バセドウ病に対するアイソトープ治療とがんの関連性について

<最近、論争が再燃しているが、近頃、少し安心できる事実が分かってきた>

アイソトープ治療がバセドウ病に対して使われ始めたのは1950年代です。放射線被ばくを受けるわけですから、10〜20年後にはがんになるかもしれないと心配されていました。

しかし、1998年、アメリカの研究者からの報告で事態は好転します(JAMA. 280: 347-355, 1998)。アイソトープ治療を行ったバセドウ病患者では、がんによる総死亡率は増加しないことが分かった。彼らは、アイソトープ治療はバセドウ病に対する安全な治療法であると結論づけました。

日本ではアイソトープ治療は入院を要していましたが、1998年6月から500MBq(13.5mCi)までなら外来で治療できるようになりました。当院でも、1999年7月から外来でアイソトープ治療を開始しました。前年に安全性が確認されてがんに対する不安がなくなったことと外来で簡便に治療できるようになったことが相乗効果を生み、年々、治療件数も増加していきました。

2011年、その勢いを削がれる出来事が起こりました。東日本大震災による福島原発事故です。放射能に対する恐怖からアイソトープ治療の件数が激減しました。当院でも年間250例だったのが、150例に減りました。ここ数年は年間100例前後を推移しています。

数年前から抗甲状腺薬(メルカゾール)を長期に服用する治療法が見直されてきました。手術やアイソトープ治療は甲状腺を痛めつける(傷つける)治療であるのに対し、抗甲状腺薬は甲状腺を痛めつけない(傷つけない)優しい治療法という位置づけになってきたのです。そのような事情でアイソトープ治療は以前と比べて減ってきていました。

そこに2019年7月、大変ショッキングな論文が世に出ました(Kitahara CM et al. JAMA Intern Med. 179:1034-1042, 2019)。バセドウ病でアイソトープ治療を受けた患者に乳がんを含めた全ての固形がんの死亡率が増加すると報告されたのです。この報告は、マスコミも大きく取り上げたためアメリカでは、患者や医師から放射線専門医に多数の問い合わせが殺到しました。

2019年8月(Clinical Nuclear Medicine 44: 789-791, 2019)と2019年12月(Clin Endocrinol 92: 266–267, 2020)、即座に反論論文が出ました。分かりやすく言うと、問題の論文には大きな欠点がありました。バセドウ病でない一般人を対照として比較していたのです。あまり聞きたくない事実かもしれませんが、バセドウ病自体、がんの発生頻度が高いということは多くの報告から分かっていました。ですから、抗甲状腺薬治療のバセドウ病、手術のバセドウ病患者を対照として比較する必要があります。

あと一つの欠点は、がんの交絡因子(放射能以外で、がんの発生に影響を与える因子、例えば、肥満、喫煙、アルコール摂取など)を考慮に入れていなかったことです。肥満とがんの関連はトピックになっているほどです。

実は、2019年8月に出た論文の著者は、問題の論文(Kitaharaらの論文)の共著者(共同研究者)2人なのです。この論文で、公表していないデータを公開しました。彼らはそれを根拠に、Kitaharaらの論文は間違った結論を導き出していると反論しました。こうなると、もう泥試合です。2019年12月に出た論文は、英国内分泌学会と英国甲状腺学会から出された共同声明でした。5つの問題点を指摘して、丁寧に反論しています。私自身、この声明文を熟読して納得できました。

ここからKitaharaらは、反撃に出ました。2020年7月(JAMA Netw Open. 3: e209660, 2020)、抗甲状腺薬治療患者と手術患者を対照として、アイソトープ治療患者と比較しました。指摘された欠点の1つを修正したわけです。すると、結果は違ったものになりました。アイソトープ治療、抗甲状腺薬、手術の間で固形がんの死亡率に差はみられなくなりました。さらに彼らは、2021年9月(JAMA Netw Open. 4: e2125072, 2021)、12の論文を分析した系統的レビューとメタアナリシスを発表しました。結果は、全体としてアイソトープ治療と固形がんの関連性はないと結論づけられました。しかし、2つの論文でアイソトープの投与量が増えれば固形がん死亡率が増えるという1文を付け加えていますが、何とも説得力に欠ける説明でした。

そして、決定打は2021年9月のKitaharaらの論文と同じ号に掲載されたBiondi Bの論説です(JAMA Netw Open. 4:e2126361, 2021)。彼は、理路整然と問題点を解説し、最後に「限界があるにもかかわらず、最近の文献研究からの現在の分析は、アイソトープ治療の潜在的な悪影響について安心させるものです。これらのデータは、アイソトープ治療後のがんのリスクに関する患者と臨床医の両方の不安を軽減するのに役立ちます。」という言葉で締めくくっています。

以上、最近のアイソトープ治療に対する論争を引き起こした論文が、現在、どのような位置づけになっているかを時系列的に説明しました。患者様におかれましては、極端な情報に惑わされることなく正しい情報を知ることで治療法の選択を行っていいただきたいと考え、ここに事実を公開しました。


追記)

2020年2月(アイソトープ治療と甲状腺機能亢進症患者のがん発症リスクは関連性が認められない/Thyroid. 30:243-250, 2020)と2020年10月(アイソトープ治療と甲状腺機能亢進症患者のがん死亡率は関連性が認められない/Curr Opin Endocrinol Diabetes Obes. 27: 323–328, 2020)に出た2つの論文は注目を浴びませんでした。多分、この頃を振り返りますと全世界は新型コロナウィルス感染症のパンデミックで大変なことになっていました。アイソトープ治療後のがんどころの話ではなかったのでしょう。

文責 田尻淳一(田尻クリニック理事長)