情報源 > 書籍の翻訳[D]甲状腺の悩みに答える本
<第1部・第2章>
第1部<第2章>
ストレスと甲状腺ホルモンバランスの乱れ:どちらが先なのか?
私が医学部の3年生に最近行った講義の終わりに、ジョンという名前の学生が来て、彼の23歳になる妻、クリスティーに去年から“奇妙な症状”が出ているのに、初期医療担当医が何も悪いところを見付けることができなかったと話しました。「僕は彼女が甲状腺の病気ではないかと思います。彼女には先生がおっしゃった症状の多くがあるからです」と彼は言いました。最初にクリスティーに会った時、彼女は自分に起こっていることを話しました。 彼女の話はたくさんの甲状腺疾患患者が経験している典型的なものです。
クリスティーは彼女の症状が1年前、ジョンと結婚し、彼女が法学部に入った時期に溯って始まったことを覚えています。その頃、彼女は太り始め、ものすごく疲れるようになりました。時々、彼女は脈が速く打つのを感じ、気分が変わりやすくなり、何の理由もなく泣くようなことがありました。クリスティーは務めを果たすのに非常な困難を来たしており、しばしば体が“奇妙”に感じられました。彼女は自分の症が新婚生活のストレスのせいだと思い、夫と自分の勉強の間で悩んでおりました。彼女の母親は、法学部への入学と結婚を同時にするべきではなかったと言って、そのような症状を起こした彼女を責めました。
彼女がかかった初期医療担当医は最初、彼女の頻脈が心臓病を示すものではないかと心配しましたが、心電図をとったところ正常であることがわかりました。その医師はクリスティーのスケジュールをもっと詳しく調べた後、彼女の母親と同じようにその症状がストレスによるものだと言ったのです。クリスティーがやっと私の診察を受けに来た時、血液検査で彼女の甲状腺が不活発になっていることを確かめました。
クリスティーは私にこう言いました。
こうなる前は、私はのんびりした人間でした。でも急に何もかもが腹立たしくなったのです。ほんの些細なことやちょっとした問題でも、私にはこの世の終わりのように感じられ、すぐに解決しなければならないように思えました。別に料理を一生懸命したわけではないのに、ジョンが私が出した食事を食べ残すとかっとなったのです。すべてに過剰に反応するようになっていました。そしてジョンは次の瞬間には私が何に腹を立てるのかわからないのでおろおろしていました。こんなことが丸1年続いたのです。
明らかに、クリスティーが感じていたストレスが実際にもっとひどいストレスを生み出していました。彼女の甲状腺ホルモンバランスの乱れが、以前は決して彼女に影響することがなかった程度のちょっとしたストレスにも対処できなくしていたのです。
クリスティーは1年間も不必要な苦しみを受けたのです。治療によって、彼女の甲状腺ホルモンレベルのバランスがよくなった後、クリスティーは彼女が直面しているストレスに対し、ずっと平静な気分で対処できるようになりました。「もう、馬鹿みたいなことで腹を立てることはなくなりました。とても気分がよく、今では学校でも家庭でも、まいってしまうようなこともなくうまくいっています。ジョンも喜んでいます。最近彼はこう言いました。『元どおりになったんだね。また素敵な君が戻ったんだね』」
クリスティーの話は、甲状腺ホルモンバランスの乱れが、如何にストレスに満ちた出来事への対処能力に影響を与え得るのかということをはっきり示しています。通常の場合であれば、例えそれが毎日の生活の中のほんの些細な部分に過ぎないようなことに対してさえそうなのです。事実、甲状腺疾患では他のどの病気よりもストレスと病気との関係がはっきり表れます。甲状腺ホルモンバランスの乱れは、病気の元が体なのか精神なのかを分けることが如何に難しいかということを示すため、精神と体の相互関係を見るのには理想的な例であります。
あなたの精神がどのようにストレスに対処するかで、すぐに回復するか、それとも感情的にも身体的にも消耗するストレス−病気−ストレスのサイクルに陥るかを決めるのです。難しい状況にもわりと簡単に対処できるゆったりした人は、そのようなサイクルに押し流されてしまうようなことはあまりありません。ストレスの多い状況に我慢できないような人は、結局はストレスを受けるとその反応として甲状腺ホルモンバランスの乱れが起きてしまいます。でも、このような人を病気になったからといって責めてはなりません。彼らは、クリスティーがそうであったように、自分で自分のその病気をもたらしたわけではないのです。ストレスへの対処の仕方は皆それぞれ違います。そして、ストレスは避けることができないものです。それは人生の必然的な部分です。
ストレスをたくさんの刻み目のある長い棒だと考えてみてください。その棒の片方の端には小さな刻み目が付いており、それは同僚と口喧嘩したり、子供が清涼飲料水をソファーにこぼしたとか、片づけなければならない書類が多すぎるなどのちょっとしたストレスを表わしています。棒の中程にはもっと大きな刻み目があり、これは失職や経済的な不安、あるいは結婚生活のトラブルなどのような人生の大きな出来事を表わしています。棒の反対側の端には大きな傷があります。これは暴力や虐待の犠牲者になったとか、戦争に行ったというような心に大きな傷を残す事件を表わすものです。しかし、あなたの体と精神がそのようなストレスの多い出来事に対し、どのように反応するかということの方が、その出来事そのものの性質より、あなたがそれをどう感じたかということにもっと関係があると思われます。
あなたが何かを感じると、それを統合して脳内の化学作用を通じてストレスの多い出来事に対して反応します。体は嬉しいことや腹立たしいことに対し、大脳辺縁系と呼ばれる脳の領域で反応します。この同じ領域で気分や感情のコントロールがなされております。これは甲状腺ホルモンが大量に送り込まれる脳の部分でもあります。大脳辺縁系内では、甲状腺ホルモンが主な化学作用物質であります。
