1892年に初めて使われた動物の甲状腺抽出物(以下、甲状腺末という)は、サイロキシン(T4)とトリヨードサイロニン(T3)の両方を含んでおり、この甲状腺末がその後の50年間に使用された唯一の甲状腺ホルモンである。この甲状腺末は甲状腺ホルモンの量が一定しないために(1)、最近ではほとんど使われなくなっている。しかし、一部の医師は今でも甲状腺末を使い続けており、彼らは他の医師から異端者扱いされている。甲状腺末や合成トリヨードサイロニンで治療すると、T3は吸収が早いので、血中T3濃度が高くなり、患者によっては服用1〜2時間後に動悸を訴えるものもいる。合成サイロキシンにはそのような不均一化の問題はないし、服用によって血中T3濃度が高くなることもない。
1960年代、有名な教科書には一日のサイロキシンの補充量は200〜400マイクログラムを勧めていた。この量だとほとんどの場合は、血中サイロキシンは高値を示しており、TSH刺激ホルモン(TRH)の反応にも無反応であった。しかし、サイロキシンが抹消で甲状腺ホルモンの活性型であるトリヨードサイロニン(T3)に変換されることが分かるまでは、血中サイロキシンを高値に保つことは必要であると考えられていた。
その後、我々は一日のサイロキシンの補充量は100〜150マイクログラムが血中TSHを正常に保つ量であることを知った。当時のTSH測定法でも、血中TSHが感度以下であることもあった。下垂体細胞は甲状腺ホルモンの変化に対して敏感で、正常範囲に保つように働いており、他の臓器と比べて末梢で変換されるトリヨードサイロニン(T3)が多いということが現在の一致した意見である。従って、TSHの抑制が必ずしも、甲状腺ホルモン剤の過剰投与とは限らないのである。
しかしながら、最近のTSH測定の進歩で正常と低値が鑑別できるようになってから、考え方が変化してきた。甲状腺機能亢進にならない程度のサイロキシンやトリヨードサイロニンのレベルでTSHのみが抑制された状態でも、実は肝臓、心臓、腎臓、骨に影響を与えていることが分かってきた。すなわち、それはバセドウ病のとき程著明ではないが、同じ事であると考えられている(2)。どのような影響が起ころうとも、それはサイロキシンの投与期間(3)や甲状腺機能低下症の原因(4)に関係してくる。主に、血中TSHの抑制が骨を弱くするという懸念の結果として、米国甲状腺学会はいち早く、サイロキシンによる治療の目標は血中サイロキシンと血中TSHを正常にすることであるというコメントを出した(5)。このアドバイスはその後の血中TSHの抑制されている高齢者では心房細動の頻度が高いという研究(6)により、裏付けられた。
製薬会社は、すばやく適正なサイロキシン投与ができるように錠剤の種類を増やして、それぞれの量で色分けした。しかし、血中TSHを正常にするサイロキシンを飲んでいるにもかかわらず、一部の患者では調子が悪いと訴える人がいることも事実である。彼らは、血中TSHを正常にするサイロキシンの量より50マイクログラムだけ多めに服用すると、調子が良いと言って、満足する。多くの内科医は、そういう患者に対しては血中サイロキシン濃度を正常の高めから少し越すくらい、血中TSHを少し低めにすることにすることに甘んじている。しかし、サイロキシンの過剰投与は骨粗鬆症のリスクがあるので、血中トリヨードサイロニンは正常範囲に保つようにしている。
サイロキシンの投与最適量について論議がなされていた間に、人間にも関連した重要な発見がラットにおいてなされた。甲状腺を全摘したラット(すなわち甲状腺機能低下症に陥った)で、サイロキシンとトリヨードサイロニンの2つを投与したときのみ、組織の甲状腺機能正常状態と血中サイロキシン、トリヨードサイロニン、TSHのすべてを正常にできた。サイロキシン単独投与ラットでは、生理量を上回る過剰のサイロキシンを投与しないと、腎臓や肝臓などの組織の中のトリヨードサイロニン濃度が正常に保てないことが分かった(8)。
この号でBuneviciusら(9)はサイロキシンとトリヨードサイロニンの併用療法(この比率は正常甲状腺から分泌されるのとほぼ同じ)が、同一患者において、サイロキシン単独投与と比べて感情や神経心理学的機能の有意な改善をもたらすことが分かった。多くの内科医は神経心理学的試験を使うのに不慣れであり、彼らの結果に懐疑的かもしれない。しかし、サイロキシンとトリヨードサイロニンの併用療法の有用性は脳にだけ限ったものではない。このvひりょうを受けた患者は、性ホルモン結合グロブリンが有意に高値を示した。この蛋白は、甲状腺ホルモンの作用を敏感に反映する。
これらの改善が甲状腺刺激ホルモン(TSH)の抑制なしでみられたことは、クスリの効きすぎはなかったことを意味する。甲状腺刺激ホルモン(TSH)はどちらの治療後にも、正常であった。
甲状腺の働きが廃絶しているときに不足しているホルモンを補充するという治療法に、確かに魅力を感じる。それなら、内科医はサイロキシンとトリヨードサイロニンの併用療法で甲状腺機能低下症患者を治療するであろうか?今のところ、ノーである。それにはいくつかの理由がある。
まず最初に、ここで紹介した動物実験において、他のほとんどの臓器と違った所見であったのは脳の皮質である。サイロキシン単独投与で血中サイロキシン値は様々であったが、脳の皮質ではトリヨードサイロニンは正常であった。もし、ヒトでも同じようなメカニズムがあるなら、血中血中サイロキシン値の如何にかかわらず、脳は代謝的には保護されていることになる。そのような状況で、サイロキシンとトリヨードサイロニンの併用療法によって、脳の機能が改善するということは驚くべき事である。ゆえに、Buneviciusらの結果は証明されること、そして例えば運動能力や心機能などの他の作用についても評価されることが重要である。
2番目に、現在入手できるサイロキシンとトリヨードサイロニンの合剤はほとんどが、サイロキシンに比較してトリヨードサイロニンが多すぎる。理想的な処方はサイロキシン100マイクログラムとトリヨードサイロニン10マイクログラムである。トリヨードサイロニンは心臓の副作用を予防するために徐放剤の開発が望ましい。
最後に、アメリカ甲状腺学会が推奨しているサイロキシンの量を飲んでいるほとんどの患者は、クスリに対して何の不満も持っていないということは決して忘れてはならない。 |
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