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成人において、洞性頻脈が甲状腺機能亢進症による最も一般的なリズム障害であるが、その次に頻度が高い心臓リズム障害は心房細動である。甲状腺機能亢進患者の10%〜15%で心房細動(9)がみられる;心房細動の発生率は、心臓病の有無とはかかわりなく、年齢が高くなるにつれて増加する。心房細動は、脳血管障害を起こす独立した危険因子であることはよく知られている。甲状腺機能亢進患者における塞栓症の割合を調べた研究は2つあるのみである。その一つ研究において心房細動を持つ甲状腺機能亢進患者は、正常調律の甲状腺機能亢進患者と比べて高い塞栓症がみられた(8,
10)【表1】。 |
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潜在性甲状腺機能亢進症は、一般住民ではよくみられる疾患である。潜在性甲状腺機能亢進症の頻度は、ヨード欠乏地域では成人において、0.5%〜3.9%(11)、老年者(12)では11.8%との報告もある;潜在性甲状腺機能亢進症の頻度は、ヨード欠乏地域で高いかもしれない。潜在性甲状腺機能亢進症は、無症状であり、血清T3値とT4値が正常で血清TSH値が抑制された状態と定義される(9)。一般住民で潜在性甲状腺機能亢進症の最も多い原因は、甲状腺ホルモン補充療法中かTSH抑制療法としての甲状腺ホルモン剤を服用している場合である。血清TSH低値は、一般に甲状腺ホルモン過剰の敏感な指標であって、多人数を対象とした研究で、血清TSH低値を示していた人は、10年間の経過観察で心房細動になる危険度が3倍高いことが報告された(9)。この研究では、2,007人の60才以上(フラミンガム心臓研究)の患者を10年間追跡した。これらの患者は、この研究の初めは心房細動を持っていなくて、それぞれ血清TSH値によって分類された。10年間の経過観察中に、血清TSH正常値の場合、心房細動の累積発生率は11%であるのに比し、血清TSH低値(0.1mU/L以下)を示した192人(10%)の心房細動の累積発生率は28%で有意に高値を示した(p=0.005)。血清TSH低値の場合、心房細動を呈する相対的危険度は3.1(95%信頼区間1.7〜5.5)であり、血清TSH正常値と比較しても、有意に危険性が高かった(p<0.001)。血清TSH値が僅かに低い群と血清TSH高値群での心房細動の発生率は、それぞれ16%と15%であった;これらの群と血清TSH正常値を比較しても、心房細動発生率に差はみられなかった【図1】。この研究では、もっと長期にわたる死亡率や心房細動の罹患率データがまだない。
潜在性甲状腺機能亢進症による心房細動発症の危険性に関するこれらの所見から、また以前に報告されている心房細動が血管系の死亡率を増加させるという研究結果から(7)、血清TSH低値を示す人に対して抗甲状腺剤を使用すべきかどうかは論争中である(13)。一部の研究者は治療をしないで慎重な経過観察を支持している(14)。しかし、別の研究者は、機能性甲状腺結節や心臓病の危険因子(例えば高齢者や既存の心臓病を持っている人)を持っている症例に対して抗甲状腺剤や放射性ヨードで積極的に治療することを推奨している(13)。 |
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上室性期外収縮(特に、肺静脈付近から生じるもの)は、心房細動を引き起こすことが知られている(15)。上室性期外収縮は、甲状腺中毒性患者において年令、性をマッチさせた対照群と比べて頻度が高いことが報告されている(16)。上室性頻拍症(心拍数が130/分以上で、連続して上室性期外収縮が10発以上出現と定義されている)を起こす患者の数は抗甲状腺剤治療により、減少することが報告されており、若年者に比べて高齢患者において治療前も治療中も上室性不整脈の頻度が高い(16)。我々が行った予備的な研究(17)は、今までの研究結果を支持するものである。我々は、健常者と比べて未治療の甲状腺亢進症患者において有意な上室性期外収縮(24時間に240発以上の上室性期外収縮が出現したものと定義されている)の頻度が高いことを見つけた。そして抗甲状腺剤治療により甲状腺機能が正常になったにもかかわらず、3ヶ月間は有意な上室性期外収縮がみられた。このことは、不整脈を引き起こす誘因がまだ存在していることを示している。 |