甲状腺ホルモンバランスの乱れは、甲状腺ホルモンが足りなくても、多すぎても、ありとあらゆる感情気分および認知への影響を生じます。このどちらもがストレスに対処する能力を弱め、ストレスに対処できなくなっていきます。感情がかき乱されると当然それが新しいストレスを生み出します。そしてそれが怒りやかんしゃく、うつ病、そして不適応行動として表現されることがあります。この新たに生み出されたストレスから生じた腹立たしい状況はさらに拡大して感じられ、絶え間なく心理的に圧迫を感じるようになってきます。
のんびり屋さんであっても甲状腺の機能に障害が起これば、簡単にこのストレスの罠に陥ってしまいます。これは単に甲状腺ホルモンが我々がストレスをどのように知覚し、感情的に反応するかを司る化学物質の一つに過ぎないからです。甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状は、ストレスの症状、あるいは大きなストレスのかかる出来事のせいで起こったものとされることがよくあります。ストレス反応と甲状腺ホルモンバランスの乱れの症状がよく似ているため、甲状腺疾患患者に共通な問題が起こってきます。ホルモンバランスの乱れが苦しみの元となっていることがわかるまで、長いこと気付かれないまま過ぎることがあります。患者と医師のどちらも甲状腺ホルモンバランスの乱れによる症状を、患者の体と精神に悪影響を与える化学物質のバランスの乱れより、むしろストレスのせいにしてしまいます。
ストレスがどのようにして甲状腺ホルモンバランスの乱れを引き起こすのでしょうか。
精神状態やストレスが甲状腺の病気を引き起こしたり、悪化させることがあるということを理解しておくことが非常に大切です。そうすれば自分の健康を取り戻す方法を学ぶことができるからです。私の患者からよくこう聞かれます。何がこの病気を起こしたり、引き金になったりするのですか?ストレスが唯一の有力な触媒ではないとしても、それは多くの患者にはっきりと認められるものです。それでも、医師がストレスを引き金を引くファクターとして重視しないことが多いのです。
ディーパック・コプラ、アンドリュー・ウェイル、およびバーニー・シーゲル等の医師は、病気を避けたり、打ち勝つために、態度と精神に関連した方法(瞑想や誘導リラクゼーションのような)が重要であると強調しています。そして、ストレスと病気の間の関係がよくわかってきました。『病気の構造』は精神と心で病気に打ち勝ったノーマン・カズンズの物語ですが、これは心の健康と体の健康との間の明白なつながりを一般に認識させた最初の記念すべき本の一つです。この本が1970年代後半に出版されて以来、数多くの研究でこのつながりが裏付けられています。
研究により、ストレスがどのように精神と体に影響するかということがさらに詳しくわかってきました。ストレスがかかると、脳が内分泌腺の大きな反応を引き起こす化学的メッセージを出します。そのような反応の一つが副腎皮質によるストレスホルモン、コルチゾールの作り過ぎです。このホルモンの作り過ぎが繰り返して起こると、他の化学物質がストレスに関連した多くの有害作用を起こすようになります(1)。ストレスにうまく対処すれば、この内分泌系の反応は最小限に止まり、長く続きません。しかし、長いことストレスに曝されていると、次のようなことが起こってきます。大きな感情の動揺や抑圧、あるいは外傷、ストレスに対処するのが困難になり、内分泌系が慢性的に攻撃されるようになり、健康上の問題を起こします。
内分泌系の様々な器官はストレスに反応するように作られています。しかし、これらの反応は免疫系を犠牲にして起こります(2)。口喧嘩や敵意の影響について行われた研究では、心理学者のジャニス・キーコルト−グレーザーが夫婦喧嘩の際により敵意の強い人の方が、免疫系が強く抑制されることを示しました(3)。高いレベルのストレス−そしてもっと重要なのはストレスにうまく対処する能力がないことですが−は、免疫系を弱め、体の感染に対する抵抗力を弱くしてしまいます。ストレスにより、長引くウィルス性、細菌性の感染症が起こります。ある実験的研究では、相当のストレスを受けている人にウィルスを注射すると、ほとんどストレスがないか、または全くない人より病気になりやすいことが示されています(4)。ストレスによる免疫系の弱化は主に、内分泌系とその化学物質をメッセンジャーとして使う脳の化学成分によって定められます。その結果、その人は感染や病気に罹りやすくなります。免疫系は侵入してきたウィルスを攻撃しますが、そのウィルスが甲状腺の性質とよく似た分子構造を持っていれば、免疫系がそのウィルスを攻撃する抗体を作り出した時に、その抗体が甲状腺をウィルスと間違えてしまいます。この筋書きの主役は免疫系です。
そのことを頭に入れておくと、あなたがストレスにうまく対処し、また能動機制(ストレスに直面した際にそれに能動的に対処しようとすること)が強ければ、ストレスに反応して次々に放出される脳内化学物質やホルモンの勢いは緩やかになります。そして、免疫系に対する有害な影響は最小限で済みます。ストレスを上手に受け止め、対処する人とそれ以外の人との間の違いは、ゆったりしていて免疫系が乱れたり、過剰なコルチゾールのために他の病気に罹ったりすることが少ないということです。体がストレスにうまく対処できず、その反応として抑鬱状態になる人は、問題を生じ易い傾向があります。
脳と免疫系をつなぐ生化学反応の流れが、どのようにして精神的ストレスが甲状腺ホルモンバランスの乱れを引き起こすかということの根元にあるのです。いちばん多い2種類の甲状腺機能障害の根本的な原因は免疫系の障害です。
  1. 【慢性甲状腺炎】:甲状腺ホルモン欠乏を起こすいちばん多い疾患
  2. 【バセドウ病】:甲状腺ホルモンの作り過ぎを起こすいちばん普通に見られる病気
これらの甲状腺疾患のどちらも、体が自分自身を攻撃するというパターンを反映しているため、自己免疫疾患として認識されています。どちらのケースでも、免疫系が甲状腺を攻撃する抗体やその他の化学物質を作り出して、甲状腺の機能を変えてしまいます。しかし、多くの人は慢性甲状腺炎またはバセドウ病の特徴を示す免疫反応が甲状腺に起こったとしても、甲状腺の異常を示すような症状を経験することはありません。
