これは3年前に橋本病の診断を受け、最近退職した元IBMのシステムエンジニア、ジョンの言葉です。診断を受ける前、彼は年にざっと10万ドルは稼いでいました。非常にストレスの多い環境で何百万ドルもの計算をして長時間働いていたのです。また、後に結婚することになる女性との新しい関係も始まっていました。
『私は典型的なベビーブーマーでした』と彼は言っています。 |
ジョンが最初に甲状腺疾患の症状に気付いたのは40歳の時でした。奇妙な身体的、情緒的症状を経験しましたが、単に仕事のせいでまいってしまったためだろうと思っていました。慢性の消化不良と便秘、息切れ、胸痛、そして心悸亢進がありました。また、不安の発作にも襲われ、時にはあまりひどくて夜中に目が覚め、まるで自分が爆発するのではないかと感じたこともあります。時々、いいようもない緊張をほぐすために、家具を叩き付けようとしたこともあります。さらに悪いことに、ジョンは異常な疲労や眠気、抑鬱感を感じていました。『憂うつで何もかもだめだという気持ちでした。物事や誰かのことを気にかける能力がなくなってしまったようでした』と彼は振り返っています。 |
その症状がジョンの仕事に影響しはじめました。 彼はこう言っています。「私のような地位にある男は常に100%のできを期待されるんです。98%じゃだめなんです」自分の症状に戸惑いながら、あたかもそれがシステム工学の問題であるかのように、彼は自分の病気と取り組むことに決めたのです。どのような些細なもののようであっても、自分の症状をすべて書き付けて記録し、それから家庭医のもとに予約を入れました。医師に診てもらう時、ジョンは症状のリストを手渡しました。医師はジョンがひどいストレスのためだと思っていた症状に驚愕し、ただちに2週間仕事を休むように指示しました。 |
ジョンは医師の言う通りにして、休みを取ったのですが症状は改善されませんでした。2週間後ジョンは仕事に戻りましたが、同僚から弱っているように見られていると感じたのです。圧力に屈したものは競争できないのだと。ジョンは精神科にかかることにしました。そして何度か治療を受けた後、自分の症状は絶対にストレスのためだと信じるようになり、IBMの早期退職制度を使うことにしました。 |
数週間ゆっくり休み、読書をしたりして過ごしたのですが、ジョンの症状は悪化するばかりでした。15時間も寝ていたのに、十分な睡眠を取ることができませんでした。彼の活動的なライフスタイルにもかかわらず、20ポンド(約9キロ)も体重が増えました。そして友人が顔がむくんでいるようだと言ったのです。目も出っ張ってきました。しかし、昔いろいろな目の病気に罹ったことがあり、視力が弱かったので別に何とも思いませんでした。退職して2〜3ヶ月後にとうとう家庭医のところにもう一度行き、他の検査をする前に徹底的な血液検査をするよう強く頼みました。この時点で初めてジョンのT3、T4およびTSHのレベルがチェックされたのです。検査ではT3とT4が非常に低く、TSHレベルが高くなっており、甲状腺機能低下症の典型的な徴候を示していました。しかし、医師は単に甲状腺の病気の疑いがあると言っただけでした。 |
医師はジョンに、彼の症状がそうであるとすれば、ルーチンに甲状腺の病気のあるなしを調べただろうと言いましたが、ジョンが男性であるため、甲状腺の病気がある可能性は非常に低いと思っていたのです。さらに、このような病気に男性が罹ることは非常にまれだとも説明しました。ジョンは直ちに内分泌病専門医に紹介され、そこで再度甲状腺ホルモンレベルの血液検査を受け、また甲状腺の画像診断と放射性ヨード取り込み試験も受けました。内分泌病専門医は、ジョンにはっきり目立つ甲状腺腫があることも見つけました。13日以内に、ジョンは慢性リンパ球性甲状腺炎−橋本病−という診断を受けたのです。そして、0.15ミリグラムの甲状腺ホルモン剤を処方されました<注釈:チラーヂンSだと3錠です>。数日うちに症状が消えはじめました。ジョンは相当重症の橋本病であると言われました。<第3章>で述べたように、重症の甲状腺機能低下症のケースでは、重大な心臓病が起こることがあります(ジョンに胸痛や心悸亢進があったことを思い出してください)。 |
皮肉なことに、ジョンの家族には誰も甲状腺疾患の病歴を持った人がいませんでした。彼は教養があり、高い教育を受けていましたが、診断を受ける前に甲状腺のことなど聞いたこともなかったのです。したがって、甲状腺の病気が女性の病気だと言われていることも知らなかったのです。彼は思い出して、こう言いました。「それよりむしろ、私を診た医師が男だというだけで、甲状腺の検査をしなかったというのが腹立たしく思いました。甲状腺の検査をなかなかしてくれなかったので要らぬ苦しみを味わうことになったのです」それでも、ジョンは自分の症状が体に関係した病気であり、治せるのだということで本当に安心したため、決まり悪いなんぞということはなかったのです。 |
今では、ジョンは今までになかったほど気分がよいと言っています。診断を受けた後、甲状腺関係団体にも連絡を取りましたが、まだ他に甲状腺の病気に罹っている男性には出会っていません。 |
ジョンの経験から何が学べるでしょうか。まず、医療界の中から排除する必要のある男性の甲状腺疾患に対する偏見的態度がまだいくらか存在しているということです。一般的に、甲状腺機能検査は男性と女性のどちらにも広く行われているのですが、ジョンの話しから必ずしもそうではないということがはっきりわかります。ジョンのかかりつけの医師が言ったように、ジョンが女性であったとしたら、もっと早くその症状を甲状腺の病気に結び付けたことでしょう。また、甲状腺の病気が男性の精神状態に及ぼす影響についても、もっと研究がなされる必要があります。研究によって“男性”特有の症状がはっきりすれば、男性の甲状腺疾患の誤診も防げるはずです。 |
しかし、乳児や小児の甲状腺疾患は、性別には関係なく、男女どちらにもほぼ同じ頻度で起こるようです。<第9章>で子供の甲状腺疾患について述べることにします。 |