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<第8章>
<第8章>
男性と甲状腺
一般的に、男性と女性では甲状腺疾患の症状は同じですが、診断を受けた時に男性が経験することのあるユニークな身体的、情緒的障害がいくつかあります。この章の目的は、甲状腺疾患がどのように男性の体や精神面に影響を与えるかについて述べることです。また、橋本病と闘ったある男性の経験も載せております。
橋本病は男性には比較的少ない甲状腺疾患ですが、この男性は年も職業もごく平均的な人です。彼のユニークな甲状腺の病気の経験にハイライトを当てることにより、甲状腺疾患の経験を持つ男性に共通な問題についてより深い理解を得ることができます。
でもそれは男が罹るような病気ではないのでは!  
甲状腺の病気となると、約5対1の割合で女性が男性を凌いでいます。<第7章>で述べたように、甲状腺の病気は“女の病気”という烙印が押されてきました。これは男性が甲状腺の病気にならないということではありません。北アメリカで甲状腺の病気に罹っている人は大ざっぱに数えて約1300万人おりますが、その内20%が男性です。それにもかかわらず、診断を受けた時にほとんどの男性に共通する感情は、決まり悪さです。「これは女だけが罹る病気だと思っていたのに!」とか 「おやじはこんな病気になったことなんかないのに!」というのが典型的な男性の反応です。もう一つ重ねて決まり悪さを感じなければならないのは、甲状腺の病気にホルモンが関わっているという事実です。普通の場合、男性はホルモンと言う言葉にあまりいい感じを持っていません。ホルモンは女の分野なのです。甲状腺ホルモンは性ホルモンとまったく関係ないのですが、それでも男性はどのような種類のホルモン療法であれ、それを考えるだけで怖じ気づいてしまうのです。
この男性の甲状腺疾患に対する決まり悪さは元大統領のジョージ・ブッシュ氏がバセドウ病に罹った時期のマスコミの反応に露骨に現れていました。大統領と夫人のどちらもバセドウ病と診断され、2人とも放射性ヨード治療を受けたのですが、ほとんどのニュースはブッシュ夫人の診断と治療のみを取り上げたのです。大統領の甲状腺の病気は新聞に載ることもあまりなく、ホワイトハウスのスタッフの手で、カーペットの下に掃き込まれたのです。統計学的に大統領とファーストレディーが2人ともバセドウ病に罹る確率はきわめて小さいものだとしても、もみ消されたのです。これは、元大統領のロナルド・レーガン氏が腸のポリープを取った際にはニュースのヘッドラインを飾ったことを考えれば、奇妙なことです。事実、レーガン大統領がポリープ切除のちょっとした手術を受けた時は、世界中がその一挙手一投足を逐一報道したのです。腸のポリープの方がバセドウ病より評判に関わるし、きまり悪いのではないでしょうか。放射性ヨード治療の方が小手術よりニュースとしての価値があるのではないでしょうか。明らかにそうではないのです。バセドウ病は自己免疫疾患であり、ストレスが発病のきっかけになることがよくあるので、ホワイトハウスは大統領のストレスのレベルを世間に知られたくなかったのです。実際に、大統領の地位よりストレスの多い地位とは何でしょう。しかし、ホワイトハウスのスタッフの頭に、ブッシュ大統領が甲状腺の病気を軽んじることで対応しやすいということもあった可能性が考えられます。夫人と同じ病気の餌食になった大統領が弱々しく見えて欲しくなかったのです。事実、ジョージ・ブッシュ氏が1992年の大統領選挙戦最終日に目に付くほど疲れきっていたり、大統領選挙戦参戦に気乗り薄で、やや出遅れたことやブッシュ/クウェイル氏の選挙参謀の多くが不満を訴えていたことはブッシュ氏の病気のせいであるかもしれません。甲状腺ホルモン剤がすべてバランスよくはたらくために、甲状腺ホルモン剤の量を治療後最初の2年程は調節する必要がある場合が時々あるのです。そして、ブッシュ氏のストレスの多いライフスタイルの性質から考えて、ジョージ・ブッシュ氏は度々薬の量を合わせる必要があった可能性が十分に考えられます。サイロキシンの量が少なすぎて甲状腺機能低下症に襲われていた可能性もあり、それにより不活発さとエネルギーレベルの低下が起こります。あるいは、サイロキシンの量が多すぎて甲状腺機能亢進症がまだ続いていたことも考えられ、それによって疲労が起こります。