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上室性不整脈と対照的に、心室性不整脈は甲状腺機能亢進症ではそれほど多くなく、一般人でみられる頻度と同じである(16,17)。さらに、甲状腺機能亢進症患者において心室性不整脈の頻度は、抗甲状腺剤で治療しても頻度は変わらない(16)。甲状腺機能亢進症において、心室性頻拍症と心室細動は例外的であるが、著しい心不全または随伴する心臓病、虚血性心疾患を持つ患者でのみ起こることがある(18)。 |
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ベータ遮断薬は、甲状腺機能亢進症患者の甲状腺機能が正常になるまでの短期間、よく使われている。ベータ遮断薬は、動悸などの症状を和らげるために使用される(19)。この薬剤が甲状腺機能亢進症による不整脈の発生予防に役立っているかどうかについて、今まで検討されたことがない;同様に、潜在性甲状腺機能亢進症でのベータ遮断薬の役割は、不明である。一部の研究者は、循環器疾患を持つ潜在性甲状腺機能亢進症患者にのみベータ遮断薬を使用することを推奨している(14)。甲状腺機能亢進症に伴う循環器系合併症と死亡率を減少させるのにベータ遮断薬や他の抗不整脈薬などの治療薬が有用かどうかをはっきりさせるためには、前向き研究が必要である。 |
心房細動を持つ甲状腺機能亢進症患者に対して、抗凝固療法や電気的除細動を試みるべきか? |
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甲状腺機能亢進症における心房細動と塞栓症のリスクを検討した研究は、数少ないが(8,10)、甲状腺機能亢進症による心房細動での塞栓症の頻度が、リウマチ性心疾患を伴わない甲状腺機能正常の心房細動での塞栓症の頻度より高いと考えられている(20)。さらに、甲状腺機能亢進症による心房細動での臨床的に明白な塞栓症は脳に起こることが多く、甲状腺機能亢進症が発症して早い時期に最も起こりやすい(20)。これらの所見は、甲状腺機能亢進症の治療を始めて1年以内に脳血管障害による死亡率が高いことと合致したものである(3)。
心房細動を持つ甲状腺機能亢進症に対して抗凝固療法を行うことは、一般に推奨されている(19);しかし、心房細動を持つ甲状腺機能亢進症に対して抗凝固療法について検討された研究発表がないので、そのような治療法の危険/利益比率は確立されていない。心房細動を持つ甲状腺機能亢進症患者を短期間または長期間の抗凝固療法により治療するかどうかの決定は、個々の患者のおかれた状況、例えば年齢、随伴するする心臓病、抗凝固療法の危険性を考慮してなされている。抗血小板薬と抗凝固剤は、心房細動により誘発される心原性塞栓症と非心原性塞栓症に異なった影響を及ぼす(21)。アスピリンは心原性塞栓症に対してより、非心原性塞栓症に対して有効である。心原性塞栓症は抗凝固療法によってより効果的に予防されるが、アスピリンが心房細動患者において心原性塞栓症を若干、予防するかもしれない(21)。
まれに3ヶ月を越えても自然に正常調律に戻ることもあるが、甲状腺機能亢進症の治療を始めて8〜10週以内に2/3の症例では心房細動が正常調律に自然に戻ることが報告された(22)。したがって、患者が甲状腺機能正常になって3ヶ月を越えても、まだ心房細動が持続している場合、電気的除細動を時期を逸しないで行うことが重要である(22)。心房細動の持続期間の他に電気的除細動を試みるという決定を左右する因子は、随伴する心臓病の有無である。 |
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心筋細胞は、心臓を構成する全細胞の1/3を占める。線維芽細胞、平滑筋細胞、内皮細胞、他の細胞型が、残り2/3の心臓細胞を占めている。研究結果から、甲状腺ホルモンに反応するタンパク質は主に心筋細胞に存在する。心筋細胞以外の心臓細胞に対する甲状腺ホルモン影響は詳細に研究されていない。
生物学的活性を持つT3が甲状腺ホルモンの作用を発現する。T3は心筋細胞の中に入ると、核に入って、甲状腺ホルモンレセプターに結合し、DNA作用を発現する。T3に応答する遺伝子は、心臓における構造上および調節タンパク質を作る。いくつかの心臓に存在する遺伝子は、転写や転写後のレベルで、甲状腺ホルモンによって調節される【表2】。
