2ヶ月の治療で、何も変わりはありませんでした。医者は、甲状腺機能の検査結果からすると調子はいいはずだと言いました。確かに少しは良くなったように思いましたが、元気になったとは思いませんでした。私は気分がすぐれず、そして、私の忍耐力はかつてない程、最低でした。別のクスリが、私の人生を変えてくれることを望んでいました。Armour<注釈:ブタの甲状腺ホルモンを乾燥させ飲み薬にしたもの、日本ではチラーヂン末またはチレオイド錠として処方されています>について読んだり、他の甲状腺機能低下症の人々と話す機会を得て、私は、T3とT4を飲むことで元気になるように考えるようになりました。
もはや、甲状腺機能の結果を待つまでもありませんでした。
6月になって、一日0.25グレイン(1グレイン=64.8 mg)のArmourを数日間服用してから、元気になってきたように感じます。私の顔は、もはや浮腫んだ感じではありませんでした。欠点だらけの自分ではなくなり、治っていくのを実感できました。
まもなく、私は皮膚がなめらかになってきたのにも気付きました。
運動のしすぎと思っていたあちこちの痛みも、あまり感じなくなりました。娘と屋外で遊ぶことが、私の生活の一部になり、また元気も出てきたし疲れも感じなくなりました。
ある日、わたしは洗面所の鏡に映った自分の姿を偶然にちらっと見ました。そして、嬉しい驚きを感じました。化粧をしていないのに、以前と同じような肌に戻っていました。私は手で顔をこすりましたが、手には化粧はついていませんでした。妊娠以来、自分の顔色をまともに見たことはありませんでした。そのとき、わたしは健康と幸せ感で突然、顔色が明るくなったように思いました。鏡に映った女性(わたし)は、健康そのもでした。これこそ、わたしだ!!ついに元の自分に戻りました。
私は夫に話すため、ホールに走り下りました。彼は微笑んで私を抱き締めてくれました。風変わりな生理も良くなってきました。生理は、ここ数年間は不規則でした。Levoxyl(レボキシル;合成T4製剤、日本ではチラーヂンS)を服用し始めて、1ヶ月に2回、生理がきていました。今では、生理もほぼ正常になり、期間も短く、程度も軽くなっていました。当然、回数も元に戻りました。Levoxylを服用し始めて生理が不規則になり、いつ生理が来るか分からなくなっていましたので、より強い食欲、チョコレートを食べたくなる、疲労などの生理前症候群の症状が戻って嬉しくなりました。
1ヶ月経ったころには、私は他の思いがけない利益に気づき始めました。ここ3年間は不眠で悩まされていましたが、ぐっすり眠れるようになりました。以前はちょっとしたことで神経にさわっていましたが、今はそのようなこともなくなりました。睡眠を取ることで体にエネルギーが充電されるのを感じました。
私が家族および友人と元のように関わり合いを持てるようになったという感覚はお金では買えない貴重なものでした。疲れて出場不能なのではなく、また試合に出られるのだと思いました。私は,娘に対してより忍耐を持って接することができるようになり、夫ともうまくいくようになりました。交通渋滞でも、イライラしなくなり、人生をユーモアをもってみれるようになりました。「いいでしょう。すぐに検査しましょう」と彼女は言いました。
4月以来、私の余暇は甲状腺機能低下症の勉強で費やされました。友人や家族と愉快に過ごすのではなく、沢山の一見関係がない症状についてもあらゆるものを読み、ウェブ・サイト、医学研究、本の中に答えを探しました。私は自分自身が主治医になろうと努力しました。しかし、それは憤りを感じるだけでした。
私は自分の主治医になろうという役割を降りることにしました。そして、楽しみを見つけられるようになってきていました。休暇はすぐそこに来ていました。もちろん、万歩計をつけることは私の楽しみではなくなってきていました。依然として約10ポンドの体重増加は変わりませんでした。ついに、今年中に水着がぴったりした体型に戻るということは不可能だと受け入れられるようになりました。もっとリラックスして、自分の時間を十分に取ろうと決心しました。
夫と私は、休養は贅沢ではなく、必要なものとして認識し始めていました。夫も私もストレスの塊でした。そして、過去数年を振り返ることはDanteの詩にでてくる灼熱地獄と対局するようなものでした。親戚の3人が死亡し、親戚の別の3人が解雇され職業を変えていました。私はといえば、私の楽しみでもあり、反面、緊張感に満ちていた旅行雑誌社での仕事を辞めて、自由契約のライターになっていました。家を買う契約書にサインしたその日に妊娠したのです。子供が産まれてすぐに家を改装しました。わたしたちは正気ではなかったのでしょうか?たぶん、正気ではなかったと思います。
