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[022]
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妊娠初期の母親の甲状腺機能低下症と児の知的発達について
Hong Liu, Naoko Momotani, Jaeduck Yoshimura Noh, Naofumi Ishikawa, Kazuo Takebe, Kunihiko Ito
Arch Intern Med 1994; 154: 785-787

. Dr.Tajiri's comment . .
. 昨年、アメリカのニューイングランド医学雑誌に妊娠中軽度の甲状腺機能低下症があり、それを無治療で放置すると生まれてきた児が7〜9歳になったときに普通の子供と比べてIQ(知能指数)が7ポイント低かったという衝撃的な論文が掲載されました。そのニュースは世界中を駆けめぐり今では、妊娠初期に甲状腺機能を正常にしていないと生まれてくる児が将来、知的障害が出てくるかもしれないので、内分泌科医や産科医も神経を使っています。また、妊婦もそこのところが心配です。特に、その論文が出る前に妊娠初期に軽度の甲状腺機能低下症を持っていて、これくらいでは治療の必要はないでしょうと言われていた母親は人ごとでは済まされません。あの論文は、世の甲状腺機能低下症を持つ妊婦にとっては、暗い情報を与えました。あまりにも夢がない情報です。

現在、アメリカではヨード摂取がずっと以前は不足していて一時過剰になってまた最近、不足してきていることが指摘されています。このことが、妊娠初期に軽度の甲状腺機能低下症であった妊婦から生まれた児の知的障害と関連している可能性も、最近では疑われています。それとは反対に、我が国は世界でもっともヨードを摂取している国です。妊娠初期に重症の甲状腺機能低下症であった妊婦から生まれた児でも、全く知能障害は起こらないという論文が、我が国から出ているのです。この研究は東京の伊藤病院の百渓先生たちが1994年にアメリカの一流内科雑誌に発表されています。今回のニューイングランド医学雑誌の論文には、百渓先生の論文を引用していませんでした。これは、片手落ちです。

百渓先生たちは、知能指数(IQ)を評価するのに鈴木-Binetという簡便な方法を用いたために評価がもう一つだったのかもしれません。しかし、最近、百渓先生たちは世界的に行われている(ニューイングランド医学雑誌の研究で行われているのと同じもの)知能指数(IQ)試験を行っても、結果は同じであることを確認されています。

我が国で行われた素晴らしい研究結果をここに紹介します。この情報を読まれると、甲状腺機能低下症のお母さん方は気持ちが明るくなると思います。
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目 的
胎児の甲状腺が働き始める前の母親の甲状腺機能低下症が、児の知的発達に影響を与えるかどうかについて検討した。

研究方法
妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児(グループ1)の知能指数(IQ)を調べた。妊娠中に甲状腺機能低下症の治療を受けていた同じ母親から生まれた同胞(グループ2)の知能指数(IQ)と比較した。

患 者
8人の児がグループ1に属していた。母親は妊娠5〜10週に甲状腺機能が調べられ、血中T4低値でTSH高値であった。血中T4値とTSH値は、甲状腺ホルモン剤の服用によって妊娠13〜28週までには正常値になった。この8人の児のうちの7人には、妊娠中に甲状腺機能低下症の治療を受けていたグループ1と同じ母親から生まれた同胞(グループ2)が9人いた。知能検査はグループ1では4〜10歳のときに行われ、グループ2では4〜15歳のときに行われた。

結 果
グループ1の児では全員、知能指数(IQ)は正常であった。グループ1の知能指数(IQ)(112±11)とグループ2の知能指数(IQ)(106±8)には違いがなかった。妊娠初期に一番FT4(フリーT4)値が低値(2.3pmol/L)であった母親から生まれた児でさえ、同胞と比べても知能指数(IQ)に差はなかった。

結 論
我々の今回の研究結果は、妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児に知能障害を残すという考えに対しての反論となる証拠を示した。