これらの遺伝子の発現は、特定の心臓収縮収縮能と拡張期の弛緩相において、心臓血管系に重要な影響を及ぼすことが知られている(23,24)。これらの遺伝子のどれが、心筋に不整脈を起こしやすい素因を作るのかは、今のところ分かっていない。細胞膜に存在する特殊なイオン交換酵素(例えばナトリウム-カリウムATPアーゼ、ナトリウム-カルシウム交換、電圧で制御されたカリウム・チャネル(Kv1.5、Kv4.2、Kv4.3)をコード化している遺伝子の表現は、甲状腺ホルモンによって調節される(25)。甲状腺ホルモンは、核T3レセプターへの結合による作用とは別に、心筋細胞の核外にも影響を及ぼし、蛋白合成を増加させる。核外での甲状腺ホルモンの効果は、細胞膜を通過して、アミノ酸、糖、カルシウムの移動に影響を及ぼす(23)。T3は、心臓の収縮力や心拍数と関連している細胞膜に存在するイオン・チャネル(ナトリウム、カリウム、カルシウム)に影響を及ぼす。
抗甲状腺剤治療を開始4〜6週後に、甲状腺機能は正常になってくる。甲状腺機能が正常化したにもかかわらず、血管系に起因する死亡が増加する原因は、細胞に対する甲状腺ホルモンの効果が残っていることに関係しているかもしれない点に注目した。甲状腺ホルモンによる特殊遺伝子の活性化や転写の導入は、特殊遺伝子の不活化と異なっており、特殊遺伝子の不活化はより多くの時間を要するという証拠がある(25)。特に、心房の電気的な再構築のために、細胞不整脈を起こしやすい素因が続いているのかもしれない。 |
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心房と心室で起こる不整脈の頻度の差は、甲状腺ホルモンの効果に心房と心室で感受性の差があるためかもしれない。Golfら(26)は、右心房ではベータアドレナリンの結合能が、左室のベータアドレナリンの結合能の2倍であると報告した。これらの研究結果は、動物実験での研究から心房でのノルアドレナリンの代謝が心室と比べると著明に早いという結果と一致する所見である。さらに、心臓組織には、ベータ1とベータ2アドレナリンレセプターが存在していることは知られている。Stilesらの研究(27)から、右心房ではアドレナリンレセプターの約26%がベータ2アドレナリンレセプターであり、左心室では約14%がベータ2アドレナリンレセプターであることがわかった。ベータ2アドレナリンレセプターの発現における甲状腺ホルモンの効果は、電気刺激と伝達であるので、不整脈を起こしやすい素因に影響を及ぼす。さまざまな電圧制御されたカリウム・チャネル(特にKv1.5)の発現が、心室と比較して心房で30%高いことがわかっている。この事実から心房と心室での不整脈の発生頻度の違いを説明することができるかもしれない。 |
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甲状腺機能亢進症患者の中のいくつかの自覚症状と他覚症状は、自律神経系の異常を思わせる。迷走神経<注釈:副交感神経>と交感神経性の神経支配における変化は、不整脈が発生しやすい交感神経系の過敏な領域で、不整脈の発生に影響する可能性がある。自律神経系に対する甲状腺ホルモンの効果は長年研究されてきたけれど、この関連性については未だに解決していない。甲状腺機能亢進症では、アドレナリン作用が高く、迷走神経作用が低いであろうと考えられてきたが、甲状腺機能亢進症では血中カテコールアミン濃度は正常であるか、減少していた(18)。この矛盾を説明するために、ある研究者は甲状腺ホルモンとカテコールアミンの分子式が類似しているので、甲状腺ホルモンとカテコールアミンが同様の効果を発揮することができると説明した(28)。カテコールアミンに対する組織感受性の増加、二次的なベータアドレナリンレセプターの増加、副交感神経の減少(29)は、可能な説明として提唱された。
心拍数変動は、右心房洞結節における自律神経の活動性を評価するのに有用で、非侵襲的な検査である。Cacciatoriら(30)は、甲状腺中毒症患者を抗甲状腺剤で治療した後に、減少した副交感神経の活動性が正常に戻ったことを報告した記載した。これらの所見はKollaiとKollaiの研究結果(31)と同じであった。彼らは、甲状腺機能亢進症患者において圧受容体刺激に対して迷走神経の運動ニューロンの興奮性低下があることを見つけた。そして、迷走神経の活動性低下は圧受容体の再編成の結果であるかもしれないと考えた。一方、Pitzalisら(32)は、迷走神経の活動性(上記の研究と同じ方法で評価した)が甲状腺機能亢進症患者において正常者と比べて変わりがないことを報告した。我々のデータ(17)から、甲状腺機能亢進症患者において甲状腺機能が正常に戻ったにもかかわらず、心拍数変動の低下(迷走神経の活動性低下)はそのまま続いていることが分かった。甲状腺機能低下患者において行われた研究から、心拍の正常間隔変動が有意に減少していることが分かっている。そして、甲状腺機能低下症を治療することで減少した副交感神経の機能が元に戻った(33)。 |