2002年9月、私には自宅で行う朝の行事がある。たいてい、私の1日は「何はともあれ、まずコーヒーを」という言葉で始まる。沈黙とコーヒーを飲むことに加えて、私がしなければならないことが2つある:乾燥甲状腺末(Armour)とLevoxyl(サイロキシン;日本ではチラーヂンS)を服用することである。
1年前までは、クスリを飲むのは、インフルエンザまたは頭痛のときであった。現在、私は毎日クスリを飲んでいる。潜在性甲状腺機能低下症と診断されて、これから一生涯クスリを飲まなければならないと言われたとき、確かに、ショックでした。でも、今では毎日クスリを飲むことは、そんなに気にならなくなっています。私はクスリを飲むことが、生活の一部になっていると感じています。私は以前のように、運動し、働き、娘と遊び、ジムに行って泳ぎ、社会奉仕活動もするし、ヨガをします。私は完全に元の生活に戻りました。
1年ちょっと前、私の甲状腺はうまく働いておらず、私の身体の隅々まで行き渡るほど十分な甲状腺ホルモンを作っていないことが見つかりました。そのころの私は、朝のコーヒーを飲んだ後でさえ、疲れていて、無気力で気難しい状態でした。調子がどんどん悪くなって、まるで重量級のチャンピオンのように体重が増えていきました。疲れて、ぼやけた頭のために、ほとんど集中することができませんでした。そのために、わたしの仕事(物書き)や朝一番のお気に入りであるコーヒーを飲むという行動に支障をきたしていました。何よりも悪いことには、私はパーティで楽しく感じられないし、全てのことに無関心になったことでした。これは、私の考えていた素晴らしい人生ではありませんでした。
甲状腺機能がLevoxyl(サイロキシン;日本ではチラーヂンS)を服用することで正常になった後でさえ、私は無気力で体の具合が悪いと感じていました。4人の医師に相談しましたが、彼らは、「血液検査によれば、私は元気であるはずだ」と言いました。しかし、私は明らかに元気ではありませんでした。しかし、標準の治療(合成T4:ここではLevoxylのこと)を勧め、検査値のみを信頼する医師には、わたしを健康にすることはできないことを悟りました。
それで、私は自分自身で調べることにしました。複雑でしばしば矛盾している医学文献を片っ端から読みました。私はバーンズの本を買った本屋の店員と友達になりました。私は、製薬会社に電話して、合成T4とは異なる甲状腺ホルモン剤があることを知りました。そして、理論武装して、私の症状と望んでいる医療を詳しく書いた紙を持って、医師のところへ行き、相談しました。そして、私の話に耳を傾けてくれる医師が現れるまで、多くの医師に相談しました。そして、ある日、私は探していた医師に出会いました。
1年後の現在、わたしは元のように元気になって、朝起きたときにエネルギーが充電されていて、惑星に行けるほどのエネルギーを感じるときがあります。
私は、元気になれたのは私の話を聞いてくれた主治医のおかげだと感謝しています。彼女は、女性の健康管理を専攻する一般開業医です。私が「気分がよくない」と彼女に話したとき、彼女は検査結果をみるのを中断して、わたしの話に耳を傾けてくれました。彼女は、乾燥甲状腺末(Armour)の治療について効果があったという記事を読んでくれました。彼女は今までに乾燥甲状腺末(Armour)を処方したことはないと言いました。しかし、私が望むなら、彼女は乾燥甲状腺末(Armour)を処方してもいいと言ってくれました。
乾燥甲状腺末(Armour)を飲み始めて1ヶ月経った頃、私は気分が前より良くなっていたので、私が正しかったということを実感しました。2001年の夏と秋を通して、我々は乾燥甲状腺末(Armour)の服用量を調整しました。私の甲状腺ホルモン値の結果を見て、少しだけ服用量を調整しました−それは、完全なマティーニを作るようでした(面白さには欠けますが…)。私のTSH値はすでに正常範囲の中央にありました。しかし、私のTSH正常値は正常範囲の下限であるかもしれないと主治医に言いました。乾燥甲状腺末(Armour)を段階的に増加することによって、そのゴールにより近くなりました。