これら2種類の病気は甲状腺内でまったく反対の反応を引き起こしますが、このどちらかに罹る人には同じ遺伝子の異常があります。これが多くのケースで、同じ家族内の複数の人が罹患する理由の説明となると思われます。甲状腺やその他の自己免疫性疾患に罹りやすい遺伝的素因は、誰が甲状腺ホルモンバランスの乱れを起こしやすいかを決める重要なファクターです。でもそれが唯一のものではありません(5)。例えば、一組の一卵性双生児の片方がバセドウ病になったとすると、もう片方が同じ病気に罹る確率はおそらく50%になるでしょう。遺伝的ファクターは、なぜ女性の方が男性に比べバセドウ病に7倍から10倍罹りやすいかという手がかりともなるものです。他の自己免疫性疾患がそうであるように、この病気に罹りやすい素因を持つ人の遺伝子の一部がX染色体にあると思われるからです。
遺伝的素因に加え、エストロゲンやプロゲステロンのようなホルモンの変動がこれらの病気の引き金を引く役目を果たしています。これは思春期以前では、性別に関わりなく同じように自己免疫性疾患が起こる傾向があるのに、思春期以降では女性の方がそのような病気にずっと罹りやすくなるという事実にも現れております。研究者は女性の方が男性に比べ、性ホルモンのレベルが高く、変動も大きいためであると信じております。エストロゲンが自己免疫性甲状腺炎を悪化させるのに対し、テストステロンは免疫攻撃を和らげるということを示唆する証拠もあります。
慢性甲状腺炎は甲状腺が徐々に破壊され、不活発な甲状腺になり、あるいは甲状腺の機能が失われることさえあります。この病気の双子の兄弟であるバセドウ病は、免疫系が甲状腺を刺激する抗体を作り出し、甲状腺ホルモンの作り過ぎを起こさせるために起こる病気です。ストレスは免疫系の機能をかき乱す可能性のある突発的な出来事の一つであり、それによってこのような甲状腺に有害な抗体産生の引き金が引かれることになると思われます。
自己免疫性甲状腺疾患につながりのある感染物質の中には、コクサッキーBウィルス、Yersinia enterocolitica(エルシニア・エンテロコリカ)、およびEscherichia coli(大腸菌)があります。最近、Helicobacter pylori(ヘリコバクター・ピロリ:胃炎や胃潰瘍を起こす細菌)が自己免疫性甲状腺疾患のある人に高い割合で見付かっています(6)
自己免疫性甲状腺疾患に罹っている人は、悪性貧血やインスリン依存性糖尿病、狼瘡(全身性エリテマトージス:SLE)、慢性関節リウマチ、アジソン病、および白斑症(皮膚のある領域の色素が失われ、白くなること)のような他の自己免疫疾患にも罹りやすいのです。ストレスやストレスに対する心理的反応もこれらの自己免疫性疾患に影響を与えます。しかし、自己免疫疾患を引き起こし、その病気のひどさに影響を与えるどの程度精神的ストレスが力を発揮するかについては、他のどの自己免疫性疾患よりもバセドウ病ではっきりしています。
多岐にわたるストレスの多い状況が引き金となる可能性があります。例えば、私の患者であるロンを初めて診察した時、彼はすでにバセドウ病による甲状腺機能亢進症の治療を受けていました。しかし、彼の症状はなかなかよくならず、ホルモンのバランスもまだ乱れていました。そこで、彼にこの病気になった経緯を話してくれるよう頼みました。
彼の言葉によると:
私は軍隊に入っており、家内と基地の近くに住んでいました。私は家内を学校にやるため、2つの仕事をこなしていました。一つは教職ですが、その仕事のため朝6時から午後3時まで働き詰めでした。4時から7時まで寝て、それから起きて軍の売店に行きます。そこでは午前1時まで棚に商品を並べる仕事をします。家内の家族から家の代金を払うお金を借りていて、そのローンを返すのに追われていました。そのプレッシャーは耐え難いものでした。私が教えていたところの上司は私をひどい言葉でののしり、あからさまに馬鹿にしました。それは実にストレスに満ちた状況でした。
ロンは今に至るまでの初期症状をたどってみました。「私は暑さに耐えられませんでした。いつも汗をかいていました。そして心臓は休みなくドキドキと激しく打っていました。筋肉がつったり、胸の痛みがありました。夜は、眠っていて、それから突然飛び起きるというようなことがありました。基地の医者にかかったのですが、先生はストレスに関係したものだと言い続け、心理療法士に診てもらったらどうだと言ったのです」
よくあるように、ロンは気短になり、子供に対して自分を抑えることがなかなかできなくなっていました。彼は2つ目の仕事を止めましたが、そのことでさらにローンの支払いが困難になりました。そのような状況では、さらにプレッシャーがかかります。彼の症状はなかなかよくなりませんでした。医師のところへ行くたびに、その病気はストレスのせいだと言われます。もはやどうすることもできず、彼は軍を去ったのです。
悪循環のエスカレート  
ロンのような多くの患者では、やっと診断がついた時に詳しい病歴を採取すると、おそらくそれが病気の引き金になったと思われる大きなストレスのかかる出来事が見付かります。そして時には病気とはあまり関係なさそうな出来事もあります。医師は患者の症状をこのような出来事のせいにする可能性があります。このような誤診、あるいは診断をしようとしないことが症状を長引かせ、最終的にはストレスをエスカレートさせ、永久的なものにしてしまいます。医師はしばしば“ゴルディウスの結び目(解けない難問)”に直面します。症状が主に甲状腺ホルモンバランスの乱れのためであるのかどうか推測することしかできません。しかし、病気の根本を治療するか、この悪循環を断ち切る方法を見付けない限り、症状は永遠に続きます。
