機能低下症への進展を予防することは利益あることではあるが、もしこの目的のためにチラージンS(甲状腺ホルモン剤)治療がなされたら、かれらが治療を受けるちゃんとした理由があるとかいう以前の問題として、決して症状がでないそして顕性甲状腺機能低下症へ進展しない多くの患者に何年間もチラージンS(甲状腺ホルモン剤)を投与することになる。5年後に、4.3人〜14.3人の患者は治療を受けなければならない、そして利益を享受できる患者1人を見出すのに100人から333人がスクリーニングを受けなければならない。典型的な顕性甲状腺機能低下症がどれだけの期間、診断されないで放置されているのか、どの程度の病気の重症度と発症が関連しているのかを知るまでは、スクリーニングを受けることの利益の実際の程度はいまのところ不明である。

6.0 結論と我々の推奨
6.1
一般外来においては、50歳以上の女性に対しては高感度TSH測定の適応がある。
 
6.1.1
50歳以上の女性でTSHが測定感度以下か10mU/L以上のとき、FT4を測定すべきである。この推奨の理論的根拠は50歳以上の女性では71人に1人の割合で治療に反応する顕性甲状腺機能亢進症か顕性甲状腺機能低下症を持っているという事実である。
6.1.2
顕性甲状腺機能異常症の頻度が低いので、50歳以下の女性や全ての年令の男性におけるスクリーニングは正当な根拠がない。この推奨のもとになる証拠はU.S. Preventive Task Force system(46)のcriteriaでlevel 3であり、Haywardらの使用するcriteriaでlevel Cである。この結果はスクリーニングの有効性がないことを意味している。
6.2
スクリーニングで潜在性甲状腺機能亢進症が見つかった患者に対する治療に関する研究はない。この状態は心房細動や骨粗鬆症の危険性を増す。しかしながら、この状態の人はほとんどが健康であるために、早期治療の役割は不明である。
 
6.2.1
甲状腺腫、甲状腺結節、バセドウ病の眼症状、振戦などの甲状腺に特異的な症状が見られる患者は治療の必要性も含めて内分泌医に紹介すべきである。しかし、症状のない患者の管理についてははっきり分かっていない。
6.2.2
合併症を引き起こす可能性のある患者を予知する因子についての情報は症状のない患者の管理をしていく際の実用的戦略を作成するのに必要である。
6.3
潜在性甲状腺機能低下症の治療の有効性について可否を述べるには有用な証拠があまりにも不十分である。症状を緩和するための治療のRandomized trialsの結果は一致したものではない。
 
6.3.1
内分泌医に紹介されてくる患者にみられるような病歴の長い甲状腺疾患、スクリーニングで発見された患者と比べてもっと症状がはっきりしている患者については、治療は利益をもたらすことについては異論はない。しかし、一般住民のスクリーニングで発見された患者にすべて当てはめるのは間違いである。
6.3.2
一般外来でスクリーニングで発見された患者に治療が有効かどうかを決めるためには、多数の患者を対象としたよく計画されたRandomized trialsが必要である。
6.3.3
50歳以上のTSH10mU/L以上の女性は一番合併症を引き起こす危険性がある。これらの患者に治療を薦めるか思い止まらせるかをきめるには証拠が少なすぎる。いまのところ、治療か経過観察が妥当である。一つのやり方としては、甲状腺機能低下症によると思われる症状を持つ患者を治療することである。しかし、症状の改善がない場合は治療を中止するために慎重な経過観察は必要である。TSH10mU/L以上の患者は顕性甲状腺機能低下症に進展すると信じている医師は無症状の患者も治療したがる傾向にある。
6.3.4
男性、若い女性、TSH6〜9mU/Lの軽度増加しているのみの患者などは合併症の危険性は低い。このグループの患者では、治療が症状を緩和するという証拠はない。スクリーニングで見つかった軽度甲状腺機能異常の患者に対する治療の多数を対象としたcontrolled studyを行うことで、この疑問に答えられる。これらの患者に対して広くチラージンS(甲状腺ホルモン剤)による治療を行う前に、生活の質は損なわれないか、治療への反応はどうか、副作用の頻度などについて知らねばならない。
6.3.5
TSHの軽度増加(6〜9mU/L)しているのみの患者は医師に対して説明を求めるべきであろう。異常検査結果に対して対応を間違ったときの医療法、倫理上の重大性についての関心が一方ではあり、また他方、治療や経過観察の利益がはっきりしないために全くスクリーニングをしない医師もいる。
6.3.6
このジレンマに対する明確な答えはないが、臨床医はセレクトされたより症状のある患者に対しての治療の試みや特別の観察などを考慮すべきであろう。経過観察は、定期的な病歴聴取、診察、甲状腺機能検査などである。経過観察はどれくらいの間隔ですればいいのかについては定説はない。スクリーニングで見つかった時点から2年以内にはTSHの軽度増加(6〜9mU/L)している患者ではほとんど病気は進展しないことが分かっているので、1〜2年間隔の経過観察は必要ない。この結果に基づいて、2〜5年間隔の経過観察で十分であろう。

参考文献]・[もどる