T3+T4併用治療にたどり着くまでの長い道のり

わたしが最初にT3+T4併用治療という治療法を耳にしたのは1999年のことでした。アメリカの臨床医学雑誌として有名なニューイングランド医学雑誌(N Eng J Med)に掲載されたリトアニアの研究者の論文との出会いでした(1999年2月11日掲載)。T3+T4併用治療はT4単独(チラーヂンS単独)治療に比べて気分や認知機能の改善がみられたという注目すべき報告でした。その後、名だたる一流雑誌からいろんな研究者が同じ研究を行いましたが、同様の結果が得られませんでした。そのうち、この論文も忘れ去られていきました。

奇しくも同年、1999年6月15日にDr. Ridha AREM著書の『Thyroid Solution(邦題:甲状腺の悩みに答える本)』が出版されました。わたしは早速、この本を購入して読んでみました。確かに、T3+T4併用療法について記載してありました。効果もあると書いてありましたが、何となくピンとこないで稀にそんな患者さんもいるのか位の受け取り方でした。

しかし、患者さんも勉強している人がおりまして(当時、この本を翻訳して田尻クリニックのホームページに公開していました)、T3+T4併用療法を受けてみたいという患者さんが数人受診されました。元気になったという患者さんもいましたが、わたしはプラセボ効果(患者さんが希望する治療法を受けた満足感から来る感覚)と受け止めていました。何せ、T3+T4併用療法は名だたる一流雑誌が否定した治療法ですから。医師に限らず、どの分野でも一流雑誌すなわち権威に弱いものです。そうこうするうちに、私自身もT3+T4併用療法については忘却の彼方になっていました。

再び、わたしがT3+T4併用療法に出会うのは、一人の患者さん(30才前半の女性)が訪れた2017年正月明け間もない頃でした。数年前、バセドウ病で甲状腺準全摘術を受けていました。チラーヂンSで治療中にもかかわらず、術後からイライラ感、集中力低下、意欲低下、眠気が出現しました。そこで、心療内科を受診したところ過眠症と診断されました。確かに、いくら眠っても(10時間以上)疲れが一向に取れませんでした。当然のことながら、仕事はもちろんのこと日常生活自体に大変な支障を来していました。そんなとき、わたしのホームページに公開してある『Thyroid Solution(邦題:甲状腺の悩みに答える本)』のT3+T4併用療法を読んで、是非、この治療法を受けてみたいと藁(わら)にも縋(すが)る思いで来院されました。わたしは、すぐさまT3+T4併用療法に切り替え、3ヶ月後に来院してもらうよう説明しました。3ヶ月後、彼女はわたしも驚くほど別人のように元気になっていました。でも、わたしは本当にT3+T4併用療法が効いたのだろうかと半信半疑でした。情けないことにこの時点でもなお、一流雑誌イコール権威に雁字搦め(がんじがらめ)に縛られていました。でも、患者さんからは大変感謝されて私の気分は良かったのを覚えています。

その次にT3+T4併用療法に出会ったのは、バセドウ病アイソトープ後の甲状腺機能低下症の19才男性を診た同年(2017年)12月という年の瀬近い頃でした。チラーヂンSを服用しているにもかかわらず疲れなどの症状が続くため、T3+T4併用療法を行い、症状が消失しました。まだ、この時点においても一流雑誌イコール権威の亡霊が付き纏っていました。こんな症例も例外的にいるのだなと考えていたのです。なんか、思い出すと非常に情けなくなります。

わたしがT3+T4併用療法を信用するようになったのは、1冊の本との出会いで、2023年夏のことでした。シカゴ大学医学部教授のビアンコ先生が出版した『Rethinking Hypothyroidism(邦題:甲状腺機能低下症を見直すときがきた)』を読んで頭を金槌で叩かれたような衝撃を受けました。いかに今まで自分が無知であったかと医師として恥じました。50年前から患者さんの一部はチラーヂンSを服用していても症状が続くことを医師に訴え続けていたのです。わたしに対しても、同様に訴えた患者さんもいたはずです。そのとき、甲状腺刺激ホルモン(TSH)を含めた甲状腺機能は正常ということを理由に患者さんの訴えを退け、もしくは無視してきました。2023年夏、遅ればせながら心を入れ替えて「脳の霧」に取り組もうと決心しました。

わたしは早速、ホームページの甲状腺ニュースに「甲状腺機能低下症のお話:脳の霧をご存知ですか?」を公開しました(2023年8月14日)。すると、その記事を読んだ患者さん2人が10月7日という同じ日に受診しました。このとき、わたしは運命的なものを感じました。1人は40代女性で、バセドウ病でアイソトープ治療後に甲状腺機能低下症になりチラーヂンSを服用中にもかかわらず疲れ、気持ちが落ち込むという症状を訴えていました。もう1人は同じく40代女性で、橋本病による甲状腺機能低下症でチラーヂンSを服用中ですが疲れ、眠気を訴えて受診しました。早速、T3+T4併用療法を開始して、3ヶ月後に来院してもらうことにしました。3ヶ月後、2人とも症状が消失して、元気になっていました。もう、疑う余地はありません。一流雑誌イコール権威の呪縛から完全に解放された瞬間でした。難しい話になりますが、一流雑誌に掲載された研究方法にはビアンコ先生も指摘していますが決定的な問題があり、近い将来、この問題も解決されると確信しています。

今年(2024年)2月上旬からチラーヂンSを服用中の患者さん全員に「脳の霧」についてパンフレットを渡し説明して、「脳の霧」が疑わしい患者さんにはT3+T4併用療法を始めています。一人でも多くの患者さんを「脳の霧」から解放してあげることが、我々の今の最重要事項です。

初めてT3+T4併用療法に出会ってから25年経って、ようやく入口に辿り着きました。長い道のりでしたが、この期間に多くの患者さんを解放してあげられなかったことは大きな心残りですが、これからがんばって今までの遅れを取り戻すため誠心誠意、この問題(脳の霧)に取り組んでいきます。

最後にこの長い道のりを振り返って、昔から言い伝えられている「最高の教科書は患者さんである」という名言を改めてかみしめています。

文責:田尻淳一