症状の悪循環のほとんどは患者の診断がつく前に根づいてしまいます。ストレスのかかる出来事で軽い機能障害が引き起こされ、それがさらにストレスがかかることでひどくなっていきます。ストレスがさらにかかることで病気になり、それがもっとひどいストレスになっていきます。一つの病気がまた別の病気を引き起こし、それがまた最初の病気に悪影響を与えるというのが、医師が甲状腺ホルモンバランスの乱れの診断や治療の際に直面することです。それでも、この悪循環のエスカレートは、医師と患者がそのことをもっとよく知るようになれば、初期の段階で簡単に止めることができるものです。甲状腺ホルモンバランスの乱れを早期に診断し、それに関連したストレス問題に取り組むことでこの悪循環を断ち切るようにすれば、不必要な身体的、精神的苦しみや、個人的な問題、そして過度のストレスがかかるのを予防することができ、患者の回復を早めることができるのです。
キンバリーの甲状腺疾患との闘いは、患者にとってこの悪循環の拡大が大変な危険をもたらすことをはっきり示すものです。魅力的な34歳の女性であるキンバリーは、彼女がかかっていた婦人科医からバセドウ病ということで私のもとに紹介されてきました。キンバリーは彼女の症状が2年ほど前、新しい仕事に就いて約4ヶ月経った頃に始まったと信じていました。その前は幸せで、のんびりしていたんですよ。
彼女はこう言いました。
私はその仕事がマネージメントでの私のキャリアをさらにアップすることになると考えました。しかし、そのプレッシャーは大変なものでした。何とかついて行こうと頑張りましたが、だんだんその仕事が自分に向いていないことに気がつき始めました。自尊心が傷付き始めました。
私はストレスでまいってしまい、不安になり落ち込んでしまいました。いつも気分が悪く、疲れきっているみたいでした。そのため私は冬の間ほとんど病気ばかりしていました。私は職場では喧嘩腰になり、協調性がなくなってきました。そして、家庭でも怒りっぽく、ちょっとしたことにオーバーに反応するようになりました。主人は私が神経衰弱に罹っていると考え、精神科に診てもらうべきだと言い張りました。
キンバリーは次々に起こる出来事で、だんだん身動きができなくなってきました。これは多くの甲状腺疾患患者が診断を受ける前や受けた後でも悪影響を受けることですが、時には何年にもわたって続きます。精神科医は彼女を抗鬱剤で治療しましたが、これは甲状腺の活動し過ぎがある患者ではさらに具合が悪くなることがあります。キンバリーは目の回りの腫れとやせたのに気付きましたが、自分の世界がバラバラになってしまいそうな問題に比べると、そのような症状は大したことがないように思えたため、無視しました。抗鬱剤は効きませんでした。そこで精神科医はキンバリーに抗不安剤を出しました。その間、彼女の自信は日々の仕事の中でだんだん崩れて行き、生活のあらゆる場で屈辱を受けるようになり、結局クビになってしまいました。
この時点でキンバリーは、「気も狂わんばかりになりました」という表現を使っています。彼女はいろいろな仕事の面接をたくさん受けましたが、自信もなく、目標も定まっていない状態でした。誰も彼女を雇う人はいませんでした。この空虚さを埋めるため、山のように家事をこなそうとして、どれもうまくできなかったのです。彼女の夫は、子供達の活動の世話を引き継がなければなりませんでした。夫との口喧嘩がキンバリーの日常生活の一部となりました。失職し、収入が減ったことが結婚生活の緊張の元になりました。時々、彼女は脈が速く打つようになり始め、心臓病専門医に診てもらいました。医師は彼女の症状はストレスによるものと診断しました。彼女を診ていた精神科医はキンバリーに震えが起こっているのに気付き、神経科医の診察を受けるよう勧めました。検査結果はマイナスでした。それでも、キンバリーは「私は泣きました。どこも悪くなくても構わなかったんです。ただ誰かに助けて欲しかったんです」と言いました。
キンバリーの病気はだんだん悪化していきました。新しい仕事のストレスが彼女のバセドウ病を引き起こしてから、その後気分障害が起こり、医師には彼女の病気の元がはっきりわからなくなるまで、個々の症状が必然的に次の症状につながるという状態でキンバリーは何度も甲状腺疾患の回りを回っていたのです。ストレスに続いてうつ病が起こり、それが免疫系を乱して活動し過ぎの甲状腺をさらに悪化させ、自分の行動をコントロールできなくなって自尊心が失われていきました。そしてそれがさらにストレスを生み出すことになったのです。この悪循環は独りでに増強していきました。
観察力の鋭い婦人科医がキンバリーの甲状腺を検査することを考えた最初の医師でした。キンバリーの甲状腺疾患を治療し、ストレスの問題に取り組むことによって、最終的にこのストレスの悪循環を断ち切ることはできますが、それはすぐにできることではなく、簡単なことでもありません。精神的な苦しみが脳の化学作用に悪影響を与え、キンバリーを感情的に変化させてしまっていました。彼女は器質的な変化を来たしていました。彼女の甲状腺ホルモンレベルを正常に戻すのに何週間もかかりました。キンバリーは家族の支えとよい治療、そして抗鬱剤を通じて、徐々に平衡状態を取り戻してきました。残念なことですが、彼女と医師の両方が甲状腺疾患の精神−体の症状を混同してまごつくことさえなければ、彼女のトラブルを止める機会はたくさんあったのです。
ごく最近まで、研究者はストレスがバセドウ病の引き金となるとはっきり断言することができなかったのです。これはバセドウ病の最初のケースが診断された際に、大きなストレスがどんどん悪化に向かう悪循環を生じることがわかっていたのですから、皮肉なことであります。アイルランド人の医師カレブ・パリーはこの状態を認めた最初の医師ですが、「エリザベス・S., 21歳はものすごい速さで丘を下っていく車椅子から投げ出された。…そして大変な恐怖を味わった。その時から心臓が速く動悸を打つようになり、様々な神経的影響が出るようになった。約2週間後、彼女は甲状腺が腫れているのに気がついた」と記述しています(7)
研究者や医師にとって、ストレスが甲状腺ホルモンバランスの乱れによって悪化していくのか、あるいはその逆なのかということを確かめるのは難しいことが多いのです。ストレスを受ける前の血液中の甲状腺ホルモンレベルを測定しない限り、甲状腺疾患が始まった時期を特定する方法はありません。