ついに、2001年の秋が始まったころ、私のドクターは乾燥甲状腺末(Armour)を徐々に増やして、Levoxylを減量するように言いました。10月から12月にかけて、私は乾燥甲状腺末(Armour)を体重から計算した投与量の半分から徐々に増やして維持量まで増やしました。そして、ゆっくりと、しかし、確かに、私はより精力的でよりエネルギーを感じるようになりました。12月の終りには、私は非常に調子が良いと感じるようになりました。
もちろん、1つの小さな問題もありました。増えた15ポンドが、元に戻らないことです。
少なくとも1年間、私は甲状腺機能低下症のために増えた体重を減らすために最大限の努力をしていました。
この体重増加は、想像を超えるものでした。 肥満は、私の信条に反するものです。私は、体重を元に戻したかったのです。当然、私は減量作戦を宣言しました。
まず、私は減量のための運動とダイエット食品を試してみました。野菜とサラダを食べました。水も飲みました。ピザを食べるのも止めました。週4〜6回、最高60分間トレーニング器具で運動もしました。ジムでの友人は、私が常にトレーニング器具の上にいたので、その機械に私の名札を付けるべきだとからかいました。
スニーカーをすり減らし、ジムで新しい友人もできました。私は、多くの野菜を食べました。しかし、体重は減りませんでした。1ポンドもです!!
うんざりするほど厳しいジム・スケジュールに疲れ果てて、私はトレーナー器具の運動を中断して、2〜3ヶ月間、ヨガをやってみました。私は長い間、車輪をこぎ続けるハムスターになったような気がしていましたが、ヨガを始めて穏やかな気持ちになり、精力的に活動できるように感じました。そして、ヨガは私がずっと続けていた残忍なスケジュールから解放される機会を作ってくれました。段階的に、私が服薬量を調整したように、私のエネルギー量も元に戻り、運動にも耐えられるようになりました。
1月上旬のある日、ジーンズが楽にはけることに気がつきました。多くでなくとも、そのちょっとした変化は減量に勇敢に立ち向かうためには、それで十分でした。2ポンド体重が減りました。それまでは、体重計に乗ることさえしませんでした。それからの数ヶ月間、私の身体に変化が起こり、ついに試合を開始する準備ができていました。
まず、私は減量協会に参加しました。私はカロリー計算を厳密に行うようになりました。そして、要求された水の全てを一気に飲み、飲んだ水の量をその都度書きとめました。ゆっくりと体重は減っていきました。本当にゆっくりと。減量のスピードを上げる時期に来ていました。水着を着て泳ぐシーズンは差し迫っていました。
私のゆっくりした新陳代謝を始動するために、私は重量上げを始めました。私は驚くほど筋力が低下しており、元の筋力を取り戻すのに苦労しました。当初、私は弱音を吐いていました。週三回のトレーニングを約1ヶ月続けた後、私はより重いバーベルを持ち上げられるようになりました。一週間ごとに以前の自分を取り戻してきているように感じ、体重も徐々に減っていきました。ついに、4月までに甲状腺機能低下症になる前の体重に戻り、水着、それもツーピースを着る時期にちょうど間に合いました。準備は整いました。
現在、季節は夏から秋になっています。ここ数年で一番調子が良いと感じています。いろいろなことがありましたが、私は癒やし、回復する能力に感謝しています。私は、信じられないほど健康で、再び健康に戻れたことに対して感情を持たない甲状腺にさえ感謝の気持ちが湧いてきます。私の身体はまだ完全でないかもしれませんが、ここまでこれたことに喜びを感じ、今が幸せであると思います。
私の話を読んでくれた人たちやわたしに支援を送ってくれた何百という人々に感謝の意を表したいと思います。
私がこれまでに受けたアドバイスでいちばんためになったものは次の言葉です:あなたの正常値は、あなた自身が一番知っている。その正常値は他人には分からない。
それでは、お元気で。 |
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