緒 言
甲状腺機能低下症は、ときどき女性にとって不妊の原因になる。しかし、甲状腺機能低下症を持つ女性は、従来考えられていたよりは妊娠する機会が多い(1)
甲状腺機能低下症の状態で妊娠した場合、児の発達に対する影響が一番の関心事になる。児の脳の発達にとって、母親の甲状腺ホルモンは重要な役割を果たしているという考えに支持されて、甲状腺機能低下症の母親から生まれた児は甲状腺機能正常の母親から生まれた児に比べて知的能力が劣っているという意見がまかり通ってきた(2)。最近の研究から、先天的甲状腺機能低下症の児であっても重症の甲状腺機能低下症でなければ、甲状腺ホルモン剤治療が適切な時期に十分な服用量で始められたら、知能の遅延が完全に予防できることがわかってきた(3)。これは、胎盤を通しての母体から移行する甲状腺ホルモンが重要な役割を演じていること示唆する証拠であると思われる。Vulsmaら(4)は、胎児の甲状腺が全く甲状腺ホルモンを作れない場合には、ある程度の量の甲状腺ホルモンが胎盤を通過できることを示した。しかしながら、胎児が甲状腺ホルモンを自分で作り始める以前に、甲状腺ホルモンが正常な脳の発育に必須であるという臨床的な証拠は今までに示されていない。

この研究の目的は、母体の甲状腺ホルモン不足が児の知的発達に影響を及ぼすか否かについて、検討することである。妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児の知能指数(IQ)を調べた。また妊娠中に甲状腺機能低下症の治療を受けていた母親から生まれた同胞の知能指数(IQ)と比較した。

対象および方法
8人の児(グループ1)は、 妊娠の最初の3か月間に慢性甲状腺炎による甲状腺機能低下症が見つかった8人の母体から生まれた。その8人の児のうちの7人には、妊娠中に母体が甲状腺機能低下ではなかった9人の同胞(グループ2)がいた。

グループ1において、8例中6例では、妊娠5〜10週の母体のフリーT4値は、2.3〜6.3pmol/L(正常範囲、11.6〜24.5pmol/L)であった、残り2例では母体の総T4値は52.8と30.9nmoL/L(正常範囲、92.7〜218.8nmoL/L)であった。8人の母体の血中TSH値は25〜190mU/L(正常範囲、<5mU/L)であった。フリーT4、総T4、TSH値は甲状腺ホルモン剤を補充することで妊娠13〜28週間には正常になった【図1】

グループ1と2の児は全て、先天性甲状腺機能低下症の新生児スクリーニング検査で血中TSHは正常であった。知能検査はグループ1では4〜10歳のときに行われ、グループ2では4〜15歳のときに行われた。鈴木-Binet知能スケール(日本人のために修正されたStanford-Binet知能スケール)を知能の評価のために使った;正常範囲は90から110である。

フリーT4値は、フリーT4キット(Amersham International、バッキンガムシャー州、英国)で、総T4値は、RIAキット(タイナボットCLT、日本)で測定した。TSH値は、RIAで測定した。妊婦の正常範囲は、健全な妊婦から得られた血清によって決めた。妊婦の正常範囲は次のとおりであった:フリーT4値、妊娠第16週以前では11.6〜24.5pmol/Lで妊娠第16週以降では6.4〜16.7pmol/Lである;総T4値、妊娠6週間以降では92.7〜218.8nmol/Lである;TSH値、妊娠中5mU/L未満である。

統計学的有意差はStudent-tテストによって分析され、P<0.05を有意であるとみなした。

結 果
グループ1と2において知能指数(IQ)は全て正常であった;グループ1では95から124で、グループでは90から115であった【表】。同胞を持たない1人の児を除くグループ1の児の知能指数(IQ)の平均値(±SD『標準偏差』)は112±11であった;グループ2の知能指数(IQ)の平均値は106±8【表】【図2】。2つのグループの知能指数(IQ)平均値に統計上有意な差異はなかった【図2】。妊娠初期に一番FT4値が低値(妊娠第10週、2.3pmol/L)であった母親から生まれたグループ1の児でさえ知能指数(IQ)は107で、彼の同胞の知能指数(IQ)は108であった。