そのような困難はありますが、研究者は最近ストレスの多い出来事とバセドウ病の発病との間に明確なつながりがあることを証明することができました。例えば、ある研究で労働条件の変化や就業時間の変化、家族が重病で入院した(その病気が甲状腺疾患で引き起こされることのないファクター)というようなファクターがすべてバセドウ病の発病に関係しているという結論が出ています(8)。もう一つ東京大学で最近新たにバセドウ病と診断された228名の患者に関して行われた研究がありますが、ストレスがバセドウ病の発病率を女性で7.7倍に増加させるという結果が出ました(9)。この研究では、喫煙がバセドウ病になるリスクを増大させることも示されています。離婚や結婚生活がうまくいかないこと、愛するものの死、そして経済的なトラブルなどもバセドウ病の引き金になる可能性があります。
研究者が直面する困難は、不活発な甲状腺を引き起こす慢性甲状腺炎ではさらに大きくなります。橋本病はバセドウ病よりさらに多く、女性の10%以上が罹患しています。慢性甲状腺炎に罹っている人の多くに甲状腺の肥大または甲状腺腫がありますが、それ以外の症状はありません。血液中に高レベルの抗甲状腺抗体があることが多く、これは免疫系で作り出されるものです。医師はこの抗体をこの病気のマーカーとして使います(<第14章>参照)。慢性甲状腺炎に罹っている患者の多くで少しばかり甲状腺が不活発になり、疲れやすさや皮膚の乾燥、いつもより寒く感じるというようなことが起こります。慢性甲状腺炎の症状はバセドウ病の症状に比べ、潜行性であるため、真剣にストレスがこの病気の引き金になり、その結果 甲状腺ホルモンバランスの乱れを起こし得るということを証明しようとする研究者はほとんどおりません。
それにもかかわらず、内分泌病専門医は甲状腺機能低下症患者で、その症状がストレス(あるいは患者がストレスとして表現するもの)か、うつ病のどちらかと“時期を同じにして”始まるということを日常的に見ております。バセドウ病でもそうですが、医師はストレスまたはうつ病が慢性甲状腺炎の引き金を引き、その結果甲状腺が不活発になるのか、あるいはその逆なのかということに思いを巡らさざるを得ません。慢性甲状腺炎が更年期に急激に増えるのは、ホルモンの変化のためだけなのか、あるいはこの時期にストレスやうつ病が多くなるために起こるのでしょうか。出産後に高い頻度で甲状腺ホルモンバランスの乱れが起こるのは、ホルモンの激しい変化のため免疫系が一次的に弱まるためだけなのか、それとも新生児の面倒を見なければならないストレスとそれに伴ううつ病がこのバランスの乱れを引き起こすのでしょうか。
うつ病が免疫系に及ぼす影響は、ストレスによって引き起こされるものと同じです。したがって、自己免疫性甲状腺疾患の引き金を引くことになる連続的な化学的相互作用もうつ病に罹っている間に起こる可能性があります。医師はやっとこの筋書きに注目し始めたところです。最近話題を呼んだ研究では、産後うつ病に罹っている女性はそうでない人に比べ、慢性甲状腺炎になる可能性が高いことが示されています。例えうつ病の女性のホルモンレベルが正常な場合であってもそうです(10)
もう一つ、慢性甲状腺炎と精神的ストレスとの間の関係のきわめて重要な部分を浮き彫りにした研究があり、それによってうつ病で入院した患者は、例え甲状腺ホルモンレベルが正常であっても、一般集団より慢性甲状腺炎になる頻度が高いことが明らかにされました(11)。最近まで、医師は甲状腺機能低下症のせいでうつ病が起こると考え、不活発になった甲状腺を治療することでうつ病が治るだろうと思っておりました。しかし、時には逆もまた真なりということがあります。多くの人で、医師が甲状腺ホルモンバランスの乱れを治療する際に、うつ病−おそらく甲状腺ホルモンバランスの乱れによるというより、それ自体が原因であると思われますが−そのうつ病自体をちゃんと治療し、対処しない限りいつまでもよくならないのです。医師はうつ病のタイプのものが慢性甲状腺炎患者の多くで、引き金を引くものになっているのではないかということをそろそろ疑い始めてもよいのではないでしょうか。これらの患者にはバセドウ病の患者で述べたのと同じ、悪循環のエスカレートの現象が見られます。どちらの病気に罹っていても、その悪循環を断ち切る方法は同じです。甲状腺ホルモンバランスの乱れの正しい診断とストレスやうつ病の問題に対処することです。
右に挙げた図は、ストレスと病気の悪循環のエスカレートに寄与すると思われる脳の化学成分と甲状腺との間の複雑な相互作用を図示したものです。
【悪循環のエスカレートの生化学的根拠】
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脳と甲状腺の機能  
甲状腺で作り出される甲状腺ホルモンの量は細胞で使われる量を埋め合わせるものです。甲状腺で作られる甲状腺ホルモンの量は、脳の基底部にあり甲状腺刺激ホルモン(TSH)を作る脳下垂体によって主に支配されています。甲状腺に運ばれるTSHの量でどれくらい甲状腺ホルモンを作ればよいかがわかるようになっています。
脳下垂体は血液中の甲状腺ホルモンが減ったり、増えたりするとそれを感じ取り、TSHの産生を調製することでその変化に反応します。したがって、脳下垂体は循環している血液中の甲状腺ホルモンが正常なレベルで一定するよう見張っているということになります。そして適正な量の甲状腺ホルモンが器官や脳に送られているかも見張っています。例えば、甲状腺が損なわれて作られる甲状腺ホルモンの量が正常より減ると、脳下垂体は甲状腺ホルモンレベルの減少を感じ取り、より多くのTSHを放出します。これがもっとたくさん甲状腺ホルモンを作り、不足を直すよう甲状腺を刺激します。その一方で、甲状腺ホルモンのレベルが高すぎると、脳下垂体がこの変化を感じ取り、TSHの分泌を減らして甲状腺にホルモンの産生を制限するよう伝えます。この理由から、TSHは、例えその乱れがほんのわずかではあっても、甲状腺ホルモンバランスの乱れを診断する信頼性の高い検査であるということで、広く使われるようになりました。TSHは甲状腺ホルモン治療のモニターとしても使われています。