いずれにせよ、バセドウ病がどの程度ブッシュ大統領と共和党政権に影響を与えたのかは知りようがないのですが、もしブッシュ氏がバセドウ病に罹っておらず、クリントン氏と同じ程度のスタミナで、選挙戦をもう少し早く始めていたら、なんとか2期目に勝利をおさめていたでしょうか。そんなことはないでしょう。ポイントは、ブッシュ大統領の病気が“女性の病気”から“大統領職”の病気へと姿を変えて地図の上に載ったことです。
孤立ファクター  
甲状腺の病気であることの決まり悪さが薄れてきた後で、男性はもう一つのもっとリアルな孤立という問題に直面します。女性が甲状腺の病気になった時は、甲状腺のことを相談できる本当の友達を見つけるのは難しくありません。多くの人は甲状腺の病気に罹っている女性を知っているか、関わりを持っています。男性では、同じ甲状腺の悩みを持つ仲間を見つけるのが難しいのです。
このような状況を変えるいちばんよい場所は、甲状腺支援団体です。アメリカ甲状腺協会あるいはカナダ甲状腺協会のどちらも一般向け講演を定期的に行なっており、甲状腺疾患患者がお互いに出会えるようにネットワークサービスも提供しています。残念ながら、このような団体に関わっている男性のほとんどは、妻や親類あるいは女友達を支援していることが多いのです。それでも助けを求めている男性の甲状腺疾患患者の強い味方になってくれます。もちろん、その主な目的は、甲状腺の病気についてのもっと詳しい情報を見出し、このような目に遭っている男性は自分だけではないということを知ることで、気持ちを楽にすることです。しかし、一般的に男性は病気であることをまったく受け入れようとしないということも頭に入れておくべきです。男性で甲状腺の病気の診断が遅れるのは、一部には単に医師の診察を受けたがらないためでもあります。
男性が罹りやすい甲状腺の病気はどのようなものでしょうか?  
いくつかの統計によれば、甲状腺結節を生じた男性の50%は甲状腺癌であると報告されています(<第5章><第6章>参照)<注釈:この記載はおかしい。こんなに甲状腺癌の頻度は高くありません>。そのような診断の一部は、<第5章>で述べた過去のX線治療の結果であります。しかし、男性に癌が生じる理由は、普通は特発性で原因がわかりません。残りの男性甲状腺疾患患者はバセドウ病から橋本甲状腺炎まで、ありとあらゆる種類の病気に罹ります。甲状腺疾患の家族歴がある家庭の出身である男性は、そのような家族歴のない男性に比べ、統計学的に甲状腺の病気に罹りやすい傾向があります。しかし、この章の後の方で述べますが、まったく甲状腺疾患の家族歴のない男性に甲状腺疾患が生じたことを聞かないわけではありません。
ストレスも、バセドウ病や橋本病のようなある種の自己免疫性甲状腺疾患の発病のきっかけとなる重要なファクターです。様々な理由で男性は女性よりはるかにストレスを感じやすくなっていますが、それはまず第1に、一家の生計を担う者としての圧力を感じるため、仕事やプロの世界でより大きな役割や期待がかかることが多いからです。時間通りに帰宅したり、育児休業を取ったりする男性は雇い主から低く見られることが多く、その結果、長時間働くことになり、成功しないのではないかという恐れが非常に大きなストレスを生じることがあります。さらに、男性は未だ女性と同じように自分の感じていることを外に表わそうとはしません。結果的に封じ込められた欲求不満や怒りが長期にわたって男性の情動的精神の底によどみ、さらにストレスを悪化させることがあります。この種のストレスは、男性をはるかに深刻な心筋梗塞や脳梗塞の候補者にするのですが、甲状腺疾患については健康診断の際にルーチンに行われる検査からもれることがあります。甲状腺疾患の家族歴のある家庭の出身者であれば、5年毎に甲状腺機能検査をしてもらうようにするようにした方がよいでしょう。また、飛び出しているいつもと違うしこり(結節)がないか自分で毎年、首や喉のあたりを調べるようにするべきです。これは男性の甲状腺患者の中に甲状腺癌が多いからです。
しかし、甲状腺疾患の家族歴がない場合、甲状腺の病気になる可能性はあまりありません(でもそうなることもあります)。このようなケースでの甲状腺機能検査は、甲状腺機能亢進症または機能低下症に特有な症状が何か出たりしない限り必要ではありません。この後に述べますが、男性の症状には性機能不全も含まれることを知っておいてください。