わたしたちが堪え忍んで、成し遂げたすべてのものは大きな代償をもたらしました。わたしたちは共に手を広げすぎたことが分かりました。そして、わたしたちは、立ち止まる必要を感じました。より多くの仕事をするのではなく、夏の間、のんびりすることに決めました。そして、夫に私の考えを話したら、彼は拍手喝采してくれました。
成人を対象とした教育クラスの秋号が届いたある朝、私がヨガ・クラスに夫と二人分の申込書にサインするのに約2秒しかかかりませんでした。夫にはあとで既成事実として了解を得ました。わたしたちは、外に出てなにかしなければと考えました。彼はあまり乗り気ではないようでしたが、ヨガを試みることに同意してくれました。私は、ヨガは男らしい行動であると言いました。
クスリを変えて約4週後、私は,服用して最初に感じた良くなるという感じがゆっくり弱まっていくのに気づきました。ちょっとした疲労感を感じ始めていました。庭の土を掘ったり、あるいはジムで長い心肺機能を高めるような激しい運動をすると、甲状腺機能低下症になる前より疲れやすいように感じました。そして、もちろん体重は全く変わりませんでした。良く見せようと繕っていると感じていました。しかし、何か間違っていると思いました。
Armour服用を始めて約4週後、主治医が指示したとおり、血清TSHの検査をする時がきました。私は、血清TSHの正常値を信用しなくなり始めていました。自分自身の正常値があると感じていました。血清TSHの本当の正常値は2mU/L以下であるという論文を読みました。Levoxylを服用しているときでさえ、TSHの結果がよかったときでも、自分では元気には感じられなかったことを思い出しました。今、私はとても気分が良くなったので、Armour服用して1ヶ月経って、血清TSH値はいくつかしらと思いました。今までの血清TSH値との比較はとても興味を引きます。以前、私が健康なときに、血清TSH値を測定したことはないので、一体、誰がわたしの血清TSHの正常値を知っているのかと思いました。自分自身の感覚から判断すると、まだ血清TSHの正常値にはなっていないことは確かでした。
私は医師5に、私の願いを受け入れてくれて、薬剤を変えていただいたことに心から感謝していますという内容の長い手紙を書きました。Armourを服用し始めて、以前よりも気分は良くなりましたが、まだ元の自分の調子ではないようですと説明しました。私は、自分のベストの状態を最終目標にしたいと書きました。もし、血清TSH値が2mU/Lより高かったら、Armourの投薬量を増やしてほしいと書きました。私の状況を把握するために、公表された仕事を参考にして、何人かの専門家のところに相談に行きました。彼ら全員が、本当の血清TSHの正常値はたぶん2mU/L以下であるという意見を支持しました。わたしは手紙の内容を狂信的でなく、感情的でもなく、あくまでも公正に保つように心がけました。しかし、はっきりと従順でないことも示しました。私はArmour服用を始めて1ヶ月後の症状の変化を具体的に書きました。
私は、このような手紙を書くことによって私自身に大きな恩恵をもたらしたと思っています。まず最初に、私は、医師に逆らう気はないこと、私の症状が見逃されたり、無視されなかったことを知ってもらうために、医師に手紙を書きました。今、自分で書いた手紙を見直してみると、私がかつて経験したジェットコースターに乗っているような上がったり下がったりする経験をはっきりと認識できます。私がついに解答を見いだしたことが分かったときには、大いなる満足感を覚えました。
私は、手紙をファックスして、血液検査を受けて、結果がでるのを待つことにしました。その夜、夫と私は車に荷物をのせました。翌日夜明け前に、我々は、まだ眠っている娘を座席に乗せ、コッド岬に向けて出発しました。我々は、自転車に乗ったり、池で水遊びをしたり、浜辺で昼寝したり、日没を見たりしました。我々は愉快に過ごすことに熱中しました。そして、我々は思い通りにできました。充実した時を過ごせました。
家に帰ったときには、どんな検査結果であろうと気にもなりません。私は、最終的に自分の元の調子に戻ったかどうかを知るのに、検査センター、血液検査、医者は最早、必要ではないことを理解しています。 |
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