しかし、脳は必要があれば、どれくらいの甲状腺ホルモンを作るべきかの指令を与えることができます。気分や感情を司るところを含め、脳のある領域は脳下垂体の機能をコントロールすることができます。これらの脳の領域と脳下垂体をつなぐのが視床下部です。これがサイロトロピン−放出ホルモン(TRH)と呼ばれる化学物質を出して脳下垂体と連絡を取ります。これらの脳の領域が、脳下垂体のTSH産生を増やしたり、減らしたりして甲状腺にメッセージを送ります。例えば、体が寒さを知覚すると、それが脳内化学物質を通じて脳に伝えられ、それから脳下垂体に低温に対する反応としてTSHのレベルを上げるよう連絡がいきます。それにより甲状腺が甲状腺ホルモンをもっとたくさん作り、体はよりたくさんの熱を生み出すようになります。飢えていたり、長いこと絶食していたり、あるいは手術や重い病気のような過度の身体的ストレスに直面すると、脳が脳下垂体にTSHの産生を減らすよう指令を出し、そのため甲状腺は作り出す甲状腺ホルモンの量を減らします。これは代謝や臓器の破壊速度を遅くする防御メカニズムです。脳は、事実上代謝速度を遅くして体を飢えから守っているのです。これは神経性食思不振症のような摂食障害がある場合、甲状腺がどのようにしてその機能を落としていくかの説明ともなります。脳は摂食障害を体内エネルギーの貯えを脅かす恐れのあるものと知覚し、甲状腺に代謝を低くして生き延びるためのエネルギーをできるだけたくさん残すようにさせます。戦争のような大きなストレスの元となる出来事の後に、脳が長いこと甲状腺に甲状腺ホルモン産生を増やせというシグナルを送り続けることがあります。これは理論的にはその人が過警戒状態でいられるようにするものです (脳がどのように甲状腺系を制御しているかを示した下の図表をご覧ください)。
【脳の甲状腺系制御】
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甲状腺と戦後症候群  
戦闘に参加した人の多くは、その後で息切れや疲労、頭痛、胸痛、頻脈、下痢、感情の乱れ、および睡眠障害のような実に様々な精神的、身体的症状を経験します。これらの症状はアメリカ南北戦争以来、退役軍人の間で認められていたもので、ベトナム戦争やペルシャ湾岸戦争を含む大きな戦争の後にも見られております(12)
“戦後精神神経症”あるいはもっと耳慣れた言葉でいえば、心的外傷後ストレス症候群ですが、それはうつ病と不安、そしてその他の数々の症状が交じり合った複雑な病気です。この症候群の原因を探ろうとたくさんの研究がなされてきましたが、甲状腺機能や戦時中のストレス、そしてその結果生じた甲状腺疾患との間につながりがある可能性を注意深く研究した人はほとんどおりません。しかし、この症状が戦闘のストレスに反応して作り出された甲状腺ホルモンとコルチゾールのレベルを相当に反映しているという考えを裏付ける証拠があります。
あなたが大変な脅威と感じる大きなストレスを経験すると、脳が次々に連鎖的なシグナルを内分泌系に伝えていき、それが無限に続くことがあります。典型的な反応の一つが甲状腺を刺激してもっとたくさんの甲状腺ホルモンを作らせることです。このように長引く刺激が、戦闘や身体的または性的虐待のような重大な出来事が起きた後、長いこと過剰な警戒心を抱いたり、怖がったり、また不安を感じたりする理由です。コルチゾールのレベルと結びついた甲状腺ホルモンレベルの増加の影響ということで、戦闘に加わったり、戦争を生き抜いて来た人達のように、心的外傷後ストレス症候群に苦しんでいる人達が経験している症状の相当部分が説明できます(13)
大きなストレスを受けた退役軍人は、時々甲状腺ホルモンレベルが高くなることがいつまでも続き、その結果非常な不安を感じることがあります。そのような人は大体、警戒心が強いか、油断がなく、怒りっぽくていらいらしています。また睡眠や集中力に問題がある場合もあります。要するに、大きな生命を脅かす状況におかれている間に起きた自己防衛反応の一部として甲状腺ホルモンレベルが高くなり、そのためにこのような過度の警戒状態が生じるのです。
戦闘を経験したり、戦争でめちゃめちゃになった地域に住んでいる人は、心的外傷後ストレス症候群になる危険に曝されているだけではありません。ストレスが免疫系に及ぼす影響のため、バセドウ病になる危険性も高くなっていると思われます。例えば、1870年の普仏戦争中に、医師がバセドウ病の発生率の著しい増加を認めています。第一次世界大戦中とその後に、医師がバセドウ病患者を見る頻度が高くなりました。例えば、ニューヨークのキャンプアップトンでは、医師が戦争神経症に罹っているとされた人の多くに、明確なバセドウ病の症状があったことに気付いております。同じ医師が、 治療中の“戦争神経症”のケースの中に活動し過ぎの甲状腺が原因となっているものがあることに気付きました(14)。第二次世界大戦中、ナチの捕虜収容所からの難民や占領下のデンマークの人達の間でも活動し過ぎの甲状腺が見られる頻度が高くなっていたことが記録されています(15)
元大統領のジョージ・ブッシュ氏は、戦争に関わり、結局はストレス−甲状腺ホルモンバランスの乱れ−ストレスの悪循環に陥った人の例であると思われます。実際に、湾岸戦争のストレスが大統領のバセドウ病の引き金を引いたのでしょうか。ストレスがブッシュ大統領の甲状腺の活動し過ぎを引き起こしたのではないかという疑いが、彼の症状が湾岸戦争の停戦(1991年2月24日)後、約2ヶ月して現れたという事実から湧き起こってきました。5月4日の土曜日にキャンプデイビッドでジョギング中に、大統領は息切れと不整脈を起こしました。このため、ベセスダの海軍病院の医師は大統領の甲状腺の検査を行うことになりました。そして軽度の活動し過ぎであることがわかったのです。診断を受ける前に、ブッシュ大統領は2〜3症状がありました。それは入院の2、3週間前に始まったものです。3月の終わりにかけて、ブッシュ大統領は体重を減らし、もっと運動することにしました。しかし、2週間の間に7〜8ポンド(3〜4キロ)やせたのは、食餌や運動とは不釣り合いなものでした。彼の秘書はブッシュ大統領の右手の震えにも気がついておりました。そのことで書くことがいくぶん困難になっておりました。当時のブッシュ大統領の側近−これにはバーバラ夫人やブッシュ氏が信頼していた補佐役のパティー・プレソック、ブレント・スコウクロフト将軍、そして他のホワイトハウスのスタッフや住み込みのスタッフを含め−誰も大統領がバセドウ病と診断される前に、何か感情的に苦しんでいる様子に気付いた者はおりませんでした。