甲状腺機能亢進症と男性の生殖機能  
甲状腺ホルモンは数種類の組織に影響を与えるため、甲状腺ホルモンが多すぎると男性の生殖器系に深刻な影響がでることがあります。甲状腺機能亢進症の男性は、インポテンツを訴えたり、乳房が大きくなってきたのに気付くことがありますが、これは女性化乳房として知られる病気です。一部の男性では、精子数の減少が起こり、そのため不妊となる場合もあります。若い思春期の男性が甲状腺機能亢進症になった場合、正常な思春期の発達が遅れることがあります。ひげや恥毛が生えてこなかったり、性器が大きくならないこともあります(息子さんが思春期で正常な発達をしていない場合、甲状腺の検査をしてもらうようにした方がよいでしょう。甲状腺機能亢進症の治療をすれば、発達は正常に戻るはずです)。
医療界では甲状腺機能亢進症が男性の生殖機能に影響するかどうかについて、議論がなされてきました。一部の医師は、どのようなものであれ男性の生殖機能が妨げられることはきわめてまれであると感じています。しかし、18歳から45歳の男性の精巣機能に関する最近の研究で、いくつかの驚くような結果が出たのです。
バセドウ病による甲状腺機能亢進症のある男性9人のうち6人が、甲状腺機能亢進症の症状がはっきり出た後に勃起不全やインポテンツが起こったことを訴えていました。同じ男性で、正常な甲状腺機能を持つ同じ年の男性の精子数に対する精子数を測定しました。すると、甲状腺機能亢進症の男性の精子数は著しく低くなっており、これらの甲状腺機能亢進症の男性では、過剰な甲状腺ホルモンが精子の産生に有害な影響を与えるという結論が出ました。この研究では、テストステロン(男性の性ホルモン)と黄体形成ホルモン(LH、男性の脳下垂体ホルモン)も同じ6人の男性で著しく減っていることがわかったのです。これらの男性で、精子数の減少やインポテンツを起こしていたのはテストステロンレベルの減少だったのです。その上、テストステロンレベルの減少で、一部の甲状腺疾患のある男性が経験する乳房の肥大も起こるのです。これは、もちろん甲状腺機能亢進症の男性9人のうち、6人が統計学的に不妊である可能性があるということです。
もし、精子数が少なく、インポテンツに悩んでいる場合、念のため甲状腺機能検査を受けるようにしてください。甲状腺の病気があることがはっきりしたら、治療は簡単ですし、セックスの能力も甲状腺機能が正常になるとともに元に戻るはずです<注釈:女性の場合の「甲状腺と生殖能」については情報源/患者情報[005]<10>を参考にしてください>。
「診断を受けるまで甲状腺が何なのかまったく知らないで過ごしてきた」  
これは3年前に橋本病の診断を受け、最近退職した元IBMのシステムエンジニア、ジョンの言葉です。診断を受ける前、彼は年にざっと10万ドルは稼いでいました。非常にストレスの多い環境で何百万ドルもの計算をして長時間働いていたのです。また、後に結婚することになる女性との新しい関係も始まっていました。
『私は典型的なベビーブーマーでした』と彼は言っています。
ジョンが最初に甲状腺疾患の症状に気付いたのは40歳の時でした。奇妙な身体的、情緒的症状を経験しましたが、単に仕事のせいでまいってしまったためだろうと思っていました。慢性の消化不良と便秘、息切れ、胸痛、そして心悸亢進がありました。また、不安の発作にも襲われ、時にはあまりひどくて夜中に目が覚め、まるで自分が爆発するのではないかと感じたこともあります。時々、いいようもない緊張をほぐすために、家具を叩き付けようとしたこともあります。さらに悪いことに、ジョンは異常な疲労や眠気、抑鬱感を感じていました。『憂うつで何もかもだめだという気持ちでした。物事や誰かのことを気にかける能力がなくなってしまったようでした』と彼は振り返っています。
その症状がジョンの仕事に影響しはじめました。 彼はこう言っています。「私のような地位にある男は常に100%のできを期待されるんです。98%じゃだめなんです」自分の症状に戸惑いながら、あたかもそれがシステム工学の問題であるかのように、彼は自分の病気と取り組むことに決めたのです。どのような些細なもののようであっても、自分の症状をすべて書き付けて記録し、それから家庭医のもとに予約を入れました。医師に診てもらう時、ジョンは症状のリストを手渡しました。医師はジョンがひどいストレスのためだと思っていた症状に驚愕し、ただちに2週間仕事を休むように指示しました。
