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サイロキシンは、レボサイロキシンナトリウムの形で、甲状腺機能低下症の治療に最も広く処方されている。サイロキシンとトリヨードサイロニン<注釈:T3>の合剤も、リオトリックスのような合成製剤と甲状腺エキスまたは動物の甲状腺から作った製剤のいずれも利用できる。合剤による治療を受けている患者は、合剤を服用後数時間で血清トリヨードサイロニン濃度が生理学的値を超えるところまで上昇する。このため厄介な心悸亢進が起こることがあり、血清サイロキシン濃度が正常範囲の下限にあるべきであることが十分に認識されておらず、しばしば不適切な用量の増加につながっている。これらの理由から、合剤治療はお勧めできない。サイロキシンによる治療の主な利点は、血清トリヨードサイロニンの産生--甲状腺以外の組織でT4からT3に変換される--が生理的にコントロールされることであり、これは普通、甲状腺外でのトリヨードサイロニンの産生が減少し、血清濃度が低くなるような場合、すなわち病気あるいは絶食中には利点となる可能性がある。
TSHの測定が利用できるようになる前は、原発性甲状腺機能低下症患者に対するサイロキシンの1日推奨量は200〜400μgであった。甲状腺によるトリヨードサイロニン分泌がない分を補うので通例として正常範囲を超える血清総サイロキシン濃度を保つようにされていたが、個々の患者の適切な量は主に臨床的判断に任されていた。血清TSH測定が利用できるようになり、ほとんどのトリヨードサイロニンが甲状腺外組織でサイロキシンの脱ヨード化により産生されるということがわかった時点で、サイロキシンの推奨量が減らされた。
サイロキシンの1日あたりの総分泌量は体重に相関しているが、習慣的に体重1キロあたりサイロキシン何μgというような処方は行なわれていない。合併症のない原発性甲状腺機能低下症患者では、最初の経口投与量は1日50μg
が適当である。その後3〜4週間の間隔をおいて1日量として100〜150μgになるまで徐々に量を増していく。甲状腺機能低下症の発症が急激に起き、早期にそれが見つかった30〜40歳以下の患者(例えば甲状腺切除術を受けた患者)では、サイロキシンの初期量は1日100μgのこともある。
治療開始後3〜4ヶ月後に、たとえわずかでも用量の調節の必要性があるかを見るため、血清遊離サイロキシン<注釈:FT4>とTSH濃度を測定する。長年にわたって甲状腺機能低下症のある患者では、治療開始から2〜3週間で健康状態の改善が認められる。体重減少やむくみの減少、脈拍や脈圧の増加は治療早期に起こる。しかし、声のしゃがれや貧血、皮膚や毛髪の変化は治るまでに何ヶ月もかかる場合がある。
1リットルあたり1.0mU以下は測定できない従来のTSH測定では、1日100か200μgのレボサイロキシンで治療を受けている患者の90%で血清TSH濃度が正常範囲に戻る(2)。多くの患者で補充量が不適切であり、ある研究では、患者の50%に血清TSH濃度の上昇があった(3)。管理がよくなるにつれ、このような状況はもはや一般的なものではなくなった代わりに、おそらく甲状腺機能低下症患者の過剰投与治療の傾向が幾分あったのではないかと思われる。TSH分泌の正常値と正常値以下(血清濃度の正常範囲は1リトルあたり0.5〜3.5mU;感度は1リットルあたり0.05〜0.1mU)を区別できる最近の測定では、多くの患者に血清TSH濃度の低下があり、濃度が上がっている者はわずかである(4)。理想的には、治療の目標を正常なTSH
濃度に戻すことにおくが、それにより、血清サイロキシン濃度が正常またはわずかに上昇した値になる。手術を受けたばかりの患者や実際に具合が悪い患者に対してサイロキシンの経口投与ができない場合もあるが、治療が7日遅れても目立った害はなく、少なくとも2週間サイロキシンを中止しない限り、患者に症状が出ることはないはずである。
脳下垂体や視床下部の疾患による中枢性甲状腺機能低下症の患者では、血清TSHレベルは低いか、または正常である。そのような患者では、サイロキシンの用量が適切であるかどうか、臨床的評価と血清サイロキシン濃度の測定を組み合わせて評価しなければならない。 |
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サイロキシンによる過剰投与治療は甲状腺機能亢進症の臨床症状を引き起こす結果となる。サイロキシン治療で甲状腺機能低下症患者の血清TSH濃度が1リットルあたり0.1mUのレベルまたはそれ以下に抑制されている以外は
