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先天性甲状腺機能低下症は約4,000人に1人の割合で生まれてくる。85%は非遺伝性の甲状腺の先天性奇形によるものである。次に多いのが遺伝性のもので、PAX-8、甲状腺転写因子2(TTF2)、甲状腺ペルオキシダーゼ(TPO)、サイログロブリン(Tg)、ナトリウムーヨードシンポーター(NIS)などの遺伝子突然変異によるものが報告されており、頻度は低いがその他の原因もある(9)。
1970年代はじめころまでは、先天性甲状腺機能低下症を持つ子供の40%は、知能が低かったために特別の教育を必要とした。現在、先進国では新生児のマススクリーニングが行われており、先天性甲状腺機能低下症を持つ子供の10%のみが特別の教育を必要とするまでに減少している(11)。7つの研究のメタ分析では、675人の先天性甲状腺機能低下症を持つ子供のIQ(知能指数)は570人の健常児のIQを比較すると平均6.3ポイント低いことが報告されている(12)。甲状腺機能低下症の重症度と期間が知的発達の障害と関連する。甲状腺機能低下症の重症度と期間は、出産時の血清T4値と骨の成熟度によって評価できる。血清T4値が2μg/dl以下で膝蓋骨の表面積が0.05cm2以下の場合には、中等度の先天性甲状腺機能低下症児のIQより12〜16ポイント低い(9)。
Derksen-LubsenとVerkerk(12)は、先天性甲状腺機能低下症児の脳の障害は少なくともある程度は子宮内で起こると推論している。しかし、2つの治療法の工夫、すなわち早期治療、高用量の甲状腺ホルモン剤(T4)の投与が知的発達における甲状腺ホルモン不足を解決し、改善するかもしれない(9,11)。Rovet(4)は、長期間経過観察を行い、13歳以上の先天性甲状腺機能低下症児は健常児に比べてIQ(知能指数)が平均8.5ポイント低いことを報告している。これらの児童は記憶力、空間視覚、運動能力の低下がみられた。この障害は、甲状腺機能低下症の重症度と関連していた。さらに、これらの児童の30%は治療が不十分であった。
胎児の甲状腺機能低下症は一過性のこともある。自己免疫性甲状腺疾患を持つ妊婦では、TSHレセプター結合阻害型抗体(TBII: TSH
binding inhibitory immunogloburin)が胎児の一過性の甲状腺機能低下症を引き起こす(9)。この抗体が胎児に移行しても、通常は出産後2〜3ヶ月もすると、甲状腺機能低下症は改善するが、甲状腺機能低下症がずっと続くかどうかは不明である。抗甲状腺剤もまた胎盤を通過して胎児の甲状腺腫や臍帯血のTSHを増加させることがある。ある研究では、妊娠中にメルカゾールもしくはチウラジール(またはプロパジール)を服用していた妊婦から生まれた4〜25歳の人のIQ(知能指数)は同年齢の健常者と同じであった(13)。
未熟児は生後数週間、血中T4、T3が低値のことがある。多くの因子が関与する、例えば、視床下部−下垂体−甲状腺系の調節が未熟なこと、栄養状態が悪いこと、非甲状腺疾患でみられる状況などである(14,15)。この低T4血症は生理的なものなのか、治療を要するかについては議論中である。Ruessら(16)は極端な低T4血症がある場合には、脳性麻痺やIQ(知能指数)低下になる危険性が増すと報告している。Van
Wassenaerら(17)らは、6週間サイロキシン(T4)治療を行えば、2歳までには知能や精神運動機能は正常になることを示している。しかし、あくまでもこの治療の恩恵に与れるのは、27週未満の未熟児だけに限られる。 |
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母体と胎児の両方の甲状腺機能低下症がみられるのは、主にヨード欠乏地域である。最も重篤なタイプは神経学的クレチン症と呼ばれ、極端な知能低下(IQ
29未満)や歩行、運動障害がみられる(6)。このようなヨード欠乏地域の学童は学校生活では問題がないが、運動能力や視覚に障害があることが報告されている(18)。これらの障害は、妊娠中の血中T3ではなく、血中T4と関連していると言われている(19)。さらに、できるだけ妊娠早期(妊娠初期か妊娠中期までで、妊娠後期では治療効果がない)のヨード投与による治療によって、児の神経学的な障害を改善できる(20)。