ジョンは医師の言う通りにして、休みを取ったのですが症状は改善されませんでした。2週間後ジョンは仕事に戻りましたが、同僚から弱っているように見られていると感じたのです。圧力に屈したものは競争できないのだと。ジョンは精神科にかかることにしました。そして何度か治療を受けた後、自分の症状は絶対にストレスのためだと信じるようになり、IBMの早期退職制度を使うことにしました。
数週間ゆっくり休み、読書をしたりして過ごしたのですが、ジョンの症状は悪化するばかりでした。15時間も寝ていたのに、十分な睡眠を取ることができませんでした。彼の活動的なライフスタイルにもかかわらず、20ポンド(約9キロ)も体重が増えました。そして友人が顔がむくんでいるようだと言ったのです。目も出っ張ってきました。しかし、昔いろいろな目の病気に罹ったことがあり、視力が弱かったので別に何とも思いませんでした。退職して2〜3ヶ月後にとうとう家庭医のところにもう一度行き、他の検査をする前に徹底的な血液検査をするよう強く頼みました。この時点で初めてジョンのT3、T4およびTSHのレベルがチェックされたのです。検査ではT3とT4が非常に低く、TSHレベルが高くなっており、甲状腺機能低下症の典型的な徴候を示していました。しかし、医師は単に甲状腺の病気の疑いがあると言っただけでした。
医師はジョンに、彼の症状がそうであるとすれば、ルーチンに甲状腺の病気のあるなしを調べただろうと言いましたが、ジョンが男性であるため、甲状腺の病気がある可能性は非常に低いと思っていたのです。さらに、このような病気に男性が罹ることは非常にまれだとも説明しました。ジョンは直ちに内分泌病専門医に紹介され、そこで再度甲状腺ホルモンレベルの血液検査を受け、また甲状腺の画像診断と放射性ヨード取り込み試験も受けました。内分泌病専門医は、ジョンにはっきり目立つ甲状腺腫があることも見つけました。13日以内に、ジョンは慢性リンパ球性甲状腺炎−橋本病−という診断を受けたのです。そして、0.15ミリグラムの甲状腺ホルモン剤を処方されました<注釈:チラーヂンSだと3錠です>。数日うちに症状が消えはじめました。ジョンは相当重症の橋本病であると言われました。<第3章>で述べたように、重症の甲状腺機能低下症のケースでは、重大な心臓病が起こることがあります(ジョンに胸痛や心悸亢進があったことを思い出してください)。
皮肉なことに、ジョンの家族には誰も甲状腺疾患の病歴を持った人がいませんでした。彼は教養があり、高い教育を受けていましたが、診断を受ける前に甲状腺のことなど聞いたこともなかったのです。したがって、甲状腺の病気が女性の病気だと言われていることも知らなかったのです。彼は思い出して、こう言いました。「それよりむしろ、私を診た医師が男だというだけで、甲状腺の検査をしなかったというのが腹立たしく思いました。甲状腺の検査をなかなかしてくれなかったので要らぬ苦しみを味わうことになったのです」それでも、ジョンは自分の症状が体に関係した病気であり、治せるのだということで本当に安心したため、決まり悪いなんぞということはなかったのです。
今では、ジョンは今までになかったほど気分がよいと言っています。診断を受けた後、甲状腺関係団体にも連絡を取りましたが、まだ他に甲状腺の病気に罹っている男性には出会っていません。
ジョンの経験から何が学べるでしょうか。まず、医療界の中から排除する必要のある男性の甲状腺疾患に対する偏見的態度がまだいくらか存在しているということです。一般的に、甲状腺機能検査は男性と女性のどちらにも広く行われているのですが、ジョンの話しから必ずしもそうではないということがはっきりわかります。ジョンのかかりつけの医師が言ったように、ジョンが女性であったとしたら、もっと早くその症状を甲状腺の病気に結び付けたことでしょう。また、甲状腺の病気が男性の精神状態に及ぼす影響についても、もっと研究がなされる必要があります。研究によって“男性”特有の症状がはっきりすれば、男性の甲状腺疾患の誤診も防げるはずです。
しかし、乳児や小児の甲状腺疾患は、性別には関係なく、男女どちらにもほぼ同じ頻度で起こるようです。<第9章>で子供の甲状腺疾患について述べることにします。
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