健康で、甲状腺機能亢進症の臨床症状がない患者は問題ないのであろうか。TSH分泌は、正常範囲内であろうとも血清サイロキシンやトリヨードサイロニン濃度のごくわずかな変
動に敏感に反応する(5)が、これに関しては標的器官の中で脳下垂体だけがそうなのであろうか。ラットでは、前脳下垂体にある核レセプター占めるトリヨードサイロニンの50%が、脳下垂体内でサイロキシンの脱ヨード化によるものである一方で、肝臓や腎臓のような他の臓器では核のトリヨードサイロニンの20%のみが細胞内サイロキシン由来であり、ほとんどは血中のサイロキシンから来ている(6)。これらの所見をヒトに当てはめれば、TSH分泌の抑制がその他の標的器官でのサイロキシンやトリヨードサイロニン過剰を示す変化にかならずしも付随しているわけではない。したがって、サイロキシンによる治療の結果、潜在性甲状腺機能亢進症として知られている血清TSH濃度が低く、サイロキシン濃度が正常または上昇しており、トリヨードサイロニン濃度が正常な状態になったとしても、臨床的には重要ではない。しかし、TSH分泌を抑制するサイロキシンの用量では、夜間の心拍増加や収縮期時間の短縮、尿中へナトリウム排出の増加、肝臓や筋肉内の血清酵素活性の増加など、それ以上に様々な影響が出る(7,8)。これらの影響は顕性甲状腺機能亢進症のものと同じであるが、程度は軽い。症状のない患者の標的器官の機能に起こるこれらのわずかな変化の重要性には疑問があると思われる。特に最近の後ろ向き研究では、サイロキシンで治療を受けている患者で血清TSH濃度が低い患者の罹病率や死亡率が、血清TSH濃度が正常な患者に比べ増加することはないということがわかったためである(4)。また、多くの患者がTSH分泌を正常にするのに必要なサイロキシンの量より、1日50μg多い量を好んで服用している(9)。<注釈:甲状腺ホルモンの作用についてはこのページを参考にしてください>。
甲状腺機能亢進症患者、そして程度は低いがTSH 分泌を抑制するだけのサイロキシンを飲んでいる患者でも、骨吸収量が増加する。これは血清カルシウム濃度の増加、血清副甲状腺ホルモン濃度の減少(10)、および骨吸収の特異的なマーカーであるピリジノリンの尿中排泄増加によって示される(11)。骨形成のマーカーである血清オステオカルシンは抑制量のサイロキシン投与を受けている患者で増加するが、これはおそらく骨吸収が増加する結果であると思われる(12)。したがって、サイロキシンの過剰補充に関する主な懸念は、骨に悪影響が及ぶ可能性である。一部の研究では、様々な部位で著しい骨密度の減少が見つかっているが、TSH分泌を正常範囲以下のレベルに抑制する量のサイロキシンを長期にわたって投与されている閉経前と閉経後の女性の研究すべてで見つかっているというわけではない(12-22)。しかし、骨折率が増加した事実はない(4,23)。
このような相反する結果は、甲状腺機能を1回だけ評価することで、時間の経過全体を通じての甲状腺の状態ではなくある一点のみをみる研究の不十分な性質を際立たせることとなった。また、この結果から骨密度減少を起こすに必要なTSH
抑制の程度についての疑問が浮び上がった。もっと重要なのは、一部の患者グループの不均質性である。そのようなグループは人数が少なく、喫煙や運動不足、甲状腺切除や放射性ヨード治療による相対的カルシトニン欠乏(24)、過去の甲状腺機能低下症の病歴、および不適切なカルシウムやビタミンD摂取のような骨粗鬆症の重要なリスクファクターに関し、それらのグループから得た結果をそれに釣り合う女性グループから得た結果と比較することができない。
サイロキシンの過剰治療は、骨粗鬆症の発症ではマイナーな病因ファクターであると思われるが、それがファクターである以上は、原発性甲状腺機能低下症患者の過剰治療に反対する論拠となる。 |
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長い間不十分な量のサイロキシンで治療を行なうと、血清サイロキシン濃度が低く、血清TSH濃度が上がり、甲状腺機能低下症の症状が持続して、罹病率が増加する。しかし、ほとんどのケースで、量の不足は血清TSH濃度の上昇(潜在性甲状腺機能低下症)で見つかる。服用が不規則である証拠がなければ、サイロキシンの量を1日25〜50μg増加し、3ヶ月以内に患者の再診査を行なうべきである。 |