また、ブッシュ大統領の甲状腺の活動し過ぎが戦争より前に起こっていたのではないかという疑いもあります。一部の報道陣が1990年8月2日のイラクのクウェート侵攻直後に、信じられないほどのレベルのエネルギーで高揚していたと述べております(16)。当時の大統領のスポーツ活動への興味の高まり、生活のペースが速いこと、そして活動的に過ぎることなど、ブッシュ大統領が戦争の始まる約6ヶ月前の1990年8月にまで溯って甲状腺が活動し過ぎの状態になっていたと疑われるようなことがいくつかあります。これがブッシュ大統領の任期中でもっとも奮闘した時期の一つである、戦争に向かっての準備期間中にバセドウ病の発病につながったことになるのでしょうか。
ただし、ブッシュ大統領の病気の引き金としてもっと重要な役割を果たしたのではないかと思われる別のメカニズムが数多く確認されていることも記しておかねばなりません。ブッシュ大統領がバセドウ病の診断を受ける2年前、バーバラ大統領夫人が同じ病気の診断を受けています。夫婦共がバセドウ病の診断を受けるケースは、“夫婦間バセドウ病”として知られています(17)。夫婦間バセドウ病はおそらく、家庭や職場内の毒性物質や飲み水の中にヨードやその他の化学物質が過量に含まれているというような環境的ファクターによるものと思われます。ホワイトハウス内でそのようなファクターを捜したのですが、無駄に終わりました。ウィルス感染も事実上の環境ファクターとして考慮され、ブッシュ大統領とバーバラ夫人が備えていたと思われる遺伝的素因があれば、その影響を受ける可能性があります。
偶然にも、ブッシュ家の飼い犬であるミリーも狼瘡(SLE)に罹っていました。ブッシュ夫妻とそのペットが皆自己免疫疾患に罹ったというニュースが報道されると、大統領の侍医であるバートン・リー医師の元に、狼瘡に罹ったペットの飼い主がバセドウ病であることを書いた夥しい数の手紙が寄せられました。
感染症、特にレトロウィルス感染症とバセドウ病とは関係があるという証拠が次々に出てきております。レトロウィルスとバセドウ病との間のつながりの可能性は、患者の体内の抗体レベルを通じて測定することができます(18)。ブッシュ夫妻はどちらも体内にこのウィルスに対する非常に高いレベルの抗体を持っていることがわかりました。これらの所見は決して公表されることはありませんでしたが、これはおそらくこの結果がウィルスが病気の直接の原因であるという明確な証拠が得られなかっためであると思われます。しかし、医学的証左から大統領夫妻のケースでは、ウィルスがバセドウ病の一因であることが強く示唆されております。
元大統領ブッシュ氏のケースは、ストレスがこの病気の引き金を引くファクターであることを証明することが如何に難しいものであるかを示すものです。レトロウィルス感染がブッシュ氏の病気を引き起こしたのか、それとも湾岸危機により生じたストレスのせいなのでしょうか。おそらくいちばん可能性の高い筋書きとしては、その2つが組み合わさったことによるものではないでしょうか。
ストレス管理  
ストレス管理は甲状腺疾患患者の治療戦略の中心的部分となるべきものであります。甲状腺ホルモンバランスの乱れのある人は、かならず悪循環がエスカレートして行く状態に陥る寸前のところにおります。カウンセリングや精神療法が必要な人もおりますし、抗鬱剤や抗不安薬が必要な人もおります。しかし、誰でも甲状腺ホルモンバランスを直すことやリラクゼーションのテクニックによって効果を得ることができます。これはストレスに圧倒されて、悪循環に陥るのを避ける効果があります。脳が甲状腺や免疫系にちゃんとしているところを見せなければならにのです。
甲状腺疾患に対するストレスの影響は病気の引き金となったり、前に述べた悪循環のエスカレートに寄与するだけには止まりません。ストレスは、甲状腺ホルモンが正常レベルに戻った時も含め、治療のあらゆる段階に有害な作用を及ぼすことがあります。例えば、抗甲状腺剤(メチマゾールまたはプロピルチオウラシル)を使った一連の治療を数ヶ月続けてうまく治ったバセドウ病患者が病気の寛解をみて、それ以上甲状腺ホルモンレベルを正常に保つための治療は必要ないかもしれません。治療の結果、自己免疫疾患が休眠状態になることがありますが、−そして医師も患者もずっとそのまま休眠状態であって欲しいと願いますが−病気は決して去ることがありません。そのような患者では、ストレスやストレスにうまく対処できないことで、例え何年もの間、寛解状態にあったとしても、簡単に甲状腺の活動し過ぎが再燃することがあります。1995年にトロントで開かれた第11回国際甲状腺会議で発表された報告では、バセドウ病患者ではストレスにより甲状腺の活動し過ぎが再発しやすくなることがあることが示されています(19)
患者が適切な治療を受け、状態が安定した場合であっても、ストレスは疑いなく、甲状腺への自己免疫攻撃の程度をひどくします。休眠状態のバセドウ病がある女性多数で行ったある研究では、多くの患者がストレスを受けている間に甲状腺機能亢進症になるということに研究者が気付きました。一旦ストレスが去ってしまえば、甲状腺の機能は正常に戻ったのです(20)