近年、胎児に対して軽度〜中等度のヨード欠乏が与える影響について認識されてきた。母体や胎児に及ぼす影響としては、甲状腺腫大や血清サイログロブリン高値がみられる。母体は血清T4値が比較的低いにもかかわらず、胎児は血清T4値、TSH値は正常を保つ(2)。学業の成績は低下しているかもしれないし、いろいろな神経精神知能障害の報告がある(3)。妊娠中のヨード補充(100〜200μg/日)は母体および胎児のヨード欠乏状態を改善し、甲状腺腫を縮小させ、血清サイログロブリン値も低下させる(2)。ヨード補充により、胎児の神経認知能力が改善するかどうかは今後の研究課題である。
例えばアメリカのようなヨード摂取が十分と思われている国でも、安心してはいけない。最近行われた全国的健康および栄養調査では、この20年間で尿中ヨード排泄(ヨード摂取と尿中ヨード排泄は平行する)が少ない女性の割合が増えているという結果が出ている(【図2】(21))。この尿中ヨード排泄が少ない女性の割合は、WHOが決めている中等度ヨード欠乏地域(人口の20%)と比べるとまだ低いが、妊婦の一部には先に述べたようなヨード欠乏による甲状腺への影響が出る可能性がある。 |
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妊婦の軽度および顕性甲状腺機能低下症の頻度は、Kleinら(10)によって報告されている。妊娠15〜18週の妊婦の2.5%(2,000人中49人)が血清TSH6mU/L以上であった。顕性甲状腺機能低下症(血清TSH高値かつ血清T4低値)は0.3%でみられた。Glinoer(2)は、妊婦1,900人中2.2%で血清TSHが高値であったと報告している。血清TSHが高値であった41人中16人(19%)で抗TPO抗体が陽性であった。一方、Fukushiら(22)は、日本人女性70,632人中102人(0.14%)でのみ血清TSH高値がみられたにすぎないと報告している。
北米では、妊婦の甲状腺機能低下症は主に慢性甲状腺炎によるものである。妊娠中の甲状腺機能低下症を治療しないで放置すると、前子癇、出生時低体重児、早期胎盤剥離、自然流産、周産期死亡などの重篤な合併症の危険性が増す。サイロキシンで治療すると、これらの合併症は減少する(23)。
母体の甲状腺機能低下症が胎児の脳の発達に影響を与えるかどうかについては、まだ解明されていないが、最近の数編の論文から母体の甲状腺機能低下症があれば、胎児のIQ(知能指数)に影響を与えることが示唆されている(24-26)。これらの研究は、母体に軽度の甲状腺機能低下症がみられても、胎児の脳の発達に影響を及ぼすことへの関心を高めた。事実、数人の研究者は妊娠中や妊娠前に甲状腺機能検査のスクリーニングをすべきであると提案している。経済的な負担も無視はできない。そこで、潜在的に潜む問題点だけでなく、具体的なメリットも理解することが重要になってくる。
1970年代、Manら(24)は甲状腺機能低下症に甲状腺ホルモン剤を投与した場合のIQ(知能指数)に及ぼす効果について研究した。T4値はBEI(ブタノール抽出ヨード)で代用した。彼らは、ロードアイランドに在住する妊婦1,348人中3%でBEI値が低いことを報告した。このBEI低値の妊婦から生まれた子供が4歳と7歳のときに知能検査を行い、甲状腺機能正常の妊婦から生まれた同年代の子供の知能指数に比べて、それぞれ6ポイント、5ポイント低いことを報告した。
7歳のとき、BEI低値の妊婦から生まれた子供の24%がIQ(知能指数)80以下であった。一方、甲状腺機能正常の妊婦から生まれた同年代の子供の10%のみがIQ(知能指数)80以下であった。さらに、母体を甲状腺ホルモン剤で治療すると、児のIQ(知能指数)の改善がみられた。この研究では、母体のヨード摂取量や甲状腺自己抗体については調べていない。