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潜在性甲状腺機能低下症は不適切なサイロキシン補充治療が原因で起こるだけでなく、自然発症もある。もっとも多い原因は、慢性甲状腺炎である。これは成人の3%、閉経後の女性の10%に起こる(25)。また、手術や放射性ヨードによる甲状腺機能亢進症の治療後にも多く起こり、炭酸リチウムのような薬剤の使用が原因で起こる場合もある。潜在性甲状腺機能低下症は、甲状腺疾患の病歴がある患者のフォローアップ中、あるいは疲れや体重増加のような非特異的な症状に対する生化学的スクリーニングにより見つかるのが普通である。潜在性甲状腺機能低下症患者に対してサイロキシン補充治療が利益になるのかどうかははっきりしない。潜在性甲状腺機能低下症には標的器官の可逆的機能変化を伴なうという証拠がいくつかあるが、これは顕性甲状腺機能低下症で起こることと同様であるものの、それほど著しくはない。これらの変化には左心室機能障害(26)、聴力低下(27)、そしてタンパク質に対する毛細管透過性増加(28)がある。 |
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甲状腺ホルモンが脂質代謝に及ぼす影響には相当の関心が生じてきている。顕性甲状腺機能低下症患者では高脂血症が頻繁に見られ(29)、血清TSH濃度の上昇が虚血性心疾患のリスクファクターであると主張されているためである(30)。
もしそうであれば、この関連性は高脂血症を通じてのものではない可能性もある。なぜなら、正常な被験者と比べ、潜在性甲状腺機能低下症患者のほとんどに血清総コレステロールあるいはトリグリセライド濃度の上昇がなく(31-33)、血清TSH濃度が正常値に戻った後に大きく減少するというようなこともないからである(26,29,34-37)。
52名の潜在性甲状腺機能低下症患者グループ(平均年齢53歳)で、条件が非常によく似た正常被験者に比べ、血清中の低密度リポ蛋白(LDL)コレステロール濃度が高く、高密度リポ蛋白(HDL)コレステロールが低いことがわかっているが(33)、サイロキシン治療の影響は評価されていない。数件の少数患者シリーズで行なわれた研究では、患者の年齢や性比、および平均血清TSH濃度は様々であったが、それぞれ異なるTSHの値を正規化すると、血清LDLコレステロール(35)あるいはHDLコレステロール(35,36,38)には変化がないか、血清LDL
コレステロールの減少(38)または血清HDL コレステロールの上昇があった(37)。 |
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潜在性甲状腺機能低下症患者の治療を支持している臨床家にもっとも大きな影響を与えているのは次のような知識である。そのような患者の25%から50%がサイロキシンを飲んでいる間は具合がよく(39,40)、潜在性から顕性甲状腺機能低下症への年間変化率は、放射性ヨード治療または手術で甲状腺機能亢進症の治療を受けた患者(41,42)や慢性甲状腺炎患者(43)では約5%である。65歳以上では、慢性甲状腺炎患者が顕性甲状腺機能低下症になるリスクが高い(年あたり20%)(44)。
潜在性甲状腺機能低下症であることが確認された患者では、サイロキシンを処方して顕性甲状腺機能低下症への進行を防ぐのは道理にかなっている。顕性甲状腺機能低下症患者がそうであるように、潜在性甲状腺機能低下症患者におけるサイロキシン治療の目標は血清TSH濃度を正常なレベルに戻すことである。しかし、血清TSH濃度がわずかに上がっているだけであり(例えば1リットルあたり10mU未満)、患者に甲状腺腫や甲状腺の病歴、あるいは抗甲状腺ペルオキシダーゼ(ミクロソーム)抗体がなければ、治療開始後3ヶ月〜6ヶ月して血清TSH濃度測定を再度行い、長期治療が必要かどうかを確かめるようにした方がよい。これは、最初の濃度上昇が単に非甲状腺性疾患(45)あるいは患者がすでに回復した一過性の甲状腺破壊を反映しているだけの場合があるためである。 |
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適切なサイロキシンの用量が確定したら、年1回患者の診察と血清TSHの測定を行なうのが適正な診療である。これはコンプライアンスの確認だけでなく、用量の調節が必要かどうかを確かめるためである。例えば、手術または放射性ヨード治療でバセドウ病を治療した後の甲状腺機能低下症患者の平均サイロキシン必要量は、特発性の甲状腺機能低下症患者の必要量よりも少ないが、年数が経つともっと高い用量が必要になる場合がある(46)。