コメント
我々の研究から、妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児の知能指数(IQ)は正常であることが分かった。妊娠初期に一番フリーT4値が低値(2.3pmol/L)であった母親から生まれた児でさえ、正常な知能の発達をしていた。さらに、妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児の知能指数(IQ)は、妊娠中に甲状腺機能低下症の治療を受けていた同じ母親から生まれた同胞の知能指数(IQ)と同じであった。これらの結果は、妊娠初期に甲状腺機能低下症であった母親から生まれた児に知能障害を残すことはないことを示唆するものと思われる。胎児の甲状腺は妊娠10〜12週間までは甲状腺ホルモンを作れないので、胎児の甲状腺が働き始める前には、正常な脳発達にとって母親からの甲状腺ホルモンは必須ではないことを示しているのかもしれない。

ManとSerunian(2)は、甲状腺機能低下症の治療が不十分であった妊婦から生まれた児は、甲状腺機能が正常もしくは甲状腺機能低下症の治療が十分に行われた妊婦から生まれた児より低い心理学的スコアを示すと報告した。しかし、唯一行われた甲状腺機能検査はブタノール抽出された血清ヨードのみであり、 この検査は甲状腺機能低下症を診断するには感度が低く、母親が本当に甲状腺機能低下症を持っていたのかどうかも定かでない。さらに、妊娠のどの時期にどれくらいの期間、甲状腺機能低下症であったかの記載もない。従って、ブタノール抽出された血清ヨードレベルと関係した要因(例えばT4 結合グロブリンのような)が、児の発達に関係したかもしれない。データがあまり記載されていないので推論になるが、母体が長期に甲状腺機能低下症の状態あったために、児が知能遅延になったのかもしれない。

ヨード欠乏地域からの報告によると、児の知能遅延、脳性麻痺、聾唖の発生率が高いことを示している、これは母体の血清T4値と関連していた(5)。さらに、Matsuuraら(6)は、 慢性甲状腺炎を持つ母体から移行した阻害抗体により引き起こされた一時的な新生児甲状腺機能低下症の23人の児のうちの5人が知能遅延であったと報告した。この2つの報告では、児の甲状腺機能は低下していた。このことは、児の脳発育の障害は母の甲状腺機能低下症のみが原因ではないことを推察させる。

一般的には先天性甲状腺機能低下症の児の知能指数(IQ)の評価には子供用のウェクスラー知能スケールが使われる。このテストは、トータルの知能指数(IQ)ばかりでなく言葉や行動能力をも評価できる。我々が使用した鈴木-Binet知能スケールは簡単で比較的少ない時間で施行できるので使いやすい。しかしながら、鈴木-Binet知能スケールはトータルの知能指数(IQ)のみしか評価できない点で、欠点がある。にもかかわらず、人間の胎児脳における核T3受容体の個体発生と母から胎児への甲状腺のホルモンの移行に関する研究の結果は、我々の結論と一致している。BernalとPekonen(7)は、核T3受容体の数が妊娠10週目では低いということを見つけた。通常の状況下では、ヒトにおいて甲状腺ホルモンは胎盤を通過しない。Costaら(8)の報告によれば、T3とT4 は、胎児が甲状腺ホルモンを作り始める前に胎児で検出される。しかし、それらの濃度は正常な母体の血中T3の1/150であり、血中T4の1/70である。そのような少量の甲状腺ホルモンや核T3受容体が胎児の発育に重要な役割を果たしているかどうかわからない。しかしながら、我々の結論を確認するために、さらに多数の症例を対象としたより総合的な知能試験を用いた研究が必要である。

参考文献]・[もどる