1999年に、Popら(25)はヨード摂取が十分な国であるオランダに住む10ヶ月のベイビー220人に対して知能および精神運動の発達に関する研究を行った。彼らは、妊娠12週における母体のフリーT4値が低い方の10%に入っていたら、胎児は精神運動遅延を起こす危険性が増すことを見いだした。このフリーT4値が低い方の10%に入っていた妊婦では、抗TPO抗体の陽性率が普通の妊婦の3倍の高さであった(25%対8%)。しかし、神経認知能力異常に関する因子として、低T4値以外のものの存在もありうる。子供の発達障害を来すことが知られている母親のうつ病が、一部の妊婦でみられた。過去の研究では、Popらは抗TPO抗体陽性だが甲状腺機能は正常である母親から生まれた子供が5歳になったときにGestalt
Cognitive Scale検査を行ったところ、発達が遅れていたことを報告している(27)。
同じ1999年に、Haddowら(26)は25,216人の妊婦を調べて、血清TSHが高い方の0.3%(47人)か血清TSHが高い方の2.0〜0.4%まででなおかつT4値が7.75μg/dl以下(15人)の妊婦から生まれた子供62人の神経精神学的検査を行った。甲状腺機能低下症を持つ母親では、平均血清総およびフリーT4値は30%低かった。この甲状腺機能低下症を持つ母親62人中48人は、妊娠中に甲状腺ホルモン剤治療を受けていなかった。甲状腺機能低下症を持つ母親から生まれた子供は健常児に比べてIQ(知能指数)が平均7ポイント低かった。さらに、甲状腺機能低下症を持つ母親から生まれた子供では、IQ(知能指数)が85以下の頻度が19%と高かった(甲状腺機能正常妊婦から産まれた子供のIQ(知能指数)が85以下の頻度は5%であった)。14人の甲状腺機能低下症を持つ母親は妊娠中に甲状腺ホルモン剤で治療は受けていたが、治療が不十分であり、甲状腺ホルモン剤で治療を受けていなかった48人と比べて、甲状腺機能に差はなかった。にもかかわらず、妊娠中に甲状腺ホルモン剤で治療を受けていた妊婦から生まれた子供はIQ(知能指数)が正常で、IQ(知能指数)85以下は一人もいなかった<注釈:この点が今でも納得いかないところである。最初にこの論文を読んだときにすぐ感じた疑問である>。甲状腺機能低下症を持つ母親では、抗TPO抗体陽性率は77%であったが、甲状腺機能正常妊婦では抗TPO抗体陽性率は14%であった。
最近、Smitら(28)は潜在性甲状腺機能低下症を持つ母親から生まれた子供の発達について報告している。彼らは、6ヶ月と12ヶ月の知能発達は遅れていたが、24ヶ月では知能の遅れはなかったと報告している。精神運動、神経生理学的および神経学的検査では異常はみられなかった。妊娠初期に甲状腺機能低下症がみられたが(全員T4低値:TSH25〜190mU/L)、甲状腺ホルモン剤治療にてその後は甲状腺機能は正常になった母親から生まれた子供に対して、4〜10歳時に行った知能検査では、IQ(知能指数)に異常がみられなかったという報告がひとつだけある(29)。
甲状腺ホルモン剤で治療中の患者も含めた甲状腺機能異常を持つ妊婦に対して、妊娠中は慎重に経過を観察する重要性は10年以上前から認識されている。最近発表された17の論文をまとめると、妊娠中もしくは妊娠が分かったときの妊婦12,592人の抗TPO抗体もしくはマイクロゾームテスト<注釈:MCHAともいい抗TPO抗体と意義は同じだが、感度が低いので最近はあまり調べられない。しかし、最近は医療財源の問題から、検査料が安いという理由でこの感度の低い検査をするように厚生労働省から圧力がかかっている)の陽性率は10%(2.8〜19.6%)である(30)。妊娠中にはT4の代謝が早くなり、T4不足になりやすい。
抗TPO抗体もしくはマイクロゾームテスト陽性の妊婦は甲状腺機能の予備力が少ないために妊娠中には母体と胎児の甲状腺機能低下症になる可能性がある。
さらに、甲状腺機能低下症で治療中の患者は妊娠中、甲状腺ホルモン剤を増やす必要が生じる場合がある(31)。4つの研究をみると(合計108人)、58%で血清TSH値が高くなっていた。サイロキシン<注釈:日本ではチラーヂンS>の投与量は117μgから150μgに増量されている【表2】。 |
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