この理由として考えられるのは、それらの治療後にTSHレセプター抗体の産生が徐々に減少し(47)、したがって残った甲状腺組織の機能も下がってくるということである。まれなケースでは、長年にわたり甲状腺機能低下症でサイロキシン治療を受けていた患者に、バセドウ病が起こることがあるが、これはTSHレセプター抗体が甲状腺の働きを抑えるタイプ<注釈:阻害型>から刺激するタイプ<注釈:刺激型>の抗体に変わるためである(48)。
1日150μg以上のサイロキシンを服用している患者で、血清TSH濃度が上昇する理由としてもっとも多いのは、不規則な服用である。しかし、腸が短いこと(49)や数種類の薬剤のいずれかを併用していること(50)による吸収不良が原因である可能性も考えるべきである【表1】。血清サイロキシンとTSHの上昇が組み合わさっている場合は異常に思われるが、これはきちんとサイロキシンを飲んでいなかった患者が受診前の数日間、せっせと薬を飲んだためである可能性が高い。 |
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甲状腺機能低下症患者のほとんどは、生涯にわたるサイロキシン治療を必要とする。しかし、甲状腺機能低下症が一過性である状況があることもよく知られている。例えば、亜急性または無痛性甲状腺炎(産後甲状腺炎を含む)の回復期(51)に数週間、潜在性または軽度の甲状腺機能低下症になることがある。慢性甲状腺炎が原因の甲状腺機能低下症は自然に寛解する場合があり(52)、特にヨード過剰摂取が関係している場合に起こりやすい(53)。
分娩時ヨードを含有した消毒剤で膣を消毒したり(54)、新生児の皮膚を消毒する(55)ことで一過性の甲状腺機能低下症になることがある。そして、この疾患は慢性甲状腺炎の母親から生まれた新生児にも起こることがある。これは阻害型TSHレセプター抗体<注釈:甲状腺の働きを抑える抗体>が胎盤を通過するためである(56)。
未治療または不適切な治療を受けているアジソン病患者<注釈:副腎皮質の働きが低下した病気。故ケネディー合衆国大統領もこの病気でした>では、幾分血清TSH濃度が上がることがあるが、通常はグルココルチコイド(副腎皮質ホルモン)補充療法で正常範囲に下がる(57)。甲状腺亜全摘の後にも一過性の甲状腺機能低下症が起きることがある。このような可能性があることが一般に認識されていなかったため、不必要な治療や術後の甲状腺機能低下症の発生頻度を誤って高く見積もることとなった。軽度の甲状腺機能低下症の症状の有無にかかわらず、血清サイロキシン濃度が低く血清TSH濃度が高い状態は、手術後3ヶ月で約30%の患者に起こる。しかし、そのような患者の大多数で、術後6ヶ月までに血清サイロキシン濃度は正常に戻り、血清TSH濃度も大抵は正常に戻る(58)。放射性ヨード治療で甲状腺機能亢進症を治療した後にも同じような甲状腺機能の変動パターンが起こる(59)。したがって、手術または放射性ヨード治療で甲状腺機能亢進症の治療後6ヶ月経過するまでは、永久的な甲状腺機能低下症であるとの診断を下すべきではない。臨床的理由からサイロキシンを早めに処方する必要がある場合は、1日50〜75μgの適正値以下の用量を投与すべきである。6ヶ月経過時の血清サイロキシンとTSH濃度の測定値から、もっと高い用量で治療を続けるか(血清TSH濃度が上がっている場合)、あるいはサイロキシンを中止するか(TSH濃度が正常または低い場合)がわかる。患者は4〜6週間後に再診察を受けなければならない。 |
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高血圧がない状態で、顕性甲状腺機能低下症が冠動脈硬化症の発生率増加に関係しているのかどうかについては、まだ疑問があるものの(60)、長年甲状腺機能低下症に罹っている患者の3%程度に狭心症の報告がある。また、サイロキシンによる治療中にも同じ程度の割合の報告がある。ほとんどの患者で、狭心症に変化がないか、あるいはサイロキシン治療で軽減、または消失のいずれかが認められる。しかし、悪化する場合もある。心筋梗塞や急死は、1日25μgという少量のサイロキシンで治療を受けている患者にもよく認められる合併症である(61)。実際、甲状腺機能低下症と狭心症を呈している患者の40%はTSHを正常にする適正な補充治療に耐えられない(62)。そのような患者では、ベータ遮断剤や血管拡張剤を追加しても大して効果はない。未治療あるいは不完全な治療しか受けていない甲状腺機能低下症があっても冠動脈の手術または血管形成術の成績に悪影響を与えることはないため、血管造影実施に対する適応を緩めるべきである。したがって、ほとんどの患者では最初から完全補充量<注釈:TSHを正常にする量>のサイロキシン治療を行なうことが可能なはずである。しかしながら、高齢者や手術不能の患者では、1日あたり12.5μg〜25μgの量のサイロキシンで治療を開始し、4〜6週間おきに1日あたりの量を25μgずつ徐々に増やしたとしても、完全補充<注釈:TSHを正常にする量>ができない場合がある。 |