甲状腺ホルモンバランスの乱れを経験した人は、甲状腺ホルモンレベルが正常に戻った後でも、有害な影響に苦しみ続けることがあります。以前と同じように感じない人は、血液中のホルモンレベルが正常であっても、いつまでも長引くストレス−バランスの乱れ−ストレスの悪循環に陥っていることが多いのです。このような長いこと苦しんできた人は、犯罪の被害者や戦争体験者のような非常に大きな精神的外傷を受けた人と同じ症状を訴えることがよくあります。このことから、医師は甲状腺ホルモンバランスの乱れの余波を、一種の心的外傷後ストレス症候群と考えます。
これはいかにも深刻に響きますが−実はその通りなのです。診断を受ける前や悪循環に落ち入った最中に患者が経験した苦しみを乗り越えるには、病気が治った後でも治癒への努力を続けなければなりません。友人や近しい人が、甲状腺疾患患者はかなり長い間ストレスの影響を受けやすくなっているということを理解することが欠かせません。長い間苦しんだ人に対しては、ストレス管理が回復へ向かってのいちばん重要なステップの一つであります。彼らの脳内化学成分は変化を来たしており、ストレスに対処する能力も、例えそれがわずかなストレスであっても、不安定なものであります。彼らは再びコントロールする能力を身につける必要があるのです。
患者が破滅的な悪循環に陥った後でも、薬物治療の効果を高め、時間の経過と共に消えることのない長引く精神的影響を和らげることで、この悪循環がさらに進まないようにすることは可能です。いろいろなサポートの組み合わせ−適切な治療、ストレス管理、そして優しく愛情を込めたケア−が患者の苦しみの元を絶つことになります。
「もうすっかりまいっちゃった」「プレッシャーに耐えられない」このような言葉が軽く交わされるような場合でも、その気持ちに注意を払い、さらにそれ以上のストレスがかかることを避け、管理することが重要です。これは、甲状腺ホルモンバランスの乱れのある人や、自己免疫疾患に罹ったことがある人、そしてこのタイプの病気に罹りやすい遺伝的素因のある人に対しては、さらに重要なことです。呼吸するため水中で暮らさねばならない生き物のように、このような人は意識的にストレスを避け、管理しなければなりません。そうでなければ、甲状腺ホルモンバランスの乱れの特徴である、ひどい悪循環に陥り、身動きできなくなってしまいます。
医師が以前に比べ甲状腺疾患を診断する頻度が高くなっています。多くは、これが検査が広く、簡単に行われるようになったことと、技術面での改善のためと見ていますが、このどちらも、我々が感度の高い診断用検査を行うことを可能にしてくれました。また、より大きなストレスをもたらし、より高い要求が課される現代生活のためである可能性もあります。1930年に、ユーリ・モスコビッチ博士が、彼の「心配なバセドウ病の精神的症状の考察」の中で「その人を葛藤や鋭敏化させる方向に向かわせるような影響がバセドウ病を生み出す」と医療界に警告を発し、さらにバセドウ病が「社会的疾患であり、高度な文明の産物である」と提唱しております(21)
ストレスの増大が甲状腺疾患の増加の源であるなら、甲状腺疾患のある人は皆、ストレスにうまく対処する方法を身につけなければなりません。瞑想やヨガあるいは太極拳のようなリラクゼーションテクニックで、甲状腺ホルモンバランスの乱れを予防することが可能です。特に甲状腺疾患やその他の自己免疫疾患の家族歴のある人には効果的です。ストレス管理を行うことは、更年期に達した女性や子供を産んだばかりの女性、非常に責任の重い仕事に就いている人、そして非常に大変な家事をこなしている人にとって欠かせないものです。
ストレス管理に関しては、これがいちばんよいという方法はありません。どの方法を選ぶかは、他に病気があるかどうか、また運動ができるかどうかによって異なります。瞑想しながら深呼吸をしたり、静かに座って心安らぐ音楽を聴いたり、あるいはヨガや太極拳のような意識的な運動をすることができます。昔ながらの方法で太極拳を行うと、気分や感情の改善が見られることがわかっています(22)。そして、精神や免疫系、および甲状腺の健康を保つ最良の方法の一つと思われます。身体的障害のない人に対しては、私は太極拳を勧めることがいちばん多いのです。運動をしながら精神をリラックスさせることで、脳内の化学作用がうんと高まり、再びちゃんとしていると感じることができるようになります。
甲状腺疾患に関しては、精神−体のつながりが病気の一部ということだけではありません。治療の一部でもあるのです。甲状腺は脳の付属器官です。甲状腺と、また甲状腺を通じて脳が連絡を取っています。このため、体と心に働きかける方法に非常によく反応します。診断を受けたらすぐに、自分で症状の悪循環を断ち切るための作業を始めなければなりません。医師には甲状腺ホルモンバランスの乱れの適切なコントロールを期待すべきでしょうが、患者として、自分のストレス問題には自分で取り組まなければなりません。あなたは自分の治療法に責任を持ち、もっと積極的に自分自身に関わるようにしなければなりません。
覚えておくべき重要なポイント
ストレスやストレスにうまく対処できないことが甲状腺ホルモンバランスの乱れを引き起こすことがあります。
甲状腺ホルモンバランスの乱れは、次にストレスに対処する能力を損ね、ほんのつまらないことや悩み事をもっと重大なものと感じるようになります。
ストレス−病気−ストレスの悪循環のエスカレートは甲状腺疾患患者の間でごく普通に見られるパターンです。この悪循環に気付いて、診断と迅速な治療によりその悪循環を止めることがいちばん大事なことです。
甲状腺ホルモンバランスの乱れの診断を受けた場合、身体的、精神的健康を最適な状態に保つため、ストレス管理テクニックを治療プログラムの一部にすべきです。甲状腺ホルモンバランスの乱れを起こしやすい遺伝的素因がある場合、ストレス管理テクニックによって、バランスの乱れが起こるのを予防できる可能性があります。
慢性甲状腺炎とバセドウ病は甲状腺ホルモンバランスの乱れを引き起こす最大の原因です。どちらの病気も免疫系の甲状腺に対する反応によって生じます。これらの病気になりやすい遺伝的素因が半分を占めますが、感染やストレスを含む環境の影響も侮りがたいものです。
参考文献
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