|
|
潜在性甲状腺機能低下症の患者の多くは症状があっても軽いか、全くないので、一般住民を対象としたスクリーニングが支持されてきた(4)。予防的な治療の有用性が証明されていないので、一般住民を対象としたスクリーニングに全員が賛成しているわけではない【表1】。費用効率モデルで検討すると、35歳以上の女性に5年毎にスクリーニングを行った場合、一生で一人に9200ドルかかる。この利益の半分は顕性甲状腺機能低下症の予防に寄与する。利益の30%は潜在性甲状腺機能低下症の症状を改善することに寄与する。そして、残り少しの利益は血清コレステロールを低下させ、将来、虚血性心臓病を予防することに寄与する。このモデルで一番お金がかかるのはTSH測定である。非特異的な症状を検査したり、治療する費用を減らし、高価なコレステロール治療薬の投与を止めることで、医療費の節約が可能になる。
妊娠中の潜在性甲状腺機能低下症が診断されないときには、児の神経精神発達(13)や生存率(14)、または母体の高血圧や妊娠中毒症(15)に悪影響を与えるかもしれないために妊婦のスクリーニングが支持されている(13)。加えて、研究結果から潜在性甲状腺機能低下症は排卵や不妊にも関連していることが示唆されており、妊婦のスクリーニングを価値あるものとみなしている(16)。 |
|
潜在性甲状腺機能低下症の治療による利益とリスクはこの20年間、議論されてきた。潜在性甲状腺機能低下症を治療する利益は3つのカテゴリーに分けられる。最初は、顕性甲状腺機能低下症への進展を予防すること、2番目は脂質代謝を改善し、心血管系の死亡率低下に寄与する、最後に精神的異常および認識力低下を含む軽い甲状腺機能低下症の症状を改善することである。 |
|
Whickham研究(2)では、無作為に選ばれた2,800人が1972年〜1974年の間に甲状腺機能を調べた。20年後に顕性甲状腺機能低下症になる一番のリスク群は抗甲状腺抗体陽性でありかつ血清TSH高値を持つ婦人であることが分かった(17)(年4.3%の人が顕性甲状腺機能低下症になっていく:抗甲状腺抗体陰性で血清TSH正常である婦人の約38倍の頻度である)。さらに、スクリーニング時に血清TSHのみ高値または抗甲状腺抗体陽性のみの場合には、顕性甲状腺機能低下症に将来陥るリスクが増す(それぞれ年2.6%、2.1%)。スクリーニング時の年令とTSH高値を考慮に入れると、一人の顕性甲状腺機能低下症の発生を予防するために治療を要する潜在性甲状腺機能低下症患者の数は4.3〜14.3人である(18)。この人数は例えば高コレステロール血症の患者に対する治療効果(15)と同じである。 |
|
|
血清脂質に対する潜在性甲状腺機能低下症治療の効果はまだ結論が出ていない。一部の研究者(20)は、潜在性甲状腺機能低下症では健常者と比べて総コレステロールとLDL-コレステロールが高いと報告している。しかし、その結果を否定する研究者もいる(21)。最近の大規模な研究(22)で、潜在性甲状腺機能低下症を治療することで血中総コレステロールが7.9mg/dl、LDL-コレステロールが10mg/dl低下したと報告している。
HDL-コレステロールの変化は一定していない。血中総コレステロールが240mg/dl以上の潜在性甲状腺機能低下症患者や甲状腺機能低下症の治療が不十分な潜在性甲状腺機能低下症患者で、サイロキシン治療により血中総コレステロール値が有意に低下する。血中総コレステロール値が240mg/dl未満の新しく診断された潜在性甲状腺機能低下症患者では、潜在性甲状腺機能低下症をサイロキシン治療を行っても血中総コレステロール値の低下はわずか0.7mg/dlであった。少人数の研究(23)では、TSHが10mU/L未満の症例では、サイロキシン治療治療を行っても血中総コレステロール値に変化はないと報告している。TSHが10mU/L未満の症例に対する大規模な研究はなされていない。
住民検診を対象とした2つの研究からは、脂質代謝に及ぼす潜在性甲状腺機能低下症の影響について明確な結論は導き出せなかった。一つ目は、20年間経過をみたWhickham研究であるが、潜在性甲状腺機能低下症患者では甲状腺機能正常者と比べて、すべての原因の死亡率、心血管系の死亡率で差は認められなかった(24)。二つ目は、オランダの中年者を対象にしたもので(25)、潜在性甲状腺機能低下症患者では甲状腺機能正常者と比べて、BMI(Body