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妊娠中の甲状腺機能低下症は、胎児と母親が病気になるリスクの増加を伴なう(63)。一般的には自己免疫疾患が妊娠により軽快するため、慢性甲状腺炎のある女性では、サイロキシンの用量を減らす必要があることが予測される。しかし、血清TSH濃度は妊娠前に適切なサイロキシン治療を受けていた甲状腺機能低下症(慢性甲状腺炎の妊婦を含む)の妊婦の最大75%でサイロキシン投与量が増加する【図1】(64)。あるシリーズでは、正常な血清TSH濃度にするために必要なサイロキシンの1日あたりの平均増加量が52μgであった(65)。この増量が必要な理由ははっきりしないが、妊娠中の血清サイロキシン結合グロブリン濃度<注釈:TBG>の増加も一因である。これは血清遊離サイロキシン<注釈:フリーT4>とトリヨードサイロニン<注釈:T3>濃度の減少を引き起こす。この減少が甲状腺よりの分泌で補われることはない。甲状腺組織の機能がないからである。妊娠中は、三半期毎に血清TSHを測定して甲状腺機能の評価を行なうべきで、特に甲状腺癌の治療を受けた女性は常にTSH分泌の抑制が必要であるため、必ず行なわねばならない。
出産後直ちに妊娠前に使っていたサイロキシンの用量に戻してよい。
出産後最初の6ヶ月以内に全女性のほぼ5%が一過性の甲状腺機能障害に罹る。もともと慢性甲状腺炎があった女性のリスクがもっとも高い。障害のパターンは様々に異なるが、一過性の甲状腺機能亢進症の後に同じ一過性の甲状腺機能低下症が起き、その後回復するというパターンが多い。一過性甲状腺機能障害の経過や生化学的様相は亜急性甲状腺炎とよく似ているが、痛みや血沈速度の上昇は産後甲状腺炎の特徴ではない。そして、この2つの疾患は組織学的にも異なるものである。ほとんどの患者は症状がないが、時に4〜6週間のサイロキシン治療が必要になる場合がある。その後の妊娠で一過性の甲状腺機能障害が再発するだけでなく、結果的に永久的な甲状腺機能低下症に進むこともあるということがよく知られている(51)。 |
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新生児に対する先天性甲状腺機能低下症のスクリーニングは、今やほとんどの国でルーチンに行われている。この疾患の罹患率はおよそ出生4000人に1人である。その原因としてもっとも多いのは甲状腺発育不全である。正常な知的、身体的発達のために適切な治療が欠かせない(66)。重篤な甲状腺機能低下症のある乳児は、治療しなければ生後6ヶ月〜12ヶ月の間に毎月3から5点IQが下がっていく。できるだけ速やかに正常な基準値範囲の上の方に乳児の血清サイロキシン濃度が上がって来るよう、十分なサイロキシンを投与しなければならない(67)。推奨される開始量は1日あたり体重1kgにつき10から15μgである。最初の6ヶ月は4〜6週おきに、6ヶ月〜18ヶ月は2ヶ月おきに乳児の診察を行い、血清サイロキシン濃度とTSH濃度を正常基準値の範囲内に維持するよう量の調節を行なわねばならない。
フォローアップ中に血清TSH濃度の上昇があればそれは生涯にわたる治療が必要なことを示すものである。そうでなければ、甲状腺機能低下症が永久的なものであるか、一時的なものであるかを確かめることが大切である。頻度は高くないが後者の場合は、例えば慢性甲状腺炎の母親から阻害型TSHレセプター抗体<注釈:甲状腺の働きを抑える抗体>が胎盤を通って子供に行ったためという可能性もある。子供が3歳になったら、サイロキシン治療の中止後4週間して血清サイロキシンとTSH濃度を測定すれば、脳の発達を損なうことなく、鑑別することが可能性である。
サイロキシンで早期治療を行なっても、先天性甲状腺機能低下症の子供がすべて正常なIQになるとは限らない。76名の子供で実施されたある研究では、5〜10歳時での結果は、生後1ヶ月の間の治療開始時期(14
日対28日)あるいはサイロキシンの開始量(25μg 対50μg)には相関していなかったが、診断時の血清総サイロキシン濃度で示される甲状腺機能低下症の重症度には相関していた(68)。適切な治療を行なっても、一部の子供には軽い運動失調や集中力がないなどの行動障害が出る。しかし、これらの欠損はスクリーニング導入前に認知障害や神経機能障害が高率に発生していたことと比べれば、軽度のものである。 |