Mass Index)、収縮期血圧、拡張期血圧、喫煙歴、総コレステロール値、HDL-総コレステロール値で補正した場合でも、動脈硬化、心筋梗塞の既往歴のリスクが約2倍高くなると報告している。4.6年以上経過を観察しても、潜在性甲状腺機能低下症を持つ女性が心筋梗塞のリスクが有意に増加するわけではない。注目すべきは、スクリーニング時に潜在性甲状腺機能低下症を持つ女性の年齢で補正した総コレステロール値は甲状腺機能正常の人と比べて低いということである。この研究者たちは、リポ蛋白やホモシステインなどの他の心血管系リスクファクターが、潜在性甲状腺機能低下症で動脈硬化になりやすい原因の説明になるかもしれないと述べている。しかし、これに関しては発表された論文も少なく、コンセンサスは得られていない。 |
|
|
潜在性甲状腺機能低下症患者は症状があるのかどうか、さらに症状があると仮定して、治療によってその症状は改善するかどうかという疑問に対する答えは出ていない。いくつかの研究では、甲状腺機能低下症でみられる軽度の症状は同年齢の甲状腺機能正常の人と比べて、潜在性甲状腺機能低下症患者でよくみられると報告している(3,21,26)。しかし、すべての研究で同じ結果が出ているわけではない(27)。
現在までに、潜在性甲状腺機能低下症に対するサイロキシン治療に関する無作為、前向き、偽薬コントロール研究が3つ発表されている(28-30)。そのうち2つ(28,29)は、サイロキシン治療により甲状腺機能低下症の症状が改善したと報告しているが、残り一つの研究(30)では、サイロキシン治療の効果はないと結論している。全体的には、症状が改善した患者の割合は、サイロキシン治療を受けた患者の0〜28%である。サイロキシン治療の効果なしと結論づけた研究では、サイロキシン治療終了時に血中TSH値が正常の上限(4.6mU/L)であった(30)。サイロキシン治療の効果があったと判断した2つの研究から、治療による恩恵を受けるのは4人に1人であることがわかった。
少人数を対象とした2つの偽薬コントロール研究から、潜在性甲状腺機能低下症に対するサイロキシン治療のさらなる情報が得られた(31,32)。治療前の血清TSH値が5〜10mU/Lの女性を対象とした研究(31)では、サイロキシン治療では症状の改善をもたらさなかった。もう一方の研究(32)では、サイロキシン治療によって症状の改善がみられた。この研究での治療前の平均TSH値は12.7mU/Lであった。
潜在性甲状腺機能低下症では、不安やうつ症状を持つ頻度が高いと報告されている(33,34)。しかし、潜在性甲状腺機能低下症と不安やうつ症状との関連はないという報告もある(27,35)。潜在性甲状腺機能低下症患者に対して、認知能力や記憶がサイロキシン治療を行って改善するかどうかの研究が、今までに4つなされている(29,30,33,35)。4つとも対象人数は少ないが、すべてサイロキシン治療によって症状が改善している。多数例での研究はないが、今までの研究結果から、潜在性甲状腺機能低下症に対するサイロキシン治療は眼圧を低下させ(36)、心筋機能を高め(37)、末梢神経機能を改善する(38)ことが分かった。潜在性甲状腺機能低下症と排卵機能障害を同時に持つ婦人では、サイロキシン治療によって妊娠しやすくなる(16)。体重が減らない原因として、潜在性甲状腺機能低下症は考えられるが、実際にはサイロキシン治療をしても体重が減るとは限らない(28)<注釈:最近、中国からのやせクスリと称するものの中にブタの甲状腺ホルモンを混入しているものが出回っているので注意を要します>。 |
|
|
潜在性甲状腺機能低下症に対するサイロキシン治療に反対する人たちの主張する根拠は、治療にかかる費用と治療効果のある人が一部である点である。潜在性甲状腺機能低下症を治療しないで放置した場合に比べて、サイロキシン治療をした場合、投与量が多すぎると医原性甲状腺機能亢進症、それにより引き起こされる骨量減少、心房細動などの不利益を生じる可能性がある(39)。事実、ある大規模研究(3)によると、サイロキシン治療を受けている患者の21%でTSH抑制が認められる。これは、サイロキシン過剰投与を意